>  > 『あぶない刑事』、映画化の背景を考察

名作ドラマの映画化に必要な3つの定石と、それを打ち破る『あぶない刑事』の現役感

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 過去の大ヒットドラマ(『あぶない刑事』は1986年10月スタートのテレビ連続ドラマであり、6作の劇場版もある)を改めて映画化する場合、“現在”との関係をどう構築するかが、極めて重いテーマとして存在することになる。どんな作品であれ、発表することを前提とした時、「なぜ、いま、この作品をつくるのか?」は必ず問われるテーマのひとつだが、とくにお茶の間の娯楽であるテレビは、メディアの特性上、時代(言い換えれば“現在”)を強く反映するものとなり、その結果、古くなるのが早い。昔大好きだったテレビドラマを見返してみれば、誰しもこの感覚は理解できるはずだ。

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(C)2016「さらば あぶない刑事」製作委員会

 さらに、テレビドラマの映画化は、無料で自宅で見られるものから、有料(大人は1800円もするわけで)かつ足を運んでもらうものになるため、テレビ以上の“豪華さ”を検討する必要がある。これなら1800円払う価値があると納得してもらえるような理由を用意するのだ。その“豪華さ”は、キャスティング、セットやロケ地、アクションやCGとして表れることがほとんどだろう。

 加えて、“既存のファン”も大きな検討材料だ。テレビでは放送枠に応じて制作費がおおよそ決まっており、その制作費の範囲内で作品をつくることになるわけだが、映画の場合は、まだ見ぬ観客を想像し、劇場・ビデオグラム・配信などでどれぐらい収益があがるのか見込みを立て、そこから逆算して制作費を決める。つまり、テレビは放送局から支払われる制作費内でつくればリスクはないが、映画は制作費・宣伝費などすべての費用(いわゆる総製作費)を回収できなければ赤字になるというリスクのある興行である。テレビドラマの映画化は、“既存のファン”がいるので基礎票を読むことができるメリットがあり、数多くつくられるわけだが、“既存のファン”の期待を裏切れば、アテにしていた数字に逃げられるといったパラドキシカルな落とし穴もうまれるのである。

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(C)2016「さらば あぶない刑事」製作委員会

 さて、今回の『あぶない刑事』だが、公式ホームページの情報から推測するに、鷹山敏樹(舘ひろし)と大下勇次(柴田恭兵)は、“老い”とどう向き合うのか!? ヒロインの夏海(菜々緒)・最強の敵ガルシア(吉川晃司)という“新キャラ”がメタファーとして背負うであろう“現在”は、何を問いかけるのか!? といった話を想像していた。

 つまり、“老い”と“新キャラ”が“現在”との関係を表す道具として用意され、“カーチェイス”“銃撃戦”が“豪華さ”を彩る。さて、“既存のファン”への目くばせはどうなっているのかしらと鑑賞してみると……もう想像と全く違う!

     
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