「AIが書いた小説」は作品と呼べるか? 文学賞を揺るがす“創作とAIの境界線”を考える

小説の新人賞で応募が急増しているという。理由として挙げられているのが、生成AIの普及による利用拡大だ。使用を禁止したとしても、そこに生成AIが使われたか調べようはない。だからといって使用を認めれば、応募数は果てしなく増え続ける。読み手の方にも「AIが書いた小説は面白いのか」といった迷いが浮かぶが、人間では思いもよらない斬新な作品が生まれてくる可能性もある。複雑で厄介なこの問題に作家は、そして読者はどう向き合ったら良いのか?
星新一賞、入賞4作品中3作品に生成AI使用の衝撃
受賞した4作品のうち3作品が生成AI使用ーーそんなニュースで世の中に驚きを与えた文学賞がある。日経「星新一賞」だ。日々の暮らしにロボットやAIが溶け込んだ社会を描いた星新一の名前が冠された賞だったからだろうか。2013年の創設当初から、「人間以外(人工知能等)の応募作品」を受け付けていた。
これを科学への挑戦と受け止め、人工知能の開発を手がけている研究者たちがAIを使った創作に挑戦。ほどなく選考を突破する作品も生まれるようになった。そして迎えた2026年の第13回で、生成AIが使われた作品が3作品も入賞するという快挙に至った。
こうした事態が、賞の創設時に想定されていた成果かというと判断が難しい。SF的な発想から期待されていたのは、ロボットなりマザーコンピュータといった、人間を代替し凌駕するような人工知性が、自意識めいたものを持って小説を創作するようなビジョンだった。鉄腕アトムやドラえもんが小説を書くような事態だが、実現するとなると簡単ではないことは想像がつく。
だから、ストーリーや設定などを人間が決めてAIに投げかけ、文章を得るような使い方が模索された。生成AIを使った創作はその延長線上にある。LLM(大規模言語モデル)というとてつもない規模の言葉のストックが生まれ、それを物語として紡ぐノウハウも蓄積されているところに、人間が方向性を与え出力されたものを整えるような形で行われた。入賞作品が生まれた背景には、そうした近年の生成AIの急速な発展がありそうだ。
芥川賞『東京同情塔』に見る、もう一つの生成AI活用
第170回芥川賞(2023年度下半期)を受賞した九段理江の『東京同情塔』(新潮文庫)も、受賞時にAIが使われていることが話題になったが、こちらの使用状況はもう少し限定的だ。作中で繰り広げられる生成AIへの問いかけと、その答えを描写する上で、リアリティを求めて生成AIに頼った。着想であり物語の方向性といったところで生成AIは特に指示を出していない。だからこそ伝統ある芥川賞を受賞できたのだとも言える。作家の創作者としての存在もしっかりと見える。
増え続ける新人賞に応募されるAIが書いた作品も、基本は人間がプロンプトを与え出てきた文章をまとめたものだから、そこに人間の創造性があると言えばある。だから、作家の存在を持った作品として認めて良いということになるかもしれない。ただ、結果として大量の作品を生み出してしまい、選考する側にとてつもない負担を与えてしまうことがあって、どのように対処したら良いのかが問題として上がってくる。
LLMに組み込まれた学習データが、既存の作品を全世界から時代を問わずかきあつめたもので、それを参照することへの法的な問題なり心理的な抵抗もいまだ根強い。それならいっそ禁止してしまえば良いのかもしれないが、見て何かを感じ取れるイラストとは違って文章は読み込む手間がある。どこかぎくしゃくしていても、そういう文体を実験した可能性もゼロではない。
審査をAIに任せる未来はあり得るか?
