美容室が「心の拠り所」となる場だからこそ、デジタル化が必要 サロン専用メーカー・ミルボンが『美容市場のDX』を追及する理由

サロン専用メーカー・ミルボンインタビュー

 コロナ禍で大きくライフスタイルや価値観の変化が起きた。

 あらゆる業界でリアルからオンラインへと商慣習がシフトしていき、デジタル化の波が加速している状況となっている。

 まさしくこれからの時代を生き抜き、企業成長させていくにはDX(デジタルトランスフォーメーション)が必要不可欠であると言えるのではないだろうか。

 そんななか、新たな美容産業の潮流を創るために「美容市場のDX」を掲げる企業がミルボンだ。

 ヘアカラー剤やヘアスタイリング剤、シャンプーなど美容室向けの商材を扱う総合ヘア化粧品メーカーとして国内トップシェアを誇っている。

 近い将来に必ずや想像されるデジタルファーストの時代において、ミルボンはどのような未来を描いているのだろうか。

 同社の代表取締役社長を務める佐藤龍二氏に、デジタル戦略の構想や今後の展望について話を聞いた。

90分の1の零細企業に行けば、なんでもできる。そう信じてミルボンへ

 佐藤氏は長崎県の佐世保生まれ。

 地元にある工業系の高等専門学校(高専)を卒業後、製薬会社にて1年半ほど勤めたのち、当時はまだ小さい会社だったミルボンへ転職する。

 「私が生まれた佐世保という地域は米軍基地がある関係で、街中にはよく外国人が行き交っていました。外国人が住むライフスタイルが、いわば当たり前だったこともあり、将来は『世界を飛び回り、様々な境遇の人と関わり合える仕事をしたい』と思っていたんです。そんなこともあり、高専卒業後に入った製薬会社では自分の本当にやりたい仕事はできないと感じ、もっと外に出て働きたいと考えるようになった。

 転職先の候補に挙がったのは、片や社員1万人を有する大企業、片や社員が90人しかいない零細企業のミルボン。どちらを選ぼうかと。私は『1万人の大企業へ入れば、所詮1万分の1にしか見られず、やりがいある仕事はできない』と判断しました。他方、まだ規模の小さいミルボンに行けば『なんでも裁量持って仕事ができる』と将来性を見出せたことが、ミルボンを選んだ理由ですね」

 ただ、美容業界に興味があったからではなく、営業という仕事を通じて美容師やサロンオーナーと関係性を築くことや、女性の美に可能性を感じたことがミルボンでキャリアを積もうと考えた背景だという。

 「私自身男性ということもあって、美容室ではなく床屋さんへ行っていたので、正直美容に関して関心があったわけではないんですが、営業職をやらせてもらえるというだけで胸が高まりましたね。思いっきり仕事を楽しめるんじゃないかと。しかし最初の2年間は、パーマをかけるときに使うロッドを問屋に対して売る『単品営業』でしたので、次第に面白みや、やりがいを感じられなくなってしまい......。一時は辞めたくなったこともあります。でも後々振り返ってみれば、この2年間があったことで今の自分がいると思うようになりました」

「提案型」の営業で顧客に寄り添ってきたことで、美容市場に可能性を感じた

 佐藤氏がミルボンへ入った当時は、「売り込み型」から「提案型」へ営業スタイルを変えるフィールドパーソン(FP)というミルボン独自の営業体制を取り入れ、まさに会社の大変革期に差し掛かっていた。

 「『いきなり商品を売るのではなく、サロンのためになることをまず考えろ』という会社の方針に、とにかく商品をたくさん売って数字を作る従来の営業のやり方に慣れていたメンバーは反発し、営業の約半分くらいが会社をやめていったんです。このような痛みを伴う大転換期のときに、私が提案型営業にスムーズに馴染めたのは、地道に単一商品でもコツコツと営業を継続してきたのはもちろん、顧客がどんなニーズを持っていて、どうやったら寄り添うことができるかを常に考えていたから。

 美容室営業をを担当するようになったときも“武器が増えた感覚”というか、たくさん商材が増えたことで、『今月はこの商品の提案に注力しよう』とサロンの課題解決に向けて、前向きに取り組むことができた。営業は11年ほど経験し、苦労も味わいましたが、美容市場の可能性を知るきっかけにもなりました」

経験のステージが上がるごとに自己研鑽に励んできた

 長い間、営業経験を積んだ佐藤氏は、前社長からマーケティング部署への異動命令が下り、商品企画を担当するようになる。

 「マーケティングの『マ』の字も知らず、身が引き締まる思いだった」と語る佐藤氏は実務をこなしながら、経験値を高めてきたという。

 「マーケティング部署に移動した最初の1年半は、マーケティング関連の本を100冊くらい読みました。今でこそ、動画コンテンツやセミナーが充実していますが、当時は自分で仕事の合間を縫って本で学ぶしかなかった。インプットしたことを実務でアウトプットするよう心がけ、再現性をどうしたら高められるかを意識し、毎日ひたすら勉強を繰り返しましたね。

 のちに、商品企画からマーケティング全般を見るようになり、さらに経営企画も担当するようになると、今度はPL/BSといった財務や中期経営計画の立て方などを学ぶ必要性が生じた。経験のステージが上がることに知識を蓄えるため、集中的に勉強してきた節がありますが、会社で従事する仕事が多岐にわたり、より責任を伴うようになったことで視野が広がり、全社のことを掴めるようになっていきました」

社長は「決断」を下す覚悟がいる

 そして2008年にミルボンの社長に就任した佐藤氏は、経営者としての「覚悟」を創業者の鴻池一郎氏から伝授されたという。

 「今でも覚えていますが、寿司屋で話しあった時に『専務までは『判断』でいいが、社長は全責任を背負って『決断』しなくてはならない』と言われたんです。要は、専務までなら意思決定する際に社長へ判断を委ねることができますが、企業のトップである社長は最高経営責任者として、いかなる場合でも決断して物事を前へ進めていかなければならない。幸いにも『判断と決断の違いを認識せよ』という経済評論家の飯塚昭男さんの本を読んでいたこともあり、なんとなく言わんとすることは理解できたんです」

 そんな佐藤氏にとって、経営者としての重責を感じながらも、「判断ではなく決断を下す」という意味が腹落ちしたエピソードがあるそうだ。

 「現在、ミルボンのグローバル事業の中で最も成長しているのが韓国市場なのですが、実は初めの頃はなかなかうまくいっていなかったんです。2008年のリーマンショックやウォンの急落とも重なり、韓国経済悪化から『事業を撤退するか否か』という決断を迫られていた。ただ、私は『一度韓国から手を引けば、もう二度と現地でビジネスができなくなる。本当に経済が冷え込んで、にっちもさっちも行かない状況なのか』と考え、実際に足を運んで自分の目で確かめたんですよ。

 当時韓国には2名の社員を派遣していたので、そのメンバーがどんな想いで仕事をしているか。また、韓国のサロンや美容師といった現地のお客様にベネフィットをしっかり届けられるのか。色々と見て回った結果、韓国は成長が期待できるマーケットだなと確信し、事業継続を決断しました。そうして現地に根を下ろしながらビジネスを展開してきたことで、いまや海外市場で一番の売り上げを誇る地域になったわけですね」

創業者が培ってきた会社のイズムは変えてはならない

 ミルボンの創業50周年にあたる2010年にはグローバルビジョンを掲げ、佐藤氏が青写真を描いていた海外ビジネスも本格化させる。

 まさしく、名実ともに美容業界のリーディングカンパニーたる存在として市場を切り開いてきたわけだが、佐藤氏は美容室専売のヘアケア商品を扱うメーカーのトップにまで上り詰めた要因についてこう説明する。

 「まずは1980年代にミルボンのビジネスモデルの基盤となる提案型営業を行う『フィールドパーソンシステム』への移行や、美容師の感性や現場のニーズから製品を開発する『TAC製品開発システム』を確立できたことが大きい。次いで、1993年に団塊ジュニア世代へ向けたスタイリング剤のブランド『nigelle(ニゼル)』を発売し、ミルボンの主力商品として市場を牽引してきたことです」

 なかでも重要なことは、創業者の思いや信念を言語化した行動規範『THE MILBON WAY(以下、ミルボンウェイ)』を策定したことは、「創業者の遺志を引き継ぎ、ミルボンイズムを根付かせるのに重要な役割を占めている」と佐藤氏は強調する。

 「ミルボンの長い歴史のなかで培われたイズム(主義)を継承し、社員一人ひとりが同じ価値観を共有するために明文化しました。ミルボンウェイを定める前は社員によって経営理念やビジョンの解釈が異なったり、役員の間でも『イズムは背中で見せるもの』としてあくまで暗黙知として捉えていたりと、組織全体にしっかりと浸透していなかったんですね。

 そこで社員がいつでもミルボンイズムを意識できるよう、『現場、傾聴、自立』というわかりやすく、シンプルな言葉に落とし込んだ。事業成長に基づいて、経営理念やコーポレートスローガンは変化させてもいいんです。でも、決して変えてはならないのは会社のイズム。創業者が立ち上げた想いであり、ルーツそのものであるイズムを体現することが、何より大切だと私は考えています」

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