デジタルシフトやTikTokの流行で変化する「盛りの技術」 久保友香と考える“シンデレラテクノロジー”の現在と未来

 スマートフォンで写真を撮る際、よく口にしがちな「盛り」という概念。現在はシーンや物などにも使われることも少なくないが、この概念は“プリ機”ことプリントシール機の流行によって、日本から急速に広まったものであることをご存知だろうか。

 「盛り」の文化は、写真や端末を通して自身のビジュアルを変化させることから、「バーチャル・ビジュアルアイデンティティ」という言葉に接続される。これは新型コロナウイルスの感染拡大によってコミュニケーションがデジタルへと大幅にシフトし、バーチャルアバターも広く普及した2020年〜2021年において、改めて向き合うべき考え方のように思える。

 今回はそうした「盛り」の文化について掘り下げるべく、現代の女性がなりたい自分になることを叶える技術「シンデレラテクノロジー」を研究し、著書に『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』を持つ、メディア環境学者の久保友香氏を取材。「盛り」文化の誕生からこれまでの歴史や、プリ機〜ガラケー〜ブログ文化〜スマホ〜Instagram〜TikTokなど、プラットフォームとガジェットによって変化する「盛り」の定義、2020年以降における「バーチャル・ビジュアルアイデンティティ」の変化などについて、じっくりと話を聞いた。(編集部)

久保 友香(くぼ・ゆか)
メディア環境学者。2000年、慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科卒業。2006年、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了。博士(環境学)。専門はメディア環境学。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員など歴任。著書に『「盛り」の誕生ー女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識ー』(太田出版、2019年)。

「バーチャル・ビジュアルアイデンティティ」の確立と「盛り」の誕生

――「バーチャルな盛り」が日本から生まれた背景について、詳しく聞かせてください。

久保:2020年は、「リアルで対面したことはないが、バーチャルなコミュニケーションはとったことがある」というような状況が、一気に増えました。実際に対面してみたら、相手はバーチャルなやりとりのなかで認識していた顔をしていないかもしれない。そのような、“バーチャルな表象”とコミュニケーションをする技術がどんどん整ってきて、みんな一気に慣れてきました。私は、それを「バーチャル・ビジュアルアイデンティティ」と呼んでいます。

 さかのぼってみると、“対面したことがない人から知られている”という状況になるのは、芸能人/有名人だけでした。そして、一般人として初めて同じ環境になったのは、日本人の女の子だと思っていて、転換点は1995年に「プリント倶楽部」が登場したことでした。

ーーたしかに、プリントシール機(以下、プリ機)はガラパゴスな進化を遂げたテクノロジーです。

久保:そうですね。撮った写真は複数印刷されるので、いっしょに撮った友達と分けることができた。プリ機の流行と共に「プリ帳」も誕生して、プリ帳に貼った残りを友達と交換する女の子たちが増えました。プリ帳を持ち歩いて他の人に見せることで、自分の友達でない人にも自分の顔を見せるという文化も生まれた。一般人なのに「知らない人に自分の顔を見せる」ということをカジュアルに行なえたのは、当時だと日本の女の子だけではないでしょうか。

ーー携帯電話がない時代だと、人対人のアナログなコミュニケーションが“知る手段”のほぼ全てになるので、写真を持ち歩くことでもないかぎり、そういったことは生まれないですもんね。

久保:そして、次の転換点は2000年ごろ。カメラ付きのガラケーが一般向けに発売され、女の子は「写メ」を送るようになりました。白いハンカチを下に敷いて撮影すると顔が明るく見える、30度上方から撮影すると目が大きく見えるなどのテクニックが生まれ、「いまの自分よりも綺麗な顔を写そう」という意識が始まりました。

 一方、プリ機にも変化が訪れます。2000年にストロボが導入されたこともあり、デジタル加工の効果が上がりました。同時期、渋谷で肌を黒くして髪を金髪にして、という派手なギャルファッションをする女の子たちが影響を与えていましたが、校則が厳しい子たちにとって「せめてプリ写真の中だけでも派手になりたい」という気持ちがどんどん強くなってきたんです。その結果、黒いフェルトペンで目を囲ったり、白いフェルトペンで鼻筋を書いたりすることで、立体的に見せようとするなど、実際に見ると違和感があるが、プリで撮影するとちょうど良い顔を作ることで「バーチャル・ビジュアルアイデンティティ」を確立していきました。その時「盛り」という概念が生まれました。

ーー2000年代〜2010年代においても、また違った変化が起こったそうですね。

久保:1990年代後半〜2000年代は、渋谷などの街で実際に姿を見てビジュアルコミュニケーションしていたので、肌や髪など全身を派手に盛ることが行われていました。2009年くらいから女の子たちの間でデコログやクルーズなどのケータイブログが流行り、通信速度の向上で写真をたくさん送れるようになったことや、ケータイブログのアクセスランキング上位になることが評価の指標に変わったことで、ケータイの小さなカメラや小さなモニタでも見せ合うことのできる「デカ目」で盛るようになりました。

ーー2000年代後半にはスマートフォンが登場し、2010年代にSNSが登場したことも大きな転換のタイミングだったのかもしれません。ご著書ではインスタグラムが「シーンを盛る」という価値観を生み出したプラットフォームとされており、「盛る」という概念が主に顔に紐づくものから多様化していったと。

久保:その前に、女の子たちがケータイからスマホに持ちかえたことにより、カメラの性能が上がって、カメラもモニタも大きくなったので、シーンを見せ合うことが始まりました。インスタグラムでは、ケータイブログの時の「アクセス数」のような支配的な軸がなくなってきたことで、多様化が生じています。自分が見つけたインフルエンサーと繋がっている人をフォローして、というフィルターバブルが各自にあるので、どの盛りに憧れるのかによって、色んな価値観に分岐しているような気がします。

――そういったInstagramが作ったシーン盛りの文化を経て、現在はTikTokのような動画プラットフォームが覇権を握っています。

久保:現在もそうですし向こう数年に関しては、“動画を盛ること”に重きが置かれている時代だと思います。私は「盛り」の変化を見ていますが、どういうツールを使うかによって、“何を盛っていくか”が決まってくるんです。街