無原唱レコード・松永依織が語る“6年間の軌跡” 全力で走り抜けた日々を振り返るラストインタビュー

2020年に設立され、音楽に特化したバーチャルアーティストを多数輩出してきた音楽事務所・RIOT MUSIC。同事務所のレーベル・無原唱レコードに所属する松永依織は、2026年9月をもって卒業することを発表している。
事務所が設立されてからすぐの2020年9月にデビューした松永は、その後ライブや配信といった活動を通じてVSingerの歴史を6年間にわたって切り拓いてきた。
本稿では、そんな彼女のラストインタビューをお届け。活動黎明期から現在に至るまでのターニングポイントや、卒業を決めた理由、そしてラストライブに向けた意気込みに至るまで、現在の心境を赤裸々に語ってもらった。(森山ド・ロ)
「毎日のように自分と向き合っていた」 活動黎明期を振り返って
――活動を始めた当時は、どのような人間だったと記憶していますか?
松永依織(以下、松永):6年前の自分を振り返って最初に思うのは、「すごく空っぽだったな」ということです。いきなりマイナスな言い方になってしまうんですけど、当時は自信もまったくなくて、ただただ歌が好きという気持ちでオーディションに応募しました。
活動を始めてから、特に最初の1年間は毎日のように自分と向き合っていました。「自分は何が好きなんだろう」「どんなことに興味があるんだろう」というところから、一つずつ探していった記憶があります。
――そこから現在と比べてどのような変化をとげていきましたか?
松永:社会経験もほとんどなかったので、活動を通していろいろな大人と関わるなかで、その部分も大きく変わりました。最初はスタッフさんへの連絡で使う敬語もよく分かっていなくて、「お世話になっております」という言葉も活動を始めてから知ったくらいです(笑)。
自分の意見を文章や言葉で伝えるときも、当時は感情だけで話してしまう癖がありました。きっとスタッフさんたちは、私の文章を読み解くのが大変だったと思います(笑)。そういうことも含めて、本当に何も知らない状態から始めたんだなと思います。
ただ、逆に言えば、分からないなりにものすごく頑張っていました。自分で言うのも恥ずかしいですけど、昔から努力家ではあったと思います。やる気だけはすごくあって、本当にそれだけで生きていました。
――活動を通して、社会人としての経験も積んでいったんですね。
松永:そうですね。スタッフさんへ送る文章などで分からないことがあると、父に相談していました。送る前に一度見せて、全部添削してもらっていましたね(笑)。
――オーディションを受けた当時、歌手としてどのような未来を思い描いていましたか?
松永:当時は本当に漠然としていました。「アニソンを歌いたい」「アニソン歌手になりたい」というくらいで、そのころ憧れていたアーティストさんのようになりたいという気持ちが強かったと思います。
「まずこれをやって、その次にこれをやって」という具体的な道筋が見えていたわけではなくて。ただ、小さいころからずっと「歌で生きていくんだ」という気持ちは持っていました。その延長線上に、いつか何かの主題歌を歌ったり、大きな会場でライブをしたり、自分を応援してくれる人たちで会場をいっぱいにしたりする未来を思い描いていました。
――アニソン歌手への憧れから始まって、活動を続けるなかで目標や意識は変化していきましたか?
松永:そうですね。活動を始めた当初は、プロデューサーさんやディレクターさんと相談しながら、「松永依織」のアーティスト像を一緒に作り上げていきました。
そのなかでさまざまな音楽に触れて、自分が好きなものと、自分に合っているものは必ずしも同じではないことも少しずつ理解していきました。活動を重ねながら「こういう曲もあるんだ」「こういう音楽もいいな」と知ることで、考え方や目指す方向もいい意味で変わっていったと思います。
――デビュー前に、ほかのバーチャルシンガーの活動を参考にすることはなかったのでしょうか?
松永:実は当時、「バーチャルのアーティストではなく、リアルのアーティストを参考にしてほしい」と言われていました。配信の企画についても、ほかのVTuberさんの配信内容を参考にするのではなく、独自に考える方針だったんです。
なので、配信をメインにする前は週に1回ほど配信していましたが、そのころもほかのバーチャルアーティストの配信を研究することはほとんどありませんでした。もちろん趣味として見ることはありましたけど、活動の参考にするという意識ではなかったですね。そういう意味でも、少し特殊な環境だったのかもしれません。
活動のターニングポイントとなった「配信」への注力
――活動初期のターニングポイントや、現在につながっていると感じる出来事を教えてください
松永:配信をメインに活動することが決まったときですね。間違いなく大きなターニングポイントだったと思います。
――と、いうと?
