DJ SHINTAROが語る、世界大会優勝までの道「型を壊すことで、耳の肥えた客を驚かせたかった」

『Red Bull Thre3Style 2013』にて優勝したDJ SHINTARO。

 去る11月9日、カナダ・トロントで開催された世界一のパーティ・ロックDJを決定する『Red Bull Thre3Style 2013』の決勝戦にて日本代表として参加したDJ SHINTAROがワイルドカード(敗者復活)を経て、見事優勝を手にした。リアルサウンドでは、彼のDJとしてのバックグラウンドから優勝を手にするまでの道のりを追う。

――DJを始めようと思ったきっかけは?

DJ SHINTARO:中学1年くらいの時に地元の秋田で友達とラップ・グループを組んでいたんです。BUDDHA BRANDやSHAKKAZOMBIE、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDなどが流行っていて、当時は自分もラップをしていたんですが、それよりもターンテーブルに興味が向いてしまって。A・トラックのドキュメントDVDを観てスクラッチに衝撃を受けたのがきっかけでしたね。17歳で上京したんですが知り合いもほとんどいなかったし、病的なくらいスクラッチの練習ばかりしていて、その流れでスクラッチの大会に出場することにしたんです。初挑戦した2007年は負けてしまったんですけど、2008年からはVestax主催の「No Tricks」やDENON主催のオンライン・スクラッチ・バトル「Unknown Battle」などで5年連続で優勝しました。この時に味わった大会の雰囲気やメンタル部分での経験が、今回の「Red Bull Thre3Style」に活きてますね。

――スクラッチがメインの大会と、3種類のジャンルを織り交ぜながら行う「Red Bull Thre3Style」はかなり違いますか?

DJ SHINTARO:スクラッチをしてるだけではクラブ・シーンとはあまりリンクしていかないんですね。でも、みんなすごいうまいし、一生懸命に練習しているのに、新しい技が世の中に広がっていかないのは悲しいな、って。世界ではダンス・ミュージックに合わせてスクラッチする人はたくさんいるから、日本では自分がやってみようって思ったんです。そうしていくうちに自分のスタイルが見えてきて、これが「Red Bull Thre3Style」のコンセプトにも近かったんだと思います。

――確かに「バトルDJはクラブDJとしては成功しにくい」なんて見方をする風潮もありますが、SHINTAROくんは見事にその両方を取り入れたスタイルだし、さらにはファッションやビジュアル面も兼ね備えたハイブリッド感ありますよね。

DJ SHINTARO:それもA・トラックの影響が大きいかもしれないです。彼は15歳の時にスクラッチの大会で世界チャンピオンになっているし、ターンテーブリストとしてのショウケースもやりながら、サウンド・プロデュースもするようになって、自身のレーベルも立ち上げた。カニエ・ウエストのバックDJも務め、アーマンド・ヴァン・ヘルデンとの新ユニット、Duck Sauceとしてのアプローチなども完全にファッション・アイコンになっている。完璧に彼をお手本にしているわけじゃないですけど、自分がイメージするDJ像に近かったというのはあります。

ホームアドバンテージを越えるパフォーマンスを披露し“開催国出身者が有利”というジンクスを打ち破ったDJ SHINTARO。

――「Red Bull Thre3Style」の国内大会は圧勝した感じもありましたね。

DJ SHINTARO:今回で3回目の出場だったんですが、スキルには自信もあったし、自分に足りなかったパフォーマンスを見直せば絶対に優勝できると思っていました。今年全国大会が行われたのは名古屋だったんですが、去年の大会で負けてから、毎月決勝の会場となるクラブでDJさせてもらう機会も作ってもらえたし、地元のお客さんの好みや雰囲気も知っていたんです。でも、逆に理解してたからこそ、難しい部分もありましたね。自分の理想とするプレイ内容では、お客さんをロック出来ないことはわかっていましたから。けど、勝たないことには世界に行けないし、その折り合いをつけることには悩みました。

――なるほど。それから世界大会へ進むわけですが、最初は予選で敗退しちゃうんですよね?

DJ SHINTARO:まずは予選突破が目標だったんですが、今度は自分が理想として考えたセットがオーディエンスから受けなかったんです。世界戦だし「前半にEDMを多くしてヤマを作ってから」というイメージだったのがまったくお客さんの心をつかめなくて。会場となったカナダは予想以上にヒップホップが盛り上がったんです。自己評価は高かったんですが、予選突破には至りませんでした。

――ワイルドカード(敗者復活)が自分に回ってくると思っていましたか?

DJ SHINTARO:これまでも予選で敗退した開催国のDJが手にしていたので、完全にあきらめていました。でも、街を歩くと僕がパフォーマンスで見せた日本流のお辞儀をしてくれる人がいたり、自分の憧れでもある有名なDJたちが「ワイルドカードの準備しておけよ」と声をかけてくれた。そうしたら、最終日のワイルドカードの発表が12時だったのに、「審議が長引いてるから14時まで待ってくれ」という報告があったんですよ。「普通なら開催国のDJが選ばれるはずなのに、長引いてるっていうことは……自分にもチャンスがあるんじゃないかな?」と思ったら時差ボケの頭もシャキっとして(笑)。そして、自分選ばれたときは本当に驚きました。そこから決勝戦まで2時間しかなかったので、慌ててプラクティス・ルームに駆け込みました。そこには同じくワイルドカードを得たスイス代表のDJバズーカが練習していたんですが、プラクティス・ルームは1人しか使えないし、本番まで時間もないので何回もドアをノックしてプレッシャーかけました(笑)。頭で決勝戦用のセットを考えながら、ようやく1回だけ練習をする時間が取れたんです。ぶっつけに近い感じでやってみたら、規定時間の15分ピッタリで。決勝戦のセットは30分くらいで考えたことになりますね。

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