永眠から7年——不世出のパンクギタリスト、CHELSEAの功績と人柄を振り返る

パンク、メタル界において世界的に活躍したCHELSEA。

 岐阜県で40.9℃の日本最高気温を記録した2007年の8月17日、ある一人のギタリストが熱中症で死んだ。CHELSEAと呼ばれたその男は、パンク界では世界中知らない人間がいないほどのギタリストで、パンク界のみならず、ヘヴィメタル界にもその名を轟かせていた。

 日本から海外へ影響を与えたギタリストは数多くいると思うが、ことパンク、メタル界においてCHELSEAが与えた影響は、国内外問わず計り知れない。DEATH SIDE/PAINT BOXと言えばピンと来る人は多いだろう。CHELSEAがこの世を去ってから、今年でちょうど7回忌。10年程一緒にバンドをやり、共に生活もしていた筆者が、改めてCHELSEAとはどんな人間だったのかを振り返ってみたいと思う。

ギタリスト兼ドラマーとして、複数のバンドを渡り歩く

 CHELSEAの高校の先輩には、日本のヘヴィメタルバンドREACTIONのヴォーカルやパンクバンド奇形児のベースがおり、彼に多大な影響を与えた。高校在学中からASYLUM(1989年にビクターよりメジャーデビュー。後のヴィジュアル系へ多大な影響を与えたバンド)のヴォーカルGAZELLEとバンドを組み活動を開始し、高校を中退。そのバンド解散後、前出のASYLUMを経て、POISON(後のPOISON ARTS)にドラムとして参加する。

 筆者が出会ったのはGAZZELEに連れていかれた高円寺の溜まり場のアパートで、当時彼は「ギターをやりたい」とよく言っていた。その後、彼はPOISONですぐギターに転向するが、日本の代表的ハードコアパンクバンド、EXECUTEの後期にはドラムで参加し、レコーディングも行っている。ギタリストとして才能があっただけではなく、非凡な音楽的センスを持ち合わせていたのだ。

 POISONの活動中にDEATH SIDEに参加。後にPOISONを脱退しDEATH SIDEに専念する。そしてDEATH SIDEを解散後、PAINT BOXを結成した。

ギターを持たずにライブ会場に来るギタリスト

 CHELSEAがどんな人間なのか?と問われれば、一言「面倒くさい奴」それに限る。わがままで駄々っ子のようでいながら、変に理屈っぽくて、どうしようもなく厄介な男だった。しかし、人のアラや悪い所を探すのではなく、良い部分を見つめ、思った事をハッキリと言い、助言などもするため、彼を慕う人間は多かった。

 CHELSEAという男の人柄を語る上で、ギターとの奇特な付き合い方も記すべきだろう。彼がギタープレイヤーとして活動し始めたPOISONやDEATH SIDEの頃は、自分のギターをちゃんと持っていた。しかし、海で泳いでいる最中にギターが波にさらわれたり、1弦に2弦を張っていたり、ツアーに出かける際にギターを忘れたりなど、その扱いはお世辞にも丁寧とは言えず、後にギターを持たずにライブ会場に来るというスタイルの下地は充分にあった。

 ギターもアンプも、その場にあるもので毎回同じ音を出し、同じ演奏をしてしまうのが、腹立たしくもスゴいところだ。家でもいつもギターを弾いていて、作る曲数も半端な数ではなかった。練習スタジオに毎週、3曲ぐらいずつ曲を持って来るのはザラで、こちらの希望を伝えると翌週にはそのような楽曲を作ってきたりと、驚かされる事が非常に多かった。家で弾くギターの弦高がやたらと高くしてあったのは、奴なりに考えた事だろう。ライブや練習スタジオ、レコーディングで弾くギターよりも弦高を高くしてあると、いざ本番では弾きやすくなっていたのではではないかと思う。

当時のジャパニーズハードコアシーン

 当時のハードコアパンクシーンではスケボーブームがあり、LIP CREAMが夏の全国ツアーを定着させ、S.O.Bが世界最速のブラストビートを世界に発信し、NAPARM DEATHなどのフォロワーを生んだ。87年の夏に行われた横浜教育会館のハードコアのイベントでは1500人以上が集まり、会場に入りきらない客が溢れた。

 DEATH SIDEも87年夏『BLOODY SUMMER TOUR』で、LIP CREAM、OUTOとともに全国ツアーを初めて体験する。その頃のLIP CREAMやOUTOはサウンド面のみならず、生き様や人生観などの面でもCHELSEAに大きな影響を与えていた。

 その少し前には、EXECUTEなどがアメリカのハードコアパンクバンドDEAD KENNEDYSとMDCが企画したワールドピースコンピレーションアルバムに参加したり、ドイツのINFERNOとカップリングレコードを出したりしていて、海外でのジャパニーズハードコアの評価は高くなっていた。

 海外から来日するハードコアバンドも増え始める一方、キャンセルになってしまったがLIP CREAMの海外ツアーの計画を初めに、S.O.BやROSE ROSEの海外ツアーなど、この頃のジャパニーズハードコアシーンは海外進出を始めていた。

 ツアー以外の普段の私生活でも多数の友人と暮らす事が好きだったCELSEAは、いつも仲間と共に暮らし、そういった仲間達の海外進出の具体的な話を聞くにつれ、海外進出を現実のものとして捉えるようになっていったようだ。バンドの目標を決めようと話し合った時に、二人同時に「世界制覇」と言ったのもこの頃の懐かしい思い出だ。

 CHELSEAはよく口癖のように「ベストテン番組にハードコアやパンクの曲が入っていて当たり前のハズだ。それぐらいの音楽なのにおかしい」と、本気で言っていた。そんな意識が海外への思いを強めていたのかもしれない。

関連記事