脚本家・野木亜紀子は“今”を観察する解剖医だ 2018年を切り取った『アンナチュラル』のすごみ

脚本家・野木亜紀子のすごみ

 『アンナチュラル』(TBS系)が、ついに最終回を迎える。『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)で、現代を生きる私たちの心を掴んだ野木亜紀子によるオリジナル脚本。上がりに上がった期待値を、悠々と超えてくるその才能に惚れ惚れとした。

 野木本人も3月4日に放送されたラジオ特番『米津玄師×野木亜紀子アンナチュラル対談』(TBSラジオ)で語っていたように、女性主人公の法医学ドラマは“やられつくされている“テーマだ。1話完結ならではの明快さ、各エピソードを通して深まっていく仲間との絆……もはやテンプレート化された感さえあるジャンルで、『アンナチュラル』は決して後追い作品のひとつにとどまらない。それどころか2017年に書き上げたという脚本は、SNSによる自殺志願者、いじめ、仮想通貨、パワハラ、セクハラなど、まるで2018年を予言していたかのような現実味を帯びていることでも大いに話題になった。リアルの中に、希望となるエンタメを見出す。きっと脚本家・野木亜紀子は、“今”を観察する解剖医なのだろう。

 どうして死に至ったのかを探る過程は、その人がどう生きたかを見つめること。野木脚本と法医学ドラマの相性の良さは、今を生きる人々を丁寧に観察するスタイルにゆえんしている。その観察眼は、現代社会をもひとつの生き物として捉えているように感じる。そして描かれた『アンナチュラル』は、法医学ドラマのテンプレートやエンタメの予定調和をも次々とひっくり返していった。そのストーリーの展開に、現代がある転換期にきているのだと感じた。かつて“こういうものだ“と見過ごされてきた思い込みや価値観を切り開き、しっかりと見つめ直すタイミングであるということ。

 例えば、第1話の「名前のない毒」で印象的だった悲しみを表に出さない女性。恋人が亡くなったのに淡々としているなんておかしい、というのも誰かに植えつけられたイメージだ。悲しみの捉え方は一つではない。愛情の形が一つではないのと同じように。名前がついていない未知なる毒は、強き者やマジョリティによって淘汰されること。“不自然死“と大きく括られてきた現実は、“気の弱い人や声の小さい人が損をする世界“そのものに見える。それをおかしいと訴えるミコト(石原さとみ)=普通の人の声がヒーローとなる時代なのだろう。

 一方で、ミコト自身も一家心中で生き残った「普通」とは言い難い経歴を持つ。ある日突然、マジョリティがマイノリティになることも私たちは知っている。今ある幸せは、決して当たり前ではない。豊かさも、健康も、生きていることそのものも。なぜあの人が死ななければならなかったのか、なぜ自分は生き残ったのか……“生存者の罪悪感“に近い傷を、私たちも震災を通じて共通認識を持っている。「死ぬのにいい人も悪い人もない。たまたま命を落とすんです。そして私たちはたまたま生きている。たまたま生きてる私たちは死を忌まわしいものにしてはいけないんです」という神倉所長(松重豊)のセリフが心に響くのは、きっと同じ悲しみを乗り越えてきたからこそ。同じ時代をともに生きる仲間であると励まされるような感覚だ。

 とかくこの世は、不条理なことばかり起こる。いい人だと思った人が裏切者だったり、感じ悪い人が誰よりもピュアだったり、虫をも殺さぬ顔した人がミソジニーだったり、世界と瞬時に繋がる技術を手にしながら孤独死に怯えたり、ろくでもないと見限った息子が人助けをしていたり、被害者だと思ったら加害者だったり……中堂(井浦新)の言葉を借りるなら「今日も世界はクソまみれだ」。どんなに理不尽で、苦しくても、悲しくても、食べていかなくてはならない。目の前の事実を冷静に観察し、凝り固まった思い込みは捨て、試行錯誤を繰り返すミコトたちのフラットさこそ、混沌とした今の時代を生き抜く力だ。

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