『Red Dead Redemption 2』とディアンジェロ「Unshaken」考:ゲームが描いた「悪魔のパイ」と「贖罪」を巡る世界

『RDR2』とディアンジェロ「Unshaken」考

変わりゆくアメリカを前に、もがき続けるアーサー・モーガンに寄り添う「Unshaken」

〈聞こえたのは雷鳴の轟きだろうか?/それとも君の祈りだろうか?/もううまく思い出せなくなってしまった/いったい何が俺をこの道へと導いたのか(Did I hear a thunder? / Did I hear you pray? / I can't quite remember / Just what guided me this way, oh, oh)〉(「Unshaken」より。筆者訳)

 前作から約8年を経て、2018年に発売された『Red Dead Redemption 2』は、1899年を舞台とした、前作(12年後)の前日譚に位置する作品である。ジョンもまだダッチ・ギャングの一員として活動しており、主人公はギャングの最古参であるアーサー・モーガン(ゲーム開始時点で36歳)へと変わっている。

 『RDR2』を語る上で欠かせないのは、前作が「無法者の時代が終焉を迎えた後」を描いていたのに対して、「無法者の時代が、今まさに終わりを迎えようとしている真っ只中」を描いているということだろう。先ほど触れたように、前作においてジョンは生き方を(強制的に)変えることができた立場だが、アーサーはダッチの意志のもとにギャングを率いる立場にあり、そう簡単に生き方を変えることはできない。リアルタイムで状況が変化していくことも相まって、画面の向こう側から伝わってくる苦悩は、前作の比ではない。

 ジョンと同様に、家族の代わりにギャングに育てられたアーサーにとって、ダッチは事実上の父親であり、彼の「強者からのみ奪い、貧しい者からは盗まない」という信念を、自身の信条のようにして生きてきた。だが、ギャングはギャングであり、権力者に対して大胆な強盗を成功させる一方で、高利貸しの返済のために民間人の相手を脅し、時には暴力を振るうなど、必ずしも正しいとは言えないような行為にも幾度となく手を染める。また、かつてはメアリー・リントンという女性と仲を深め、かつては婚約指輪を送るほどに強い繋がりを持っていたが、そうした生き方を続ける自身に付き合わせることに限界を感じ、やがてアーサーの方から離れていってしまった。

 一方で、ダッチ自身も、とある強盗作戦の失敗をきっかけにして、かつてのカリスマ性はみるみるうちに失われていく。「私には計画がある」と謳いながらも、徐々に文明社会と法律に追い詰められ、一発逆転の幻想を抱き、さらに失敗を重ね、もはや現実を直視することができなくなってしまう。ゲームの冒頭では、追っ手から逃れるために厳しい気候の雪山での生活を余儀なくされ、数名の犠牲者が生まれている。だが、雪山を離れ、豊かな自然の中に拠点を移してもなお、かつてのような「無法者」としての生き方が限界を迎えつつあることは、アーサーを含む誰の目にも明らかだった。

 『RDR』におけるジョンと同様に、アーサーもまた、心のどこかでは平穏な生活を望んでいる。だが、ジョンとは違い、アーサーにはギャングを正しい方向へと導かなければならないという責任がある。それに、幼少期からダッチへの忠誠心を胸に生きてきたアーサーにとって、立場を変えるというのは自身の信条にも反するものだろう。だが、アーサーもまた、ある出来事をきっかけに「過去の行動のツケ」を払わなければならなくなり、心の準備ができていないにも関わらず、決断の時が間近へと迫っていく。

 「最後の無法者」として惨めに死ぬのか、時代の変化を受け入れて新たな人生を歩むのか。『RDR2』が描くのは、そうした分かりやすい二択“ではなく”、むしろそうした選択肢を突きつけられてしまった状況そのものや、今まで信じていた信念の揺らぎに戸惑い、焦り、時には失敗を重ねながらも、「まだ自分にできることはないか」ともがき続ける一人の人間の姿である。そのもがきは、それ自体がアーサーにとっての<贖罪>であり、本作が「Redemption」の名を冠する理由である。

 ゲームが発売された2018年といえば、アメリカという国が大きな変化を迎えた時期と重なる。2012年のトレイボン・マーティン射殺事件と2014年のマイケル・ブラウン射殺事件に端を発するブラック・ライヴズ・マターの動き、2017年のハーヴェイ・ワインスタインに対する告発を中心とした#MeTooの流れ、そして、2016年の大統領選挙。分断が急速に加速していた当時のアメリカは、まさに大きな変化の真っ只中にあったと言えるだろう。

 ディアンジェロにとって14年ぶりの新作(そして最後のアルバム)となった3rdアルバム『Black Messiah』においても、当時の動きは色濃く投影されている。アルバムのハイライトの一つでもある「The Charade」では、重厚かつエモーショナルな音像のなかで、ディアンジェロは〈私たちは話す機会が欲しかっただけ / その代わりに、私たちはチョークで囲まれるのみ(All we wanted was a chance to talk / 'Stead we only got outlined in chalk)〉と歌い、同時期に出演した『サタデー・ナイト・ライブ』では、チョークで描かれたシルエットの上で力強く拳を掲げ、当時のブラック・コミュニティの一員としての想いと、被害者への追悼の念を表現していた。

D'Angelo, The Vanguard - The Charade (Live on SNL)

 ゲームが終盤に差し掛かる頃、アーサーは、最後の無法者として生きること、あるいはこれまでと同じようにギャングの面々と充実した日々を続けることが不可能であり、もはや戻ることができないところまで来てしまったことを悟る。身も心も完全に打ちのめされ、キャンプへとただ馬を走らせるアーサーの姿に、ディアンジェロの美しい歌声と、昂る感情をそのまま放出するかのようなシャウト、どこか瞑想的にも感じられるピアノやギターの音色が重なっていく。

〈私は、揺るがずに立ち続けることができるのだろうか/この中で、世界が崩壊を迎える真っ只中で/揺るぐことなく、立ち続けられるのだろうか/この崩れゆく世界の中で(May I stand unshaken (May I) / Amid, amidst the crash of the world / May I stand unshaken / Amid, amidst the crash of the world)〉(「Unshaken」より。筆者訳)

 そこにいるのは、変わりゆく世界を前に戸惑い、不安を抱き、それでもなお信念を持ちながら生き続けることを願う、今にも崩れ落ちてしまいそうな人間の姿である。その脆さと強さを同時に内包した光景は、音楽を通して、1899年と2018年、二つの「変わりゆくアメリカ」を生きる人々の姿が、静かに重なり合う瞬間でもあった。

「贖罪」が終わり、そのバトンは次の世代へと受け継がれていく

 『RDR2』の終盤、遂にギャングの崩壊は決定的なものになり、激しい内部分裂が生まれ、運命の瞬間が訪れる。アーサーのために立ち上がったのは、未亡人の女性としてギャングに拾われ、やがて勝気な賞金稼ぎとなったセイディ・アドラー、黒人とインディアンの両親のもとに生まれ、インディアンの教えのもとに生きるチャールズ、そして、他ならぬアーサーに未来を託されたジョンだった。誰もが、かつてアーサーと日々を過ごすなかで、その「もがき」に共鳴した人物だった。

 『RDR2』が「次の世代へとバトンを繋ぐ」作品として描かれているのは明白だ。それは、同作のシナリオを手掛けたダン・ハウザーの想いの表れでもあったのかもしれない。かつてRockstar Gamesを設立し、「GTA」シリーズを作り上げた中心人物の一人であるダンは、同作を最後に会社を去り、Absurd Venturesという新会社を立ち上げた。『RDR2』の物語は、「GTA」で一世を風靡しつつも、やがて同シリーズがもたらした功罪と向き合うことになり、ついに後進に想いを託して離れることを決めた、ダンの人生そのものにも重なっているように思えてならない。

 あれから7年が経った。シリーズ最新作となる『グランド・セフト・オート VI』は二度目の発売延期が決まり、前作となる『V』から、約13年に渡って新作が出ない状態になる。だが、それ以上に重要なのは、イギリスとカナダの従業員31名がRockstar Gamesに解雇され、そのメンバーが労働組合に加入していたことから「組合つぶし」ではないかと指摘されていることだろう。元従業員による抗議活動は今も続いており、BBCの取材に応じた元シニア・プロダクション・コーディネーターのジョーダン・ガーランド氏は、「私はこのゲーム業界を愛しているし、きっと皆にとってもそうだと思う。他の場所では、私たちは自分たちの居場所を見出すことができなかった。だから、ちょっと打ちのめされた気持ちになるね」と語っていた(※3)。

 「悪魔のパイ」は、今もまだそこにある。2025年のアメリカに目を向ければ、その分断はもはや手がつけられないほどに膨れ上がり、今では政府機関すらも『HALO』や『Pokémon』といったビデオゲームや、テイラー・スウィフトやサブリナ・カーペンターの楽曲を引用しながら、人々の怒りを駆り立てている。

 ゲームは文化戦争における格好の燃料として使われるようになり、もしかしたら、今の時代では「Red Dead Redemption」もまた、「ポリコレ」の言葉とともに非難の対象となるのかもしれない(前述の『2』における終盤の展開や、ゲーム内における婦人参政権の活動家を巡る描写がよく取り沙汰されるが、そもそも同シリーズが2010年の初作の時点で、男性社会のなかで戦う女性や、迫害され土地を奪われながらも抵抗を続けるインディアンの姿を丁寧に描いていたことは強調しておこう)。

 ディアンジェロの悲報は、筆者を含め、多くのゲーマーや音楽好きに悲しみをもたらした。彼が『Black Messiah』以来となる新作に取り組んでいたことは、多くの人々が知っていた。時代とともに歩みながら、どこまでも芸術を追求し、新旧を問わず世界中のアーティストに敬意を示し、強さと脆さを内包した濃密なグルーヴで人々を魅了してくれたディアンジェロは、果たしてこの時代にどんな音楽を奏でていたのだろうか。

 追悼の言葉を寄せたredditのコメントに目を向けると、そこには「Unshaken」を前に、ただ立ち尽くし、戸惑い、悲しむ人々の姿があった。

〈私は揺るぐことなく、立ち続けることができるだろうか / この世界が崩壊する真っ只中で (May I stand unshaken / Amid, amidst the crash of the world)〉

 バトンは次の世代、つまり私たちへと受け継がれた。それは、命を賭けてでも渡さなければならなかったものであり、それこそが彼らにとっての「贖罪」だった。7年の時を経て、その重みは、あの頃想像していたよりも、ずっと大きくなってしまっていた。私たちは、アーサー・モーガンやジョン・マーストン、そしてディアンジェロのように、激しく変わりゆく世界の中で、最後まで気高く生き続けるだけの強さを持つことができるのだろうか。

※1、2:https://www.rollingstone.com/music/music-features/dangelo-red-dead-redemption-2-767748/
※3:https://www.bbc.com/news/articles/cp89990rgdno

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