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ソロ活動20周年・ベストアルバム3部作インタビュー(後編)

TOWA TEIが語るポップの定義「ほんの一瞬でもテイ・トウワっぽさが耳に残るようにしたい」

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 TOWA TEIが、ソロ活動20周年を記念したリミックスベストアルバム『94-14 REMIX』を7月23日にリリースし、9月3日に20年間に発表してきた楽曲の中からセレクトしたオリジナルソングのベストアルバム『94-14』と、カヴァーソングのベストアルバム『94-14 COVERS』をリリースした。今回リアルサウンドでは、TOWA TEIの他に例を見ない音楽キャリアをたどるロング・インタビューを実施。前編で語ったソロ活動前史を語った前編に続き、後編ではCD全盛期から現在までの音楽シーンの変遷と自身の制作方法、さらには長年の活動の中で見出したポップ論についても語ってもらった。聞き手は小野島 大氏。(編集部)

「ラウンジ・ブームの先駆者みたいに祭り上げられた時はびっくりした」

ーーそれがファーストアルバムの『Future Listening!』(1994年)ですね。ところでDJという仕事は、お客さんを楽しませることが第一義だから、いわば職人的な面も強く求められますよね。

テイ・トウワ:僕ら職人だと思いますよ。一種のサービス業。アートフォームに昇華してる方もいますけど、僕はそんなおこがましいことは言えない。

ーーでもそうした頼まれ仕事的なリミックスワークをこなすうち、サービス業だけではない、自分の中のアーティスティックな衝動のようなものを確認したということですか。

テイ・トウワ:いや、そのその時点でもぼんやりとしかわかってなかったですね。とりあえず目先のファーストアルバムを出すことになって。ちょうど29歳ぐらいの時だったと思うんですよ。なんとなく30歳までに完成したいなあと、よくわかんない目標を自分で作って、ぎりぎり間に合ったんですけど。でもディー・ライトのDJのソロ・アルバムって、みんなキアーのソロは期待するだろうけど、一番寡黙な東洋人がソロだしても相手にもされないんじゃないかと、ちょっとビビってたんです。ところがヨーロッパ、特にドイツ、フランスあたりでラウンジ・ブームの先駆者みたいに祭り上げられちゃってびっくりしました。日本では小西(康陽)さんとかサバービア橋本(徹)君とか、ああいう人たちみたいなのを聴いてる人たちが10人ぐらいーー100人かもしれないけどーー買ってくれるかもしれないなあ、と思ってたんです。

ーーそりゃ謙虚すぎです(笑)。

テイ・トウワ:そういえば、昔岸野君に言われたことがあって。”テイ君、絶対100枚以上売れるようなアーティストになったらダメだよ”って(笑)。100枚売れるようなセルアウトだけはやめてくれって(笑)。

ーー(笑)岸野さんにそんなこと言われたんですか。100枚どころか何百万枚…

テイ・トウワ:ディー・ライトの日本公演のあとに岸野君に会ったんだけど、700万枚売れてどう思ったのかなあ…。

ーー今度聞いてみてください(笑)

テイ・トウワ:僕もびっくりしましたけどね。なんでソロになっても思ったよりもうまく行っちゃって、現在に至ってる感じですね。

ーーちょうどディー・ライトでテイさんが出てきた時期は世の中がいわゆるバブル好況の時代に突入する時期でした。そしてセカンド・アルバムの『SOUND MUSEUM』がリリースされた1997年に日本国内のオーディオソフトの総生産実績はピークに達して、その後はずっと音楽業界の売り上げはシュリンクし続けています。つまりテイさんは音楽業界が景気が良かった時期と悪くなった時期の両方を経験されているわけですが、そうした経済動向は音楽の制作現場で感じることはありますか。

テイ・トウワ:10年前ぐらいから、あれれれ、こりゃ厳しくなっていくな、というのは感じてたし、教授とかも“CDはもうなくなる”って断言してましたね。僕は、なくなりはしないだろうなとは思ってて。希望も含めて、パッケージを作るのが好きなんで。もともと、好きな音楽のグラフィックに関わりたくて美大にいこうと思ってたんです。

ーーYMOのベスト盤のジャケットデザインをやられてましたね(『YMO GO HOME!』1999年)。

テイ・トウワ:ええ。それは僕が周りの経済状況などとは関係なく音楽をやり続けていたおかげだと思うんです。いつもジャケットを自分でやっているのを見てくれて、テイ君にって細野さんが言ってくれたから。音楽やっててよかった、音楽を好きになってよかったと思いますね。

ーーテイさんは「Sweet Robots Against The Machine」やその後の『FLASH』が自分の音楽のあり方のひとつの変わり目だったとおっしゃってますが、それはそうした経済動向と関係していますか。

テイ・トウワ:そもそも<関係ない>ことってないと思うんですよ。いろんなことが関わり合っている。26歳の時にディー・ライトを始めて、今50歳じゃないですか。26の時に50の気持ちなんてわからない。50になった時に、26のころの何も考えてないことは、なんとなく覚えてますけどね。ステージがどんどん変わっていくわけで、ずっと同じ面にいたいと思う人もいると思うんですけど、なんとなく僕は流されて面が変わっていってるのかなあ、と。それから、ぶっちゃけ35歳の時に軽井沢に家を建てて。それもひとつの変わり目ですね。僕がそれまで住んでたところって横浜、東京、ニューヨークと都会しかなかったから。引っ越そうと思ったのは子供の体調ですね。小さい子はアトピーとか喘息とか、そういう発作がいつ起きてもおかしくない。子供は元気でさえいてくれればいいから、受験なんてどうでもいいしね。で、同じころに税理士に、スタジオ兼事務所と自宅の家賃だけですごい額を払ってますよって言われて。

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