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サエキけんぞうの『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEKーThe Touring Years』評:映画の主役は4人ではなく、全世界のファン

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 ビートルズは、デビューから1970年の解散、2016年の現在に至るまで未だに前人未踏の最前線を歩み続けている、そう感じさせる快作ドキュメンタリーがこの作品だ。

 ビートルズには、多重録音ポップスの開発、ループ・ロックの発明(ヒップホップの親)など、明らかに“発明”といえる案件が多い。解散後も、死んだメンバーとのセッション曲をチャート一位に放り込む(「フリー・アズ・ア・バード」(1995年)、クラブ系の最新技術だったマッシュアップでのアルバム制作「LOVE」(2006年、シルク・ドゥ・ソレイユサントラ)、そして昨年の『1』では、デジタル・リストアにより60年代映像を信じられないほど精細にする、など、今の今まで、技術面で前人未踏のトライを成功させ続けているのだ。

 もちろん、今の制作の担い手は、故ジョージ・マーティンの息子ジャイルズ・マーティンを筆頭とした、新しい世代に委ねられている。が、なお必ず“新しい地平”を作り出す気勢が満々なのだ。ビートルズの遺伝子は「何が何でもそれまでにない画期的な作品を創る、そうでなければビートルズではない!」という揺るがない矜持を持っているからなのだ。

 そうした視点で見ると、本作にも“ビートルズの革新性”が至るところで“発見され、織り込まれている”画期的な作品になっていることに驚嘆させられるだろう。

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 物語はデビュー前の1962年、リバプールのキャバーン・クラブから始まる。まず圧倒されるのは、ファンの想像を絶する熱狂だ。日本では、ビートルズの解散後は、ベイ・シティ・ローラーズやクイーン、そしてジャニーズ事務所所属グループなど、続々と凄まじい人気のグループが現れたために、そのおりおりの現役感にあてられ、ビートルズへの興奮は、過去の物と霞んでいった感があった。

 しかし、この映画で確認できるのはビートルズの起こした熱狂は記録を検証すればするほど凄まじいものだということ。それまでにもちろんないし、その後も超えるバンドはいない、文字通りの空前絶後の現象であったことが、数々の映像資料で味わえる。例えば、1964年6月のオーストラリアで、空港から街まで15キロの道には、何と約25万人の群衆がビートルズのために集まったという。その数はちょっと凄すぎないだろうか?
 
 ビートルズのファンの熱狂の映像といえば、今まで出演1作目の映画『ビートルズがやって来る/ヤア!ヤア!ヤア!』や、昨年の『1』などで断片的に知らされてきた。しかし本作では「ビートルズ現象とは何だったのか?」という視点から、徹底的にファン目線で狂躁の量と質が点検される。何と言っても興奮した少女達の表情がたまらない。「え? 女子って熱狂するとこんな顔するのか?」とうならせられる陶酔の表情が凄い。しかしその反対にボーっとして、一見よく想いが読み取れない女子、あるいは何故か冷静な女性もいる。今までのバンド映画はあくまでアーティストが主役だったが、ここでは“ファンが主役”なのである。ファンの様々な熱烈ぶりを観察しているだけでも面白い。

 こうした様子は、ファンもあまり知らなかったであろう人間によって証言される。例えばラリー・ケインというジャーナリスト。21歳でマイアミのラジオ局にいた時に、ビートルズにちょっと同行するつもりが64年、65年の全米ツアーに唯一同行することになった人物だ。彼の口から語られる4人は、米国の場でもいっそう気さくで、人なつこい。そんな飾りけのないメンバーが、巨大な大陸の熱狂と対峙する様子は、今まで知られてなかった鮮やかなレアさがある。

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 さて、音楽技術の更新により、長らくポップスは進化しているものと考えられてきた。だからビートルズの作品までが時代遅れと考えれたこともあった。特に初期の作品はその対象だった。しかし、万能なはずのコンピュータ音楽やサンプリング音楽のマンネリ化により、どの時代のロックにもその時代の使命と成果があるという考えが徐々に浸透してきていることも、この映画の感慨を後押ししている。前期ビートルズのライブ演奏は、その後にブレイクするハードなロックに負けない輝きがあるのだ。

 特に併映される米シェイ・スタジアムのライブは、リマスターされることにより、貴重な60年代前半のビートルズのライブ演奏の凄さが味わえる。客の熱狂が共にあることも重要だ。初期のライブを味わう障害になっていたのが「ビートルズは歓声がうるさすぎて演奏が聞こえなかった」「客は曲など聞こえなかった」、だからビートルズのライブは価値がなかった?という逸話だ。聞こえなかったことは間違いではない。だが認識を改めなければならないのは、ビートルズは、少なくともツアー終盤までは演奏に前向きだったことだ。特に観客の熱狂をポジティブに受けとめながらライブに向かっていたという事実が、現在のリスナーの認識に強く影響するはずだ。

      

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