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安室奈美恵がJ-POPシーンに与えた影響は? デビュー以降の音楽的変遷を辿る

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 安室奈美恵が2018年9月16日をもって引退することを発表。発表から数日経つ今もなお、悲しみの声が後を絶たない。9月23日時点のiTunesトップソング10曲には、1位「Hero」、2位「Don’t wanna cry」、3位「CAN YOU CELEBRATE?」をはじめ安室の楽曲が7曲ランクイン。トップアルバムにも1位『BEST FICTION』含む3作品がランクインするなど、引退発表を機に安室が世に送り出してきた楽曲への関心が高まっている。安室の音楽的な歩みとJ-POPシーンに与えた影響について音楽ライターの鼎氏に話を聞いた。まず鼎氏はデビュー初期の安室の印象について以下のように語る。

安室奈美恵『BEST FICTION』

「東芝EMIからのデビュー当初はユーロビート調の楽曲がメインでした。小室哲哉さんのプロデュース・avexからのリリースは1995年『Body Feels EXIT』からで、『Don’t wanna cry』や『SWEET 19 BLUES』のようなブラックミュージック色の強い曲が徐々に増えていきました。歌声にはglobe・KEIKOさんや華原朋美さんなどとも違ったエネルギッシュさがあり、小室ファミリーの中でも特異な存在だったと思います。また、当時avexは90年代半ばまで洋楽の輸入盤をメインに扱っていたため、オリジナルのヒットアーティストがほぼいない状況でした。そういった中、安室さんがブレイクし、それに続くように浜崎あゆみさんやBoAさんらが登場。安室さんの成長とともにavexも音楽レーベルとしての影響力を強めていった印象です」

 小室哲哉によるプロデュース、avexへの移籍以降、ミリオンヒット作を次々と世に送り出した安室奈美恵。1997年には10代シンガーとしては史上初のシングル・アルバム総売上げ2,000万枚を突破するなど、驚異的な人気を誇った。そんな安室の音楽性におけるターニングポイントは、1999年以降にあると同氏は語る。

「当時の日本はいわばR&Bバブルとも言える状況で、mimiさんがドウェイン・ウィギンス、宇多田ヒカルさんがジャム&ルイスのプロデュースの作品を発表するなど、J-POPに本場のR&Bを取り入れるようになっていった時期。MISIAさんのヒットもありました。そんな中、1999年に産休から復帰した安室さんが小室さん楽曲2曲をリリースした後に発表したのが、ダラス・オースティンプロデュースの『SOMETHING ‘BOUT THE KISS』でした。彼はTLCやMonicaの作品でも知られる名プロデューサー。復帰後第1弾アルバム『GENIUS 2000』も小室さんとダラスの共同プロデュース作でした。安室さんのようなポップアイコンがダラスを迎えたことは音楽シーンにおいても大きな出来事でした」

 2001年発売のシングル『think of me/no more tears』を最後に小室プロデュースを離れ、2002年からはZEEBRA、VERBAL、今井了介らとSUITE CHICとしての活動もスタート。自身による選曲・アイデア出しなどのセルフプロデュースで本格的なR&Bを志向し、ジャパニーズR&Bの女王としての地位を確立していく。

「DOUBLEやAIさんとのコラボレーションも印象深いですが、<GIANT SWING PRODUCTIONS>のT.KURAさんとMICHICOさんのタッグによる楽曲の存在も彼女のキャリアを語る上では重要です。2008年のベストアルバム『BEST FICTION』には彼らの楽曲が複数収録されていますが、『GIRL TALK』のようなMICHICOさんによるリアルな女性像を描いたキャッチーな歌詞が多くの女性たちの心を掴みました。近年はavex関連の外国人プロデューサーを起用し、EDMを交えた最新のR&Bを体現した楽曲が中心の印象ですが、安室さんのブラックミュージックに対する造詣の深さ、J-POPにR&Bを浸透させた影響力は大きかったと言えるでしょう」

      

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