松永:最初の1年ほどは、当時所属していた5人が平日に1日ずつ配信し、それとは別にカバーMVを公開する形で、どちらかといえばMVを中心に活動していました。ですが、ある時期から私だけ配信頻度を増やしてみることになったんです。
もともと私は話すことが苦手で、配信にも強い苦手意識がありました。カバーMVを出したり、歌を中心に活動したくてRIOT MUSICのオーディションを受けたので、当時のマネージャーさんから「配信をやってみない?」と提案されたときは、すごく迷いました。ただ、そのころは活動が伸び悩んでいた時期で、せっかく新しいきっかけをいただけるのなら、がむしゃらに挑戦してみなければいけないと思ったんです。
最初はゲーム配信や雑談配信から始めて、週4回ほど配信するようになりました。結果として、それが現在の活動につながっています。配信をメインにしたからこそ、最初のワンマンライブも実現できました。あの転換がなかったらどうなっていたのか、今では想像できないですね。
――当初は苦手だった配信について、現在はどのように感じていますか?
松永:今でも自分の得意分野だとは思っていませんが、苦手意識はなくなりました。いまは配信することが楽しいです。だからこそ、これだけ長く、たくさんの配信を続けてこられたのだと思います。
――配信を続けてきて、「やっていてよかった」と感じるのはどんなときですか?
松永:音楽だけでは伝えられない自分の一面を知ってもらえたことですね。ライブではかっこよく見せたいという気持ちがありますが、毎日のように配信していると、自然と素の部分が出てきますから。
それと、配信を通して自分でも知らなかった自分を発見することもありました。雑談配信でリスナーさんと話しているうちに、「自分はこう思っていたんだ」と気づいたり、頭のなかにあった考えがまとまったりすることも多かったんです。
――苦手を克服しただけではなく、むしろプラスに持っていったんですね。
松永:もちろん歌も好きになってほしいですが、私自身のことも好きになってもらいたい。配信をきっかけに私自身を好きになってくださった方も多いので、本当に続けてきてよかったと思います。ただ、それもコメントをくださるリスナーさんがいてくれたからこそです。私のほうからも、みなさんに「ありがとう」と伝えたいですね。
――音楽活動とは違う一面は、意識して見せていたのでしょうか?
松永:意識的に差別化していたわけではありませんが、結果として自然に違う一面が出ていたのだと思います。
活動初期は、当時のプロデューサーさんから「配信を見ても素の部分が分からない」「壁があるように見える」とよく言われていました。配信が苦手だったころは、「自分はこう見せなければいけない」「こうあるべきだ」という意識が強く、素の自分を見せることが苦手だったのだと思います。
それも毎日のように配信を続けるなかで、自然となくなっていきました。現在はかなり素の自分を出して配信できるようになったと思います。それがいいことなのかは分かりませんけど(笑)。
芽生え始めた“アーティスト・松永依織”としての自覚
――音楽活動のなかで、アーティストとしての実感を得た出来事はありますか?
松永:「カクテルライツ」は人生で初めてのオリジナル曲だったので、「ここから自分のアーティスト活動が始まるんだ」という感覚がありました。
それまでも、ライブに足を運んでいただいたり、自分の歌に対してお金を払っていただいてる以上、プロとしての意識を持たなければいけないというのは常に心得ていましたが、特に、オリジナル曲を発表したころから、アーティストとしての実感が少しずつ生まれたのだと思います。
――「カクテルライツ」から始まった音楽性は、その後どのように現在のロックを中心としたスタイルへ変化していったのでしょう?
