お盆を前に考える“ゲームと生死” 初代『ポケモン』シオンタウンで学んだ「生物の終着点」
人間の魂は死んだ後にどこへ向かうのか。果たして死後の世界は本当に存在するのだろうか。こうした生命の終着点、つまり「死」にまつわる事柄は、老若男女を問わず誰しも一度は見聞きしたり会話のタネにしたことがあるのではないだろうか。
ちょうど本稿を執筆している8月頭は先祖の魂を迎えて供養する「お盆」(地域によっては8月以外に実施)が近く、普段はそこまで興味がない人でも、この期間に死についてあれこれ考える人も多いと思われる。
筆者の場合はと言うと、ビデオゲーム分野で従事するライターという手前、やはり“ゲーム作品における死”について考えることが多い。システム面での具体例を挙げるならば、『スーパーマリオブラザーズ』のようなアクションゲームにおいてプレイヤー残機を失う行為をキャラクターの死と捉える場合もあれば、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」などのRPG作品において、戦闘不能状態になって戦えなくなったパーティーキャラを「死んだ」と呼ぶこともある。
また、「不測の事態で命を失う」「自らの運命に従って主人公と別の旅路を歩む」など、何らかのイベントによって以降はプレイヤーと直接絡むことがないキャラもたびたび見受けられる。この場合は「永久離脱」と称されるが、そのキャラが存命であるかどうかに関わらず、“自パーティに迎え入れることができない”という点で「死んでしまったも同然」と考える人も一定数いるのではないだろうか。
このように、パッと思いつくだけでもビデオゲームにおける死はいろいろと具体例が上がるものだが、とりわけ筆者が強烈に覚えているのは、幼少期にゲームボーイでプレイした『ポケットモンスター 赤・緑』(ポケモン)での出来事だった。超メジャー作品のため体験したことがあるプレイヤーもかなり多いと思われるが、お盆という時節柄も含め、「死とは何か?」と考えるきっかけになった初代『ポケモン』の「シオンタウン」をあらためて振り返りたい。
28年経っても色褪せない「シオンタウン」のインパクト
1996年2月27日に任天堂から発売され、全世界で「ポケモン」ブームを巻き起こす要因となった初代『ポケモン』。もはや説明不要なほどの人気シリーズと言っても過言ではなく、最新作『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』は世界規模でソフト販売本数2500万本を突破(デジタル版を含む)。誕生から28年を経てもなお各方面に影響を与える巨大IPとして知られている。
不思議な生き物と人間の交流をベースとし、収集&対戦を通して少年少女(プレイヤー)の成長模様を描写する「ポケモン」。同シリーズは一見すればポジティブな作風が比較的目立つものの、蓋を開けてみるとシリアスな展開が顔を覗かせる場合も少なくない。たとえば悪事を働く組織によるポケモンの密輸売買や過去の年代で起こったポケモンの兵器利用など、比較的分かりやすいものもあればプレイヤーの判断に委ねられるものまで、その実態は多種多様だと言える。
そうした事例のなかでも、とりわけ初見時のインパクトが強いのが、各作品に見られるオカルト現象だ。「幽霊(とも思わしき存在)が出入りする森の洋館」「エレベーターを開けた直後に不審な女性が背後から現れるビル」……等々、“生者ではない何か”がゲーム内ではっきりと描かれている。「ポケモン」はシリーズ全体を通して霊的な存在をゲーム内に盛り込むことが多く、公式サイトでもオカルト現象のみをフィーチャーするほど力の入れ具合がうかがえる。この傾向は初代『ポケモン』の時点で明らかであり、その原点とも言えるのが「シオンタウン」というわけだ。
初代『ポケモン』における街(タウン/シティと表記される場所)と言えば、「ポケモンジムが開かれている」「ポケモンの回復やアイテム購入が行える拠点」といった印象をお持ちの方も多いのではないだろうか。もしくは「マサラタウン」のオーキド研究所や「ニビシティ」のニビ科学博物館など、特定の施設に入れる場所といった意味合いもあるだろう。
本稿で取り上げるシオンタウンも例に漏れず、ポケモンセンターやフレンドリィショップがあり、戦闘で傷ついたポケモンたちを癒やす場所として大いに機能する。しかしその一方、シオンタウンには巨大な「ポケモンタワー」が建てられており、プレイヤーは足を踏み入れた段階で異質な空気感に全身が包まれることになる。
シオンタウンではそれまでに訪れたどの拠点とも違う寂しげなBGMが流れるほか、話しかけると「あなたの肩に白い手が乗っている」と伝えてくるNPCも街に住んでいる。また、ポケモンを悪用して世界征服を企む組織「ロケット団」がポケモンタワーを占拠していることもあり、ただ事ではない雰囲気に苦手意識を覚えたプレイヤーも一定以上いたことだろう。
筆者もその一人で、当時はポケモンタワーに入ってはみたものの、何かに取り憑かれた様子のポケモントレーナーやこちらの行く手を阻む幽霊を見て、プレイ意欲がだいぶ削がれた記憶がある。そして大勢のプレイヤーが感じたのと同じように、何よりシオンタウンのBGMが怖かった。
ところがシオンタウンは単純に怖いだけのトラウマスポットではなく、筆者にとっては死という概念を、ゲームボーイの小さなモニター越しに深々と考えさせられた初めての場所だったのだ。
初代『ポケモン』が描いた”命ある生物の最期”
初代『ポケモン』をプレイしていたころ、未就学児だった筆者は恥ずかしながら“生物の死”をそこまで深く理解できていなかった。死んでしまうと身体が動かなくなる、魂がどこか遠くへ行ってしまうといったものはぼんやりと分かってはいたような気もするが、いろいろと学ぶのはもう少し年を重ねてからのことだった。
そんななか、『ポケモン』で遊んでいるときに初めて「ひんし」という言葉を目にした。漢字で表すと「瀕死」となり、文字通り死に瀕した状態ということになる。いまでこそ意味が理解できるが、当時は漢字を読むこともできず、その意味も理解していなかった。ただ、「瀕死下ポケモンは戦闘に参加させることができない」ということだけは感覚的に掴んでいた。
そうした調子のまま、「イワヤマトンネル」と呼ばれる洞窟を抜けた先に乗り込んだのがシオンタウンだった。とりわけポケモンタワーはポケモンの魂を供養する慰霊塔であり、内部に入ると一面に墓石が並んでいる。「ポケモン」作品におけるダンジョン類は段差や岩、およびそれらに該当するオブジェクトが障害物として機能しているが、「無数の墓石で通路が区切られている」というポケモンタワーは、構造だけを見てもれっきとした霊園であることがうかがえる。
……とは言いつつも、幼かった当時はやはりシンプルに「BGMも怖いし変な場所」という程度の認識しかなかった。なので純粋に頭に浮かんだ疑問を、『ポケモン』を買い与えてくれた父親に「ここは何をする場所?」と尋ねてみた。
もちろん、当時の父親からかけられた言葉を一言一句覚えているわけではない、ただ、「そこ(ポケモンタワー)はお墓の下にポケモンが眠っている。死んだポケモンはバトルもできないし目にも見えない」という言葉が脳裏に焼き付いている。“墓の下にポケモンが眠っている”というのは比喩表現だが、当時の筆者が何より衝撃的だったのは、「ポケモンタワーで眠るポケモンたちは、瀕死ではなく本当に死んでしまっている」という事実だった。
ポケモンも生物であるため、いつかは命が尽きるというのはよく考えれば分かることだろう。しかしゲーム内でプレイヤーが扱うポケモンたちは、傷ついてもキズぐすり等で体力が回復するし、瀕死状態になってもポケモンセンターに行けば元気に復活してくれる。一方のポケモンタワーは、さまざまな事情でこの世を旅立っていったポケモンたちのために建てられた慰霊塔であり、そうした光景がゲーム内で描かれているということは、多くの生物と同様、ポケモンにも命の最期が待ち受けているということである。間接的な描写ではあるものの、「ポケモンも不思議な生物と言えど、死ぬときは死ぬ」という事実を子どもながらに認識した瞬間だった。
余談だが、初代『ポケモン』で大勢のプレイヤーにインパクトを与えたシオンタウンはその後、続編の『ポケットモンスター 金・銀』をはじめ、「ポケモン」シリーズ作品でたびたび登場している。『金・銀』はポケモンタワーがラジオ局へと改修されていたり、『ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー』ではポケモンの共同墓地として「たましいのいえ」が作られていたりと、紆余曲折を経ながらも「生と死を考えさせられる街」であることに変わりはない。
さらに、初代のリメイク版と言える『ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・Let's Go! イーブイ』の場合、ポケモンタワー内部のギミックにくわえ、「ガラガラ」の幽霊に関するイベントが大きく変更されている。興味のある方はぜひ一度、シオンタウンを訪れることができる「ポケモン」作品を引っ張り出し、実際にプレイして街の雰囲気に浸ってみてはいかがだろうか。
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