RAW現像をいったんやめ、『Nikon FM2』で基本に帰ってスナップを撮る

『Nikon FM2』で基本に帰ってスナップを撮る

 憧れの『FM2』を手に取り、いよいよファインダーを覗く……というタイミングで驚いたのは、自分に「ファインダーを覗く前にカメラ背面の画面を見るクセ」が染み付いているということだ。私は仕事でミラーレス一眼を使うときもわりとファインダーを覗くタイプだからそんな癖はないと思っていたんだけれど、人の適応力とは恐ろしいものである。……改めてファインダを覗くと、明るい! 『Nikon F3』などはもっと明るいのだろうけれど『FM2』も相当いい。前の持ち主がスクリーンを取り替えており、スクリーンが全面マットになっているのも明るさの理由かもしれない。

 Nikon 『FM2』の重さは540g。これは過去の同社のフラッグシップ機である『F2』(720g)、『F3』(715g)」よりもずっと軽い。「高い剛性とブレの軽減」を果たすために大きく重くなったフラッグシップ機とは違い、『FM2』は薄く軽くてスナップに向いている。

 街を歩きながら被写体を決め、ピントを合わせ、シャッタースピードと絞りを定め、シャッターを切る。この短い工程を何度か繰り返していると、光学ファインダーの良さというものを段々と思い出してきた。ミラーレス一眼のファインダー(EVF)というのは瞳の前に小さなOLEDが張り付いているのであり、要は画面を見ているのだ。絞りも被写界深度(ボケ具合)も撮影前に確認できるEVFの素晴らしさを手放す気は全くないが、撮影行為として楽しいのは圧倒的に光学ファインダーの方だ。

ファインダー内部。画面右側の露出系の表示が「o」になっていたら適正露出だ。シャッタースピードは左側、絞りは上部に表示される。

 

 カメラとは、自分の手で区切った場所の時間を勝手に止めてしまえる機械なのだということが光学ファインダーを覗くとよくわかる。そして、そんな機械を手にしたとき、心のなかには無邪気さや乱暴さや孤独がうまれる。要するに、撮影行為というのはそれだけでちょっといたずらで、そしてそれを絶えず自覚させてくれる。

『FM2』は長時間露光もできる。パソコンで画像編集すればできることだけれど、手元でこんな写真を取れることの面白さがある。KODAK『 ULTRAMAX 400』にて試写。

 そんなふうに撮影していると、あっという間にフィルムひとつ、撮り終わってしまう。フィルムをラボに出して現像が上がるのを待つ。この「現像を待つ」というプロセスも、変な言い方だが少しありがたい。フィルムの写真というのは、ラボに現像を依頼する場合は選んだフィルムの描写と現像の工程に対して基本的に手を加えることができない。逆にいえばこうした選択をフィルムとラボに明け渡してしまえるともいえるのだ。この「明け渡し感」が何だか清々しい。撮れているだろうか、どんな画になっているだろうか、あのときブレただろうな、あれはきっと上手く撮れた……現像中に訪れるこういった反芻はとても気楽で楽しい。

 デジタルだとこうはいかない。デジタル写真をRAWで撮影する場合には現像は必須の工程で、つまり現代の撮影には現像が含まれている。現像工程で光・色・それぞれのトーンをほぼ無限にコントロールできるのがデジタル写真の特長だ。実際「少し露出アンダーだけど後で編集で持ち上げよう」と思って撮影することはいくらもあるし、シャッタースピードを下げて適正露出を撮るよりもアンダーで撮った方が確実だ、などと思っていることも多く、その場合「適正露出」という撮影時の基準すらあまり当てにしていない。高性能なセンサーで高いダイナミックレンジを持つ写真を撮り、現像のプロセスでその階調を操作しながら理想の画を作っていくというワークフローは、『FM2』の現役時代から見たらまさしく夢のような環境だろうが、趣味としてはちょっとせわしなく、居心地が悪い。この居心地の悪さは、「自由度の高すぎるゲームをプレイして、何をしていいのかわからなくなる」とか、そういう気持ちに近い。

 現像が上がり、久々にフィルムカメラで撮影した写真を見ると、いろいろなことに気づく。高校生の頃より目が悪くなっているなあ、このフィルムはこの色をこう写すんだな、Planarは絞り開放の浅いピントの描写も、少し絞った画もどちらも良いなあ、など……つまりこうして得られた写真には自分にとっていろいろなことが写っている。

 「カメラはより良い画像を得るための道具であり、その手段を撮影と呼ぶ」とするならばこの行為は少し倒錯している。しかし、撮影という行為にはそれ自体が目的になるほどの楽しさがある。撮影は選択の連続で、特にフィルム一眼レフでの撮影行為にはたくさんの選択が内在しており、それは少し危うく、自由で、魅力的だ。

 またあえて「より良い画像を得るための道具」として往年のフィルムカメラを捉えても、意外と悪くないんじゃないか?と思う。というのも35mmフィルム対応の一眼レフと高性能なレンズの数々が中古で安価に流通しており、これらはレンズさえしっかり選べば現代の機材に描写力でことさらに劣るものでもない。「フルサイズセンサーに興味があるけど高くて尻込みしている」というようなデジカメユーザーがいたら、むしろ一度フィルムカメラの一眼レフを買うのは大いにアリだと思う。各所のラボでは現像したフィルムのデータ化も引き受けているし、AFやオートの効く、『FM2』より高性能なカメラがフルサイズ一眼レフよりもずっと安価に手に入る。こう考えると描写力に対するコストパフォーマンスはかなり高いと思うのだ。

 こうしたフィルムカメラのために買ったレンズは多くの場合現代のミラーレス一眼にも装着できるので、資産がまるっきり無駄になる可能性も低い。フルサイズの階調感やボケ味に惹かれるのなら、逆にフィルムでその描写を味わってみるのも面白いはずだ。

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