イーロン・マスクがもたらしたTwitterの変化を見て思う 「Web3」とは理念であると同時に、“願い”なのかもしれない
Twitterの「サードパーティ製クライアント」が使えなくなって久しい。今年1月、Twitterは非公式クライアントを禁止し、多くのアプリケーションが開発を終了した。「Echofon」や「The World」など、独自の進化を続けた使いやすいアプリケーションが多々あったものの、これらは惜しまれながら開発を終了した。また、6月から始まったTwitter APIの有料化も、数々のサービスの停止・終了を招いている。
「API(Application Programming Interface)」とはソフトウェアやアプリケーション間での相互接続を可能にするインターフェースのことで、データの受け渡しやコマンドの送受信を規定し、それらの機能にアクセスするための手段として機能する。ひらたくいえば、プログラム同士が情報をやり取りしたり、機能を利用したりするための架け橋になる仕組みでありAPIが広く提供されることで、WEBサービスが他のアプリケーションと連携することが容易になり、多様な利用者にサービスを提供することができる。
WEBサービスがAPIを公開するメリットはいくつかあるが、そのひとつにはAPIを公開することで開発者のコミュニティを広げることができ、多くの開発者によるアプリケーションの開発や拡張が促進されることが挙げられる。これにより、サービスの機能や利便性、ユーザーエクスペリエンスが向上する。また、APIを利用した他のアプリケーションとの連携により、より広範なニーズに応えることができる。
たとえば「Google Map」のAPIは地図データやルート案内機能を他のアプリケーションに提供することで、ユーザーに便利なサービスを提供している。いちユーザーが個人的に運営しているブログに、Google Mapの地図を埋め込むことも簡単だ。
こうした相互性を保つ機能が支持され、発展してきた土壌として、テクノロジーの世界というのは常に市井の開発者たちによって改善が図られてきた経緯があり、「世界をより良くするために、技術の発展は開かれているべきだ」という志がゆるく共有されている状況があった。これは営利企業と個人の間においても例外ではなく、現在も守られている「慣例」のようなものだ。たとえば多くのプロプライエタリなOSがその基幹技術にオープンソース・プログラムを採用している事実があり、そのOS上で動くサードパーティ製アプリケーションの拡充は、そのままOSの信頼性やパワフルさ、利便性に直結する。営利企業であっても市井の開発者や個人ユーザーの利便性を守り、情報を公開すること、またインターネットの世界で「開かれたネットワーク」を維持することは、テクノロジーの世界における企業の「社会的責任」として理解されてきたし、こうした理念に反する企業の動きに対して、開発者たちは幾度も反発してきた。
TwitterのAPIの話に戻ると、これまでTwitterのAPIは他のアプリケーションがツイートを取得したり、投稿したりできるよう、Twitterの情報を広く活用できるように実装されていた。しかし、今年に入ってAPIの取得が有料化されると(しかも商用向けのエンタープライズプランはかなり高額のようだ)、多くのサービスが停止した。Twitterでは多くの個人開発者がその終わりを惜しむ声を上げているが、イーロン・マスク率いる新生Twitter(7月24日に「X」という名称に変更された)はTwitterの外部クライアントや、Twitterを活用したWEBサービスの発展にはあまりメリットを感じなかったということだろう。
当然だが、現在のTwitterにはとても開発者コミュニティを促進する気があるとは思えない。世界有数の大金持ちが巨大SNSを買収し、APIを有料化し、広報窓口では届いたメッセージに対してうんちの絵文字を返信しているという。
(編注:2023年7月26日時点ではメッセージが変更されていた)
ふざけて作った物語のようなことが起きており、前段の慣例は清々しいほどに無視されているが、いちユーザーとしては本当にどうすることもできない。だって、事実として現在、Twitter(X)はイーロン・マスクのモノだからだ。