いっそ審査も生成AIに任せれば良いという意見も出ているが、何を残して何を落とすかの判断を果たしてAIができるのかといった疑問に、明確な回答はまだ出しづらい。審査にAIがいると分かった生成AIが、AIの間にだけ通じるプロトコルで作品を書くようになるかもしれない。それもまた未来的なビジョンだが、人間の出る幕がなくなっては、もはや人間のための文学賞ではない。
こうなると、人間が読んで可否を判断するところに人間ならではの創造力と想像力を見いだすことが重要なのだと判断し、応募時に生成AIが使われていてもかまわないと割り切るしかないのかもしれない。とはいえ、万を超える応募作を読み込むのにどれだけの人間が必要かを考えると、これも現実的ではない。堂々巡りの議論はしばらく続きそうだ。
樋口恭介『AI先生のSF小説教室』に学ぶ“Vibeライティング”
単純に、生成AIを使った創作の進む方向として、大量の情報をため込んだ外部的な記憶装置であり、思索をサポートしてくれる便利なツールとしての生成AIを活用していく動き自体は今後も続くだろう。そこでは、どのように生成AIを飼い慣らせば、自分ならではの作品を生み出せるのかということになる。そこで参考になるのが、SF作家でAIコンサルタントでもある樋口恭介が書いた『AI先生のSF小説教室 クリエイティブVibeライティング入門』(晶文社)だ。
「はじめに」で「創作の難しさや『産みの苦しみ』を抱えるすべての人に向けて、大規模言語モデル(LLM)を頼れる創作パートナーとして迎え入れ、共に物語を紡ぎ出す新しいアプローチを提案するものです」と書いているように、ネタ出しからプロンプトの設定、ブラッシュアップの方法といったAIのサポートを受けながらの小説執筆の方法が紹介されている。
注目したいのは、タイトルにも入っている「vibe」という言葉だ。雰囲気とかノリといったものを表す感覚的な言葉だが、これを言語化してAIに投げかけることで、思い描いていた表現や描写を引き出せるようになるという。
ステップとしては、特定のキーワードを含む小説を書いてといったプロンプトを投げて、出てきた文章についてvibe、すなわち「ノスタルジックな未来感」「孤独と希望の繊細な混在」「詩的でメランコリックな響き」といった感覚的な方向性から検討を重ね、改善点を抽出してAIに与え、より自分好みの文章を作り出す。そうしたアイデア出しから描写の検討、そして最終的な執筆までを自分の持つ知識や感性の中で処理し、文章として出力できるのが作家という存在なのかもしれないが、生成AIの手助けを借りることで、アイデアやvibeをより素早く形にできて、生産性を上げられる。
そうして生み出されたものは、概ね作家自身のものと言えるのかどうかといったところだが、より厳密さを求め人間の能力に期待したい人の異論は招くかもしれない。その線引きを巡る議論がこれからも続く中で、境界線が揺らぎ溶け出していった先に、読み手の側も納得のいくものが生まれるのかもしれない。創作への生成AIの利用もペンの代わりにワープロを使ったくらいの意識で認められるようになるのかもしれない。ならないのかもしれないが。
自律型AIが小説を書く日は来るのか
そうこうしているうちに、自律型の人工知性が生まれて創作し、圧倒的な作品を送り出してくれればフェーズも変わるのかもしれない。村崎なつ生の小説『ハルシネーションの庭』(集英社オレンジ文庫)に書かれている、寡作だった作家が残した自分の人格をコピーしたAIが、もっと書きたかった作家の思いを受け継ぎ小説を書き始めるようなことが起こるかもしれない。
実際に、著作権が切れた作品を電子化する「青空文庫」の収録作品群を元に、作家と会話したり作家のスタイルを模倣した文章を生成したりといった対話型AIシステム「Humanitext Aozora(ヒューマニテクスト青空)」が、2025年から稼働を始めている。物故作家の”新作”が読めるようになるのも、それほど遠くないかもしれない。
発想が飛躍し過ぎだと言われそうだが、10年前には考えられなかったレベルに、生成AIの性能が上がっているのも事実。それだけに、冗談めかしながらでも様々な可能性について考えておくにこしたことはない。


