松永:もともとさまざまなジャンルの音楽が好きで、カバーでもジャンルを問わず幅広く歌っていました。最初は自分のジャンルを明確に定めていなかったので、初のオリジナル曲は、私の趣味であるお酒を起点に方向性を考えていったんです。「お酒と結び付けるなら、こういう曲が合いそうだよね」というところから、「カクテルライツ」が生まれました。
一方で、もともとロックやバンドサウンドも好きでした。はっきりとロックの方向へ進み始めたのは、オリジナル曲でいえば「Crossed Identity」だったと思います。「我儘コンフリクト」の後に、スタッフさんに「今後はどんな音楽をやりたいですか?」と聞かれて、そこで「ロック」と答えた記憶があります。その頃から、カバーMVでもロック系を増やしていき、リスナーさんからも良い反応をいただけたので、 それもあって、「Crossed Identity」につながったのかもしれません。
――結局やりたいことをとことんやる方向に行ったんですね。
松永:幅広いジャンルを歌ってきたからこそ、「自分はどのようなアーティストで、どこを目指せばいいんだろう」と長い間悩んでいたんです。自分のスタイルを確立したいと考えた末に、やはりもともと好きだったロックが一番自分の気持ちに合っていると気づき、スタッフさんへ相談しました。活動を続けるなかで自分のやりたいことが自然と表に出たんだと思います。
――チーム全体で松永さんのやりたいことを模索していた時期だったのかもしれないですね。
松永:「Crossed Identity」の次に制作した「Blazing Out」の時に、ロックを肉料理、それ以外のジャンルをエスニックなどの別の料理にたとえて、「次も肉料理で続けますか?」って聞かれたんですよ。そこで私は即答で「肉でいきます」と答えて、現在のロックを中心としたスタイルが確立されていきました。やりたい音楽をやらせてもらえるようにすり合わせができたことが大きかったですね。運営チームとしても、プロデューサーのクボPを筆頭にアーティストのやりたいことを尊重するスタイルだったので、やりたい音楽を実現できる環境が、少しずつ整っていったんだと思います。
――松永さんのやりたいことと、スタッフやファンが求めるものが自然に重なり、ロックシンガーとしての基盤ができていったんですね。歌唱技術については、活動初期からどのような部分が成長したと感じていますか?
松永:一番成長したと感じるのは、呼吸の使い方です。以前は息継ぎをするときに音が入る「有声ブレス」がとても多かったんです。それ自体が悪いわけではなく、歌い方の個性にもなりますが、私の場合は意識せずにやってたんですよ。
ボイストレーニングへ通うようになって、先生から、有声ブレスは喉を痛めやすくなることや、息をきちんと吐いたり吸ったりできていない可能性があることを教えてもらいました。ブレスの後に発声するとき、喉を締めてしまう癖もあったそうです。そこを直すために長い時間をかけてトレーニングしてから、歌の成長を強く感じるようになりました。ブレスは表現の幅にも関わりますし、歌のあらゆる部分につながっていると思います。
――呼吸の使い方を改善すると、スタミナにも影響するのでしょうか?
松永:もちろん影響します。息を十分に吐けていない状態で、さらに吸おうとしてしまうと、歌っているうちにどんどん苦しくなるんです。苦しくなった分だけ、1曲を歌うために使う体力も多くなります。
長時間にわたって歌うワンマンライブでは、以前の呼吸のままだとかなりつらかったですね。最初のワンマンライブのころは、酸素缶がなければ乗り切れないほどでした。呼吸を改善してからは喉への負担が減り、以前よりも長時間歌えるようになりました。ライブでのスタミナもついたと思います。
――音域にも変化はありましたか?
松永:私は昔から低音が苦手でした。低音は高音よりも鍛えるのが難しいといわれていますが、息の使い方を改善したことで、少しは、低音も安定して維持できるようになったと思います。基礎って本当には大事ですよね。
――呼吸以外で、歌唱面の成長を感じる部分はありますか?
松永:昔は、本当にまっすぐ歌っていました。細かな歌唱技術をほとんど持っていなくて、ただ自分の好きなように、大きな声で歌っていたような感覚です。
現在はいろいろな場所で歌わせていただく機会が増えて、ありがたいことに「歌が上手い」と言っていただけることが増えました。ただ、最初からそのように評価されていたわけではないと思います。
活動を続けるなかで収録する機会が増え、自分の歌を聴き返すことも多くなりました。そこで自分の歌には何が足りないかをたくさん考えるようになり、少しずつ細かい技術面についても学ぶようになったんです。
――さまざまなジャンルの楽曲をカバーした経験も、成長につながっていますか?
松永:そうですね。かなりつながっていると思います。私が楽曲をカバーさせていただく際には、まず原曲を何度も聴き込みます。そのなかで、そのアーティストさんの歌い方や表現の仕方でいいなと思ったものを自分なりにかみ砕いて参考にさせていただくことが多かったです。そうしてさまざまなアーティストさんの表現に触れる中で学んだことが、 自分の歌にも繋がっていったと思います。


















