Mellowhead深沼元昭が語る、音楽家としての信条とサヴァイヴ術「『周りが見えない力』も大事」

150417_mf_1.jpg

 

 深沼元昭のソロユニットMellowheadが、6年ぶりのオリジナルアルバム『Kanata』をリリースする。自身のヴォーカルに加えて、片寄明人(GREAT3)、西寺郷太(NONA REEVES)、堀込泰行(ex.キリンジ)がゲストに参加。彼の持つ卓越したセンスが、独特の乾いた味わいを持つAOR〜ソウル・ミュージックに結実した一枚となっている。

 93年にバンドPLAGUESのボーカル&ギターとしてメジャーデビュー、02年の活動休止後にはソロと並行してプロデューサーとしてのキャリアも重ねてきた彼。現在では、Mellowheadに加え、元PEALOUTの近藤智洋らと結成したバンドGHEEE、2010年に再始動したPLAGUESも含め様々なプロジェクトで活動を続けている。そして、プロデューサーとしてchayなど数多くの新鋭を手がける一方、ギタリストとして佐野元春や浅井健一の作品やライブなどにも参加。46歳となった今も八面六臂の活躍を続ける彼に、ミュージシャンとしての信条とサヴァイブの秘訣を訊いた。(柴那典)

「もともと自分一人で音楽を完成させるということに意欲があった」

――Mellowheadとしての新作アルバムは6年ぶりとなりますが、どういうところがスタート地点になって作り始めたんでしょうか。

深沼元昭(以下、深沼):6年ぶりとは言っても、その間には2010年のPLAGUES再始動もあったし、GHEEEも2作品出していて。ずっと僕としては毎年一生懸命何かしらをリリースしてきたんですよ。そうして、気付いたら6年経ってたという。

――いくつものプロジェクトが同時進行で進んでいるゆえ仕方ない、と。

深沼:自分としてはMellowheadがメインのプロジェクトだと思ってるんです。でも、PLAGUESやGHEEEは他のメンバーがいるし、ライブの話もある。そういうことがきっかけになって曲を書いたり、リリースしたりすることになるわけですね。でも、Mellowheadはパーマネントなメンバーがいないので。なので、結果的にこうなってしまったっていう感じです。

――Mellowheadはそもそも2002年に始まった深沼さんのソロプロジェクトで、それがスタートしたのはデビュー以来活動してきたPLAGUESというバンドの活動が止まった後だった。その時点では打ち込みとかスタジオワーク中心でやっていくイメージだったんですよね。

深沼:そうですね。最初はライヴをやるつもりもなかったです。僕自身、もともと自分一人で音楽を完成させるということに意欲があったんですよ。音楽を始めたのも、小学生の時に従兄弟に影響を受けたのがきっかけで。彼がカセットMTRを使って自宅で音楽を作ってたんですよ。薄暗い中でレベルメーターが光ってるのを見て、松本零士みたいで格好いいと思った。それが音楽をやりたいと思った原体験だったんです。

――バンドというよりも宅録が原点にあった。

深沼:もちろんPLAGUESでデビューしたので、自分がバンドの人と思われてもよかったんですけれど。その後99年に深田恭子さんの「イージーライダー」というシングルを作ったのも一つの転機になりました。それが運よく売れたこともあって、その後たくさんのオファーがくるようになった。そこからプロデュース業を始めるようになったんです。その頃はちょうどレコーディング機材がPro Tools中心になっていく時代で。僕も自分の家である程度は同じことができないと時間も無駄だということで、仕事で稼いだお金を自宅スタジオに投資した。それもあって、最初は完全に個人のスタジオワークで完結できるものとしてMellowheadを始めたんです。

――そこから10年以上経ち、今の深沼さんは、MellowheadとPLAGUESとGHEEEだけでなく、プロデューサーもやり、一方で佐野元春さんのバンドのギタリストも務めている。音楽活動の幅が大きく広がっています。

深沼:今は全部が楽しいし、やり甲斐がありますね。いろんな仕事を与えてくれた人に感謝したいです。デビューして22年経って、ホントにここ数年でミュージシャンになれた気がします。もともとは30歳くらいでミュージシャン辞めるつもりでしたから。

――そうなんですか?

深沼:PLAGUESでデビューした時は、アルバムを3枚くらい作って解散するのがバンドとして一番美しいと思ってたんです。その後は引退しようと考えていた。当時の自分が憧れた格好いいミュージシャン像というものはそういうものだったし、それでいいと思ってたんです。でも、そこから長く続けて、いろんな局面があって、いろんな立場で音楽に携わるようになった。ただ自分のやりたいようにやっているわけじゃなく、責任を持って期待に応える状況の中でやっていくようになった。そういう中で「ミュージシャンって楽しいな」と思うようになった。第二の喜びがあったんですね。最初にPLAGUESをやっていた頃と今では考え方は全然違うと思います。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる