人類と侵略者の戦いを描いて19年 「地球防衛軍」シリーズの“伝統芸能レベル”で変わらないゲーム性とカタルシスについて考える
もはや伝統芸能レベル 脈々と受け継がれてきたゲーム性とカタルシス
ここまで何度か述べた通り、「地球防衛軍」シリーズで描かれているのは人類と侵略者との壮大な戦いである。そして大抵の場合、人類側は常に窮地に立たされているのも特徴だ。
虫が苦手なプレイヤーなら見ただけで卒倒しそうな巨大アリ、なにかの間違いかと思うぐらい母船から大量に発進する小型UFO、意味不明な言語を喋る二足歩行カエル等々、ほんの一例だけでも生身の人間が絶対に勝てないであろう外敵が勢ぞろい。その様相は『インデペンデンス・デイ』や『スターシップ・トゥルーパーズ』といったSF映画を地で行く勢いだ。挙句の果てには、ゴ○ラの親戚っぽい怪獣にペ○シマンも驚きのギンギラ宇宙人も登場。この錚々たる面子を排除しなければならないのが、EDF隊員……もとい軍人たるプレイヤーの辛いところである。
巨大生物の群れは絶望以外の何物でも無く、難易度を上げれば”地獄行き直通”と言わんばかりの猛攻が眼前で繰り広げられる。対策が不十分だと、スタート数十秒で物言わぬ肉塊に成り果てることだろう。
だが、窮地に立たされているからこそ、その先にある希望も一層輝きを増すというもの。巨大生物は適切にダメージを与えれば死滅するため、プレイヤーの立ち回り次第で確実に数が減っていく。アリやクモが相手なら文字通りの害虫駆除だが、それでもレーダーに映る赤点(敵を示す)がゼロになった瞬間の達成感はひとしおだ。
巨大生物が銃弾を受けて弾け飛ぶ光景は爽快だし(個人差あり)、東京ドームよりもおそらく大きいマザーシップを撃破できればなおのこと相当なカタルシスが得られるだろう。個人的には、この”生存の危機に瀕した絶望を自力でひっくり返す快感”こそ、「地球防衛軍」シリーズの本質として推したい。
加えて、同シリーズが約20年にわたって伝統を守り続けているのも、一人の「地球防衛軍」ファンとして大変有り難い。もちろん何も変わっていないわけではなく、「兵科」「武器」「外生物」「ビークル」「ミッション」等々、作品を重ねるごとに各要素は段階的に進化している。同様にストーリーも作品間で密接に結びついており、『地球防衛軍6』では従来よりもシリアスな立ち上がりが印象的だ。
しかし、EDF隊員&プレイヤーが取るべき行動は変わらない。広いフィールドを駆け回って敵に銃弾を撃ち込み、合間にアーマー(体力値)と武器集めも並行して行う手間は『地球防衛軍6』でもほとんどそのまま。その作風は、いつ食べても昔ながらの味が楽しめる、良い意味で無駄なことをしていない中華そばのようだ。
約20年経っても変わらないのなら、もはやこのまま伝統芸能として次の10年も据え置きのまま続けて欲しいところ。当然プレイヤーごとに意見は分かれると思うが、当初のコンセプトに沿いつつ、”必要以上にゲーム性を変えない”手法だからこそ、「地球防衛軍」は根強く愛される人気シリーズとして広まったのではないだろうか。
メイン画像=https://mobile.twitter.com/edf_officialより