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石井恵梨子がニューアルバムを分析

女王蜂はポップ・ミュージックの真ん中へーー新作『奇麗』に込められた音楽への愛

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 女王蜂の新作『奇麗』が良い。とても良い。

 豪快なバンド・サウンドであり、ぶっ飛んだダンスミュージックであり、最高に楽しいエンターテインメントである。そしてその奥には深い洞察がありカルマがあり、切ないほど正直に生きようとする人間の本音がある。本音はえげつない。しかし圧倒的に美しい。

 これこそ女王蜂だと思っていたし、その魅力は以前も今も変わらないのだが、新作『奇麗』をさらに輝かせているのは楽曲とアレンジの豊かさだ。「アヴちゃんの曲って実はすごく緻密、精妙に作られてていつもびびる」とはドレスコーズの志磨遼平が先日ツイートしていた言葉だが、同業ミュージシャンでなくとも、今回はそのことを自分の耳で実感できるはず。轟音ディストーションを後退させた『奇麗』は、彼女たちが真正面からポップ・ミュージックに挑んだ作品。まさに緻密で精妙なプロフェッショナル仕事なのである。

 ボーカル・アヴちゃん、ベース・やしちゃん、ドラム・ルリちゃん。そこに新加入したギタリストのひばりくんが、どれだけバンドの制作過程を変えたのかはわからない。ひばりくんが変えたというより、活動休止を経たことで3人の意識が変わったのかもしれないが、ともかく、4人は今回どこまでも真摯に音楽と向き合っている。誰よりド派手なお洋服を着れば勝ち!という思考はない。きめ細やかな模索と、熟考のうえの足し算と引き算。その判断すべてに愛を感じる。音楽への愛。また再び女王蜂ができることへの深い愛情を。

 俎上に載せたいのはシングルになった「ヴィーナス」だ。4つ打ちのゴージャスなダンスナンバーは、かつて女王蜂の名前を一躍有名にした「デスコ」を彷彿とさせるが、狂騒的な楽しさで突っ走る「デスコ」に比べ「ヴィーナス」のアレンジはどこまでも奥が深い。

 いかにもロックなギターで幕を開け、きらびやかなシンセが天空に虹を掛けるように伸びていく。ファンキーなベースが気分と視線をぐいぐい引っ張り上げ、一瞬のブレイクのあと、スポットライトのあたるステージがパーンと見えてくる。そこに立つのは無論アヴちゃんの歌なのだが、観客(リスナー)はヤケクソ気味に髪を振り乱している4人の姿に圧倒されるわけではない。追ってみれば複雑なのに難解な印象を与えない主旋律。Bメロに入ると鮮やかな転調があり、サビには電気グルーヴ「Shangri-La」に匹敵するほど美しいストリングスが施される。さらに転調。そのあとに来る二度目のAメロが最初よりだいぶキーを上げたものであることにも注目したい。地声もファルセットも区別がないアヴちゃんだからこそできる、転調に継ぐ転調。それを最大限に活かしているのが今の女王蜂の大きな魅力だろう。

 最もゾクゾクするのは2分半を超えてからの展開だ。豪華絢爛だった音がふっと消え、クリーンなギター音とボーカルだけが残り、静かな歌声が幾重のハーモニーになって膨らんでいく。考えぬかれた和音構成。そしてギターソロを挟みいよいよ三度目のサビに至る瞬間、アヴちゃんの後ろにはバンド・サウンドではなくピアノが静かに鳴っている。しかし踊る体は止まらない。踊りながら無重力空間に投げ出されていくような快感は、もはやアンダーワールドに近いか。エグい不協和音や偽悪的ノイズはひとつもない世界。楽器が、音楽が、本来持っている自然な美しさを重視した音選び。それなのに終始鮮烈な驚きがあり、ビートが続く限り永遠に踊っていられるダンスミュージックとして機能しているのだ。

 たった4分のダンスチューン「ヴィーナス」は、このように音楽的に語ろうと思えばどこまでも語れる曲であり、しかし、フロアで流れれば誰もが我を忘れて踊り狂えるアンセムにもなるだろう。これを名曲と言わずしてなんという。この完成度をポップ・ミュージックの強度と言わずしてなんといえばいい。

女王蜂 『ヴィーナス MUSIC VIDEO(FULL VERSION)』

     
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