>  > DJ KAYAが語る『TRANCE RAVE』復活について

『FULLMOON RAVE 2017』開催直前インタビュー

トランスブームの立役者・DJ KAYAが語る、シーンの変遷と『TRANCE RAVE』復活の意義

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DJ KAYA
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 世界三大レイブのひとつと言われ、タイのリゾート地・パンガン島で満月の夜に平均3万人規模の観客を動員するレイブパーティー、『FULLMOON RAVE』にインスパイアされた日本版『FULLMOON RAVE 2017』が、東京・新木場のageHaを舞台に6月9日に初開催される。仕掛け人となったのは、90年代末~00年代初頭に起こった日本のトランスブームの火付け役であり、人気パーティー/コンピレーション・シリーズ『TRANCE RAVE』の中心人物として活躍したDJ KAYA。近年はCTSのサウンドプロデューサーを務める他、アニソンなど日本の音楽も含んだオールミックスDJとして海外でも活動する彼は、自身も当日出演アーティストとして名を連ね、この場所で『TRANCE RAVE』を本格的に復活させる。果たして、日本中を駆け巡った未曽有のトランスブームはどのように生まれたものだったのか。そしてトランスシーンの伝説的なパーティーが、今復活する意義はどんなものなのか。DJ KAYAに訊いた。(杉山仁) 

 原点は、お客さんが喜ぶかどうか

――そもそもDJ KAYAさんがトランスに出会った経緯は、どんなものだったんですか?

DJ KAYA:『FULLMOON RAVE 2017』にも繋がる話なので、まずはDJをはじめた頃の話からさせてください。トランスが流行る6年前くらい、『FINE』とか『東京ストリートニュース』って雑誌が流行ってて空前のサーファー、スケーター、B-BOYブームでまだ高校生だった僕は宇治田みのるさんや DJ KOOさんに憧れ、友達のPARTYでDJするくらいでした。たまたま大学生のPARTYでクラブに行ったら、めちゃくちゃ人は入ってるんですが、何となく盛り上がりに欠けてて。自分だったらもっと盛り上げられるって自信過剰にも思いました(笑)。だけど当時は敷居が今より高くて大学生の貸切PARTYですらDJを簡単にはやらせてくれるクラブがなかったんですよ。それで「自分でイベントをやるしかない」と思って、当時ブームだった大学生のイベントサークルでDJをするために、まずは大学受験を決意しました。イベントをやればクラブの箱DJの人に自分のDJを聞いてもらえるんじゃないか、というのも考えていました。

ーー大学生としてイベントを作らないと、DJとしてもクラブ業界にアピールできないと思ったわけですね。

DJ KAYA:ただ、僕は高校を辞めていて、そのとき大学を受ける権利がなかった。そこでDJをやりたいからと大検を取って、大学に合格して、DJ活動を優先させるために夜間の2部の学校に通いはじめたんです。

――なるほど。それはすごい話ですね。

DJ KAYA:それで友達を集めてサークルを作り、イベントをはじめたら、毎回お客さんが1000人ぐらいの規模のものになって、今は亡きベルファーレでの学生合同パーティーでは3000人ぐらいの人前でDJができるようになりました。その流れでそのときに一番盛り上がっていた、当時渋谷ギャルの聖地となっていたパイロンや横浜のファイア、人気DJ軍団ハイジーの先輩がオーガナイズしていた西麻布のリングなどでレギュラーを持つことができました。全部当時人気のハコで、僕は大学生だったものの、DJとしてもかなり忙しかったことを覚えています。ただ、avexから『Campus Summit』というCDを出す頃には、僕は自分がかけている曲に飽きてしまうようになった。それまでの僕は、とにかく「みんなが喜ぶ曲をかけよう」ということしか考えていなくて、当時は今で言うTOP40のヒット曲だけをひたすらかける感じで。展開の流れはもちろん意識しますけど、オープニングのダイアナ・キングの「Shy Guy」から終盤までただひたすらアガっていくだけのDJプレイ。
 当時はまだレコード文化真っ盛りですから、僕はみんなが喜ぶ曲をひたすら買い漁っていたので、オファーが殺到しました。ただ、そうしていくうちに、次第にみんなが知ってる曲ばかりかけることに飽きてしまった。もっと自分のためにプレイしてもいいんじゃないか。ある意味で、次第に考え方がプロ志向になっていったんですよ。

――人気DJになり色んなクラブで回した結果、DJとしての自我が芽生えてきた、と。

DJ KAYA:そうです。そうした中で「みんなが知らない曲で、同時に今までやってきたパーティーのアゲアゲ感を損なわないもの」として出会ったのが、当時ヨーロッパを中心に盛り上がり始めていたトランスでした。1997〜1999年頃の話ですね。トランスはヨーロッパ発の音楽ということもあって、当時全ての人が心底楽しめるような音楽ではなかったんですよ。特に1990年代っていうのは、まだ一般的にはキャッチーと言える曲もほとんどなかった。けれども、アマからプロに移行していった当時の僕にとっては、玄人好みのミックス技術も必要で、DJのこだわりも表現できる、これはもう素晴らしい音楽だったわけです。その勢いでDJ NeO君と六本木のクワイルって箱「元アールホール」で初めてトランス・イベントをやりましたが、お客さんは10人ぐらいしか入らないような感じでした。もちろんアンダーグランドなトランスシーンは盛り上がってました。それはワープハウスとか、UKハードハウスの延長という意味もあったと思います。その後System Fの「Out Of The Blue」が大ヒットして、Daft Punkの「One More Time」が出たときのようにトランスに興味がない人も興味を持ち始めて。そこでホームグラウンドでもある渋谷のシーンを盛り上げるために、これも今は亡き渋谷FURAという箱で毎月最終日曜日に『K-Style』ってイベントをはじめました。このイベントは、お客さんにトランスを紹介するために立ち上げたパーティーで、最初はトランス以外の曲もたくさんかけていましたね。渋谷FURAは3フロアあって、1FはヒップホップやR&B、2Fのメインフロアはオールミックス、そして3Fがトランスフロアでした。毎回、DJ NeOが盛り上げてる3Fのフロアを早めに閉めると、そこにいた200人ぐらいの音好きな客さんが、大きなメインフロアに降りてくる。そうしてトランスのノリ方を知らないお客さんたちと融合することによって、ラスト1時間はトランスオンリーの楽曲で爆上がりするという状況が生まれていきました。それで2001年4月に、いよいよメインフロアを完全なトランスオンリーのフロアに変えたんですけど、その映像をavexの友達に見せて、「渋谷はこんなことになってるぞ!」と伝えたら、その映像が会議で使われ、それがきっかけになって生まれたのがavexの『Cyber TRANCE』だったらしいです。これ、記憶違いだったらすいません(笑)。ただ、そういった経緯があって、Cyber TRANCE立ち上げの20時間TRANCEというイベントにはK-STYLEとして参加させてもらいました。

――KAYAさんが種を蒔くことになったわけですね。

DJ KAYA:そこから東京だけじゃなく日本全体で流行りはじめていくんです。EDMもそうですが盛り上がり過ぎると新たな進化を遂げて本来のものとは違う、ポップなものが日本で流行りはじめていくんです。もちろん、賛否両論ありますが、今となってはシーンが大きくなり良い事だと僕は思ってます。でも、そこで、僕はまた葛藤することになった。「これは自分がかけたい音楽なのか?」と。結局、当時の僕はプロぶっていただけなんですよ。寿司屋の頑固おやじみたいに「こんな客には握りたくねえ」って。それで『K-Style』を止めて、一時期、求めてない人に無理やりかっこいい音楽を押し付けるような酷い自己満足なイベントもやりました。きっとDJとしてちょっとだけ売れたことで、勘違いしていたんだと思いますね(苦笑)。そのくらいの時期に、〈QUAKE RECORDS〉のDJ UTOくんが『マネーの虎』に出て、「トランス・ミュージックの会社を作りたい」と言って1000万円を獲得して。僕がプレイするかどうか迷っていたポップなトランス・レーベルと独占契約します。そこからビクターの金子さんが『TRANCE RAVE』も、〈QUAKE RECORDS〉の音源を使ってコンピを作ろうという話になるんです。というのも、ちょうど同時期に、いつもDJをやっていた横浜のclub MATRIXのパーティー『FORMAL HIPPIE』の常連だった影山君に、「KAYAっち最近評判悪いよ。『全然アガらない』って言われてる」と教えられて。かなりショックでしたが「このシーンの中で自分がやってることって、完全に間違えてるな」と気づいたんですよね。これはセルアウトという思考とは違うんですけど、「僕の原点スタイルは、お客さんが喜ぶかどうかがすべてだ」ということに改めて気づいた。それでイベントを立ち上げて、CDも新しく生まれ変わらせたのが本当の『TRANCE RAVE』のはじまりだったんです。CDだと『TRANCE RAVE 5』あたりになります。ちょうど渋谷FURAが閉まり、渋谷ATOMに移り変わる時期でもありました。当時サイケは個人的にあまり好きじゃなく、自分のイベントでは絶対やらない感じでしたが、『TRANCE RAVE』からはサイケのフロアも作りはじめました。

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