「映画における“リアル”って、ただの“安心”なんですよ」ーー黒沢清監督『クリーピー 偽りの隣人』インタビュー

黒沢清『クリーピー』インタビュー

 昨年公開された『岸辺の旅』は国内外で大きな話題を集め、この秋には海外初進出作品『ダゲレオタイプの女』の公開も控えている。このところ黒沢清監督の周辺が、にわかに騒がしくなっている。そして、それはつまり映画好きにとって「至福の季節」が到来していることを意味する。

 そんな黒沢清の何度目かのピーク期において、本作『クリーピー 偽りの隣人』は人気ミステリー小説の映画化ということからもわかるように、久々にエンターテインメントに振り切れた作品となっている。また、一応ジャンルとしてはミステリー、サスペンスということになっているが、(予告編を観た人はお気づきのように)黒沢清監督と最も親和性の高いあのジャンルーーホラー作品に限りなく近接した作品であるとも言える。

 キャスト面では、西島秀俊と香川照之という、かつての黒沢清作品においてお馴染みの2人のアクターが顔を揃えていることに興奮させられる人もいるだろうし、西島秀俊と竹内結子という、『ストロベリーナイト』シリーズ(姫川玲子シリーズ)でお馴染みの2人が念願(?)の夫婦役を演じていることに感慨を覚える人も多いだろう。

 今回、リアルサウンド映画部は、近年になって頻繁に手がけるように原作ものに対して、黒沢清監督がどのようなアプローチで映画として発展させているのかについて焦点を絞って、話を訊いてみた。(宇野維正)
 

「キャラクターよりも、映画となる物語の流れが重要」

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黒沢清監督。東京・銀座にて

――今回の『クリーピー 偽りの隣人』は、文字通り気味が悪い話であるわけですが、「明らさまに気味が悪い話を気味が悪く撮る」ということには、ある種の難しさも伴ったのではないかと思うのですが。

黒沢清(以下、黒沢):それはその通りなんです。ただ、娯楽映画というのは、最初に観客が持っている期待に応える部分と、それと同時にその期待を裏切るというか、できることならその期待を超えていく部分、その両方を兼ね備えてなくてはいけないと思います。自分はそのバランスというのを考えながら、いつも映画を作っているわけです。

——個人的に、映画は映画、原作は原作だと思っていて、普段は映画を観た後にわざわざ違いを見つけるためだけに原作を読むことはしないのですが、『クリーピー』を観た後は、どうしてもそこが気になって、原作をすぐに手にとって読みました。で、実際にかなり違う部分があったのですが、原作からの脚色という点で、今回最も留意されたのはどのような点でしたか?

黒沢:原作を映画にする上で、いつも気にしているのは「原作の中のどのアイデアが最も映画的におもしろいか」ということです。『クリーピー』の場合、それは「隣に住んでいた男が実は○○だった」というところで。原作ではそれぞれのキャラクターの複雑な過去などが描かれているわけですが、なにせ映画は時間に限りがあるものなので、今回はそこに集中しようと。

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——えっと、その○○ってところは、ネタバレ的に言っちゃいけないところですよね(笑)。

黒沢:これがこの作品の取材で難しいところなんですよ。それが言えないと、何も喋れなくなってしまう(笑)。まぁ、要は、ある街に引っ越してきた主人公の夫婦と、その隣の家に住んでいる怪しい男、映画的にはその3人の物語に集中するというのが、この原作を映画にする上でやるべきことだと思ったわけです。

——今回の『クリーピー』に限らず、黒沢監督が原作のある映画にアプローチする上で最も大切にしているのは、その「映画的におもしろいアイデアがあるかどうか」というところなのでしょうか?

黒沢:そうですね。その物語の中に映画になりうる魅力的なシチュエーションがあるかどうか、それが映画に収まる長さかどうかっていうのを、つい最初に考えてしまうんですね。そこで、自分はあまりキャラクターには関心がいかない。だから、場合によってはキャラクターを自由に変えてしまうこともあるんです……そこが自分の問題なんだろうなって思うんですけど(笑)。僕にとってキャラクターというのは最優先ではない。それよりも、映画となる物語の流れが重要なんです。

——「映画になりうる魅力的なシチュエーション」というのは、それが映像で頭に浮かぶかどうかってことなんですか?

黒沢:これはね、ものすごく言葉にするのは難しいんですけど、映像ではないんです。あくまでも物語の中にあるアイデアなんですよね。舞台のバリエーションだったり、登場人物の数だったりが、そこまで多くない。そこに、ある種のコンパクトさがあるというのが実は重要だったりします。もっと具体的に言うと、映画にするのに相応しい脚本の構成というのは、大体90シーン前後だったりするんです。80シーンとか100シーンとか、そのくらいの違いはありますけど、不思議なことに、必ず90シーン前後に収まるんです。それで、「これは90シーンくらいで語れそうだぞ」と感じた時が、自分にとって「これは映画になるぞ」と思う時なんです。場所も、多すぎず、少なすぎず、5箇所くらいというのがちょうどいい。

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©2016「クリーピー」製作委員会

——今回の『クリーピー』はいわゆるエンターテイメント系小説で、エンターテイメント系小説というのは、その多くがリアリズムに重きを置いています。一方、これまで黒沢監督作品にとってリアリズムというのは、必ずしも重要視してこなかった部分だと思います。『クリーピー』の前半部分は黒沢監督作品としては非常にリアリズムに沿っていて、そこがとても新鮮に映ったのですが、やはり物語が進行するに従って、そのリアリズムのラインが曖昧になっていくように自分は感じました。監督とって、映画においてリアリズムのあり方というのをどのように定義をしているのでしょうか?

黒沢:定義というほど強いものがあるわけじゃないんですが、小説と違って映画にとってリアルというのは簡単なんですよ。小説によってリアルな描写をするのは難しいことなのかもしれませんが、映画でリアルを描写するには、そこにあるものを映すだけでいいわけですから。現実にあったもの、現実にあった事件を、できるだけ忠実に再現して、そのまま撮ればいい。そのまま撮ることにかけては、映画ほど簡単なことはない。カメラというのは、そういうものですから。

——なるほど。そうですね。

黒沢:なので、僕はどうしても、せっかくこれは映画なのだから、リアルではない場所までお客さんを連れていきたいと思うんです。最初からリアルを踏み外してしまうとお客さんがついてこられなくなってしまうこともあるので、最初はリアルを装うことはしますが、気がついたら、思いもかけない場所までお客さんが連れてこられてしまったと感じるような作品を作りたいと思ってしまうんですよね。そこにエンターテイメントとしての映画の価値があるんじゃないかなと。ハリウッド映画などでは、豊富な資金や技術といった底力でもって、そのために本当にいろんなアイデアを駆使して、最終的に観客をとんでもないところにまで連れていくわけですけど、資金や技術ではかないませんが自分が目指しているのもそこなんです。おっしゃるように、今回の原作では、とことんリアルを追求するという選択肢としてはあったし、実はそうしようかなと思っていた時期もありました。参考にできる、実際の事件、犯罪というものもありますしね。

——はい。近年の、いくつかの凄惨で陰惨な事件が思い浮かびました。

黒沢:でも、「お客さんはそれ、本当に観たいのかな?」と踏みとどまったんですね。特に香川(照之)さん演じる西野の家の中がどうなっているか、終盤になっていよいよ見えてくるわけですが、そこをどうするかについては、美術の方とじっくりと相談して、最も恐ろしい場所であると同時にちょっとホッとするような、いわばダークファンタジーのようなギリギリのラインを狙っていこうと。それが僕なりのエンターテイメント映画のやり方だし、お客さんが観たいのもそこなんじゃないかと自分は思ったんです。

——世の中の「映画をよく見る人」の中には、これは年配の人に多い印象があるんですけど、リアルじゃなくなった瞬間に関心を失ってしまう人というのも一定数いるようにも思うのですが。

黒沢:それもわかります。ただ、気をつけなくてはいけないのは、「映画で“リアル”とされているものって、本当に“リアル”ですか?」とも思うんです。映画でよくある“リアル”って、実は他の映画で見慣れているだけのものだったりするんじゃないかって。警察署内の取り調べでもいいですし、犯罪者の部屋でもいいですけど、これまで見慣れてきた映画やドラマから、人は何が“リアル”か勝手に判断しているんじゃないかって。その場合の“リアル”って、ただの“安心”だと思うんですよ。もちろんそれをすべて否定するわけではないですけど、僕はそれだけではつまらないなと。そこは僕の悪い癖なのかもしれませんが、自分の作品の中で、せめていくつかのシーンでは「こんなのこれまで映画で観たことない!」というものを観客に見せたいと、いつも思ってしまうんです。昔のように撮影所のルーティンの中で映画を作っているわけではなく、一応、最新の映画を毎回ゼロから作っている作り手としては。

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