柴那典「ロックフェス文化論」特別編 (インタビュー後編)

「ロックのマーケットを再構築したい」鹿野 淳が新しいロックフェスで目指すものは?

日本のロックフェス黎明期から、大きな役割を果たしてきた鹿野 淳氏。

ボーカロイドは、音楽主義的だと思う

――『VIVA LA ROCK』の公式サイトを見ると、キャッチフレーズには“音楽の音楽による音楽のためのロックフェス”とあります。そして、ライヴのみならず「オトミセ」という同人マーケットやワークショップなど、様々な企画が用意されている。このフェスの全体像に関しては、どういう風に設計していったんでしょうか。

鹿野:まず、さいたまスーパーアリーナという大きな場所を借りるということは、ビジネスとしてのリスクも非常にあるわけです。必然的にメガフェスになるわけですから。3日間やるのも、最初は2日間という企画もあったんですけど、ただただライヴをするのではない、様々なインフラなどを取り入れるフェスにする採算性を含めると3日やる必要があるんです。音楽を好きな人が集まって、音楽で人生を楽しもうとすることを具体的に演出できるお祭りを開こう、それがロックフェスだからということを体現するためには2日間だと無理だった。なかなかね、一年目のフェスには協賛金も集まらないんですよ、だからこそ今年協力してくださった企業さんには何度頭を下げても足りないんですけどね。普通に考えて、どこのものともわからないフェスには皆さんお金も出さないわけで、だからこうやってどういうフェスなのかを紹介させて頂けるのは、本当に嬉しいことなんです。などなどのことがあり、3日間で5万人ほどは収容出来るメガフェスのスケールの中で何をやるのかを、ちゃんと冷静に考えなくちゃいけなかったんです。

 では今、日本の大きなフェスティバルはどこに向かっているのか。大きな要素として挙げられるのは、ブッキングを広くしていく方向がひとつ。もうひとつはインフラを拡大していくこと。この二つが代表的な要素なんじゃないかなと思っています。で今の所、ブッキングの幅を広くする方向は、あまり取りたくないんです。何故かというと、自分が『MUSICA』という雑誌の出版社の経営者であるということが大きい。つまりは今回、『MUSICA』の読者に楽しんでもらう現場を作ることも念頭に置いたし、いい音楽を選んで紹介する雑誌という拘りをフェスの現場に何らかの形でアレンジして持ち込みたい。その『MUSICA』という雑誌が主眼としているのはロックです。我々が意識してることは、新しい時代のロックを、新しい世代に向けてちゃんと作っていこうということ。マイノリティ化されていると言われているロックのマーケットを再構築しようというのが、この雑誌の理念にはあります。この気持ちは今回一緒にフェスをオーガナイズするディスクガレージさんも共有してくれています。それをフェスの中でもきっちりと位置付けたいという気持ちを持って開催するのが「VIVA LA ROCK」です。今回、出演して下さる素晴らしいアーティストや関係者の皆さんにも、そのことは文書にしてお伝えしました。で結果、これだけ素晴らしいアーティストが出演してくださることになりました。本当にラッキーです。

――インフラの拡大という要素はどうでしょうか。

鹿野:それに関しては、まずフェスのチケット料金って高いでしょう? うちも今回は1日9500円するわけで、つまりディズニーランドに1日行くチケット代よりもお金がかかる。ならばディズニーランド以上のお金を払ってくれる方に対して、ディズニーランドと限りなく同級の快適性、そしてアトラクション性、エンターテイメント性っていうものをフェスが持つべきであるっていうことはすでに前提だと思うんですよね。今回のフェスは、快適性については室内でもあるし、自分たちのプロデュースの仕方を間違わなければ、さいたまスーパーアリーナさんと協力しあってちゃんと快適な空間を作れると思う。あとはフェスのインフラとして、これまで何度も話に出てきたように、フェスの思想性とストーリーをどこに作るのかという話になってくる。

――フェスに「物語」が必要だという話ですね。(参照:VIVA LA ROCKプロデューサー鹿野 淳が語る、ロックフェスの「物語」と「メディア性」

鹿野:今フェスティバルっていうものが何をしなければいけないのか、根本的な意味では、音楽を好きになる人を増やすことによって、このマーケットを維持する、拡大していく役割の本質にもう一度ちゃんと目を向けなければいけないんじゃないかなと思ったんですね。ちゃんとしたサービスを提供出来るフェスは儲かる、これは事実です。だから最近は、僕らだけではなくていろんなメディアの人がフェスをやるようになった。今までフェスに協賛していたナショナルクライアントの中には、自分らの冠でフェスをやりたい人たちも出てきた。なぜならフェスがビジネスになるから。そういうものが沢山出てくることによって、フェスがさらに多様化している。でも、そもそもフェスっていうものは何なのか?ということを考えなければいけない時期でもあると思ったわけです。これは音楽フェスだ、ということは真ん中にあるのは音楽だ。そこでフェスが音楽にもたらす効用は何なのか。あらためてそれを考えることが大事なんじゃないかなと考えたわけです。

――なるほど。その具体的なところで言うと、「オトミセ」という同人マーケットはどういうものをイメージしているんでしょうか?

鹿野:オトミセに関しては、これは募集制なんですよ。さいたまスーパーアリーナの4階に大きく広い、アリーナを360度で囲む円形廊下がありまして、そこに机を100個並べられるんです。そこが会場です。何故これをやろうと思ったかというと……僕ね、ボーカロイドが好きなんですよ。いろいろ再考したんですけれど、初音ミクって、つまりあれは人でも、タレントでもなく、ただの「音」なんですよね。音自体の今の時代に合わせた、もの凄く純粋なエンターテイメントだと思うんです。だから、ボーカロイドっていうものは、この多様化してきた音楽ジャンルの中で、すごく音楽主義的なものだと思って。そういうボーカロイドを使って宅録をしながら自己証明を企てている人達が沢山いるじゃないですか。僕はあの人達と、ライヴハウスを目指してバンドをやってる人も、みんなエッセンスは同じだと思ってるんです。みんな自分のことをわかってほしいし、その根っこには孤独性がある。その中で一人でしかできない究極の音楽がボーカロイドであり、宅録だと思っている。僕はそういう資質を持った人が大好きなんですよね。自分の書いた文章を読んでくれている人達の一番本質にも、その感情があるんだと実感しています。だからこそ、音楽フェスがそういう人達にもっと目を向けていいんじゃないかと思ったんです。あなた方とみんなが音楽の中では一緒である、それぞれ人として違う、違うからこそ一緒にいたり何かをするのが楽しいのが音楽だという意味合いでみんなが一緒にいれる場所なんだっていうことを「VIVA LA ROCK」ではちゃんと出したいなと思って。その気持ちの一つの結晶が、「オトミセ」です。

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