渡邉大輔が論じる、ワールドビルディング時代の映像コンテンツとこれからの文化批評

変化するメディアに求められる批評とは?

テクノロジー・ゲームやVRと映像作品の関係

 加えて、最近アメリカでは「ゲーム・ムービー」と言って、ゲーム的なシステムや演出技巧を取り込んだ映画が非常に目立っている、という議論があります。本当にわかりやすいところで言うと、MARVEL系の映画は完全にゲーム視点。昨年公開された日本のTVアニメ『宝石の国』もそうですが、戦闘シーンがかつてとは違うんです。これまでであれば、戦闘アクションは絵コンテを切る段階で、引きのショットを入れたり、キャラクターの動作をグッと溜めて見せるシーンを入れたりしていました。それが、最近の映画のキャラクターの動きは非常に滑らかで、それに付随するカメラの視点もキャラクターの肩の上などにあって、その動きに合わせて動き回る。このように、映像作品とゲームとのかかわりというものも、これから非常に重要なポイントになると考えています。

 また、テクノロジーとの関係で考えるとVRの存在も大きい。トレンドのキーワードとして「リプリゼンテーション(表象)からエクスペリエンス(経験)へ」というものがあり、例えば東京国際映画祭やヴェネチア国際映画祭でも、VROが設置され始めています。ひとつの方向性として、おそらく映画においても、ヘッドマウントディスプレイをつけて、VRでその世界を体験する、というふうになっていくでしょう。

 そこで重要なのが、観客とカメラの「距離」の設定です。つまり、観客は想像的に物語世界に没入できるが、インタラクティブに触れ合うことができない、というのがこれまでの映画だったが、VRやARの特性として、その世界を経験するということが核心になってくる。そのときに、現在の映画のストーリーテクニックや視聴体験と齟齬をきたす部分が出てきます。一番の違いはVRだと映像の「編集」がなくなる、つまり線的な物語を作るのにはVRは不向きです。また、視点が激しく揺れると、「映像酔い」の問題も出てくるはず。現状ではVRは映画やドラマというより、ゲームやテーマパークのアトラクションと親和性が高く、オールドメディアの物語に浸透してくるのは、映画やドラマにもうひとつ、大きな変化があったときで、あと5年~10年は難しいだろうという気がしています。ただ、ちょうど100年前の1920年代にも物語映画という新たな映像形式が成立し、それが30年代に花開きました。その歴史的な類推で行くなら、例えば、これからNetflixやHuluで映画が配信されていくなかで、タッチパネル的なインターフェイスでインタラクションができるようになると、2030年前後にまた文化的な大転換が起こるのではと期待しています。

(取材・構成=編集部)

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部助教。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■公開情報
『ブラックパンサー』
3月1日(木)全国ロードショー
監督:ライアン・クーグラー
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:チャドウィック・ボーズマン、ルピタ・ニョンゴ、マイケル・B・ジョーダン、マーティン・フリーマン、アンディ・サーキス、フォレスト・ウィテカー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Marvel Studios 2018
公式サイト:MARVEL-JAPAN.JP/blackpanther

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