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渡邉大輔が論じる、ワールドビルディング時代の映像コンテンツとこれからの文化批評

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 ストリーミング配信サービスの充実、スマートフォンの進化、ARやVRの登場などによって、現在、映像コンテンツを巡る環境は大きく変化しつつある。視聴形態やその様式が多様化する中で、映像/文化批評はどうあるべきか? 気鋭の批評家・映画史研究者である渡邉大輔が論じる。(編集部)

手法の変化・ワールドビルディングとパズルフィルム

 特に北米の映画業界で言われていることですが、いまの映像業界では「ワールドビルディング」という手法がメインになってきています。

 これまでは、古典的映画が遵守していた「ひとつの作品で起承転結をはっきりつけ、観客に効率よく物語を見せる」というメソッドが長らく主流でした。しかし、70年代以降のハリウッドで隆盛してきたメディア・コングロマリット、メディアミックスのような流れがそれまでの撮影所システムの衰退と入れ替わるように発展し、作品がヒットした際にすばやく連作が出せるように、あらかじめ大域的に世界観を設定しておき、その中に適度に「謎」を読み込める「余白」を散りばめる、というスタイルが広がってきたんです。例えば、いまのハリウッドでのワールドビルディングの代表的なコンテンツが、3月1日に日本公開される『ブラック・パンサー』も含まれる、「マーベル・シネマティック・ユニバース」(マーベル映画)です。

 この手法の起源の一つは、テレビドラマにあると思います。というのは、あらかじめ巨大な世界観を設定しておき、その上でサーガをメディアミックス展開して成功させるという手法は、『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカスが先駆的にやったことですが、彼は映画よりドラマの手法に大きな影響を受けていました。現代で言うと、代表的なのはやはり『スター・ウォーズ』をリメイクしているJ.J.エイブラムスです。彼は2000年代の初頭からテレビドラマを制作するようになり、なかでも象徴的なのは『LOST』シリーズ。放映当時、日本でよく言われていたように『新世紀エヴァンゲリオン』に構造が似ていて、第一話から作品の物語世界のなかにさまざまな謎を散りばめることで、視聴者を引っ張っていく。シーズンを追うごとに、話がメタ的になっていったり、梯子外しがあったり……というふうにして、作品が続けば続くほどノンリニアに物語をつないでいき、視聴者の関心を惹きつけるという物語構成になっています。

 「ワールドビルディング」のメソッドは日本のコンテンツにも見られ、例えば近年で増えている長編の連載漫画を原作にした実写映画、あるいは『HiGH&LOW』シリーズも同じ構造を持っています。国内外共通して、こうした物語表現の変化が見られるんです。

 また北米の映画批評においては、こちらも2000年代から「パズルフィルム」というキーワードがトレンドになっています。映像メディアがデジタルに変化していくなかで、映画製作においても、パソコン上で膨大なフッテージ(未編集の素材)をいつまでも、いくらでも編集できるようになったので、作り手側で伏線が非常に張りやすくなった。また、観る側においてもDVDやblu-rayなどのソフト、あるいはNetflixなどの映像配信によって巻き戻し、早送りが簡単にできるようになったため、映画の物語自体がパズル的になっていく、という現象が起こったわけです。クリストファー・ノーランの『メメント』(2000年)や、イエジー・スコリモフスキの『イレブン・ミニッツ』(2015年)など、一度バラバラになった物語を、もう一度組み立て直す、という作品も増えています。日本でもアメリカでも、こうした変化が急速に起きている。

 これは、大きくはメディアの変化によるものです。こうしたメディア論的な視点から現代映画を捉える試みは、日本の映画批評においてはあまり見られず、むしろ作家論も含めて、映像文化論などといわれる学術的な研究の方が先行している印象があります。ただ、映画批評にしろドラマ批評にしろ、いま必要なのはこうしたメディア論的な視点です。なぜか。もちろん、これまでも映画にしろ、テレビドラマにしろ、アニメにしろ、メディアの変化というものはあったわけですが、それは各ジャンルのなかだけで語れたものでした。しかし現在のメディア的な変化は、映画も音楽も、活字媒体も含め、ジャンルを貫通して、ひとつのプラットフォームのなかで同時並行的に起こっている。つまり、音楽でいうiPodからSpotifyへの変化を知らなければ、デジタルシネマやKindleの変化の意義についても正確には理解できない、という状態になっているんです。それがデジタル化の本質ですよね。メディアの変化という地点から、映像の変化、あるいはカルチャー全体の変化について考えることが、非常に重要になっていると思います。

 この点でひとつ例を挙げると、例えばドラマにおいて、動画配信サービスの影響により、日本でも「binge-watching(ビンジ・ウォッチング)」=“一気見”という視聴習慣が広まっています。Netflixでも1話見終わると、すぐに次の回に誘導されて、結局、まるで映画のように何時間も観てしまう。つまり、映画とドラマの視聴経験にあまり境がなくなってきていて、まったく別ジャンルだったものがフラット化している。

 一方で、日本で言うなら宮藤官九郎、福田雄一、大根仁など、テレビドラマの演出家が映画を撮るようになりました。彼らは共通して小ネタの使い方が巧く、大きな物語をつくるというより、シーンごとに楽しめるネタを散りばめてきた。これはリアルタイムの視聴を前提としたテレビドラマ的な手法で、ワールドビルディングと一見、対極的なものですが、メディアの変化により各ジャンルの相互流動性が高まっていることで、映画にもうまく転用されるようになったのではないか、ということです。

 どのジャンルにもこのような二極化が見られ、中間的なものが弱くなっている、ということも言われています。一方では大きな物語を先につくってしまうワールドビルディングが主流となり、その一方では、小ネタ的な細部の面白さで勝負していく作品がある。全体が見えづらくなってきているメディア環境のなかで、どのように物語を提示するか、観客を惹きつけるか、という手法が、映像作品全体として重要になってきている。それは、現在のグローバル化社会、世界の構造をそのまま反映しているものと見ることもできるでしょう。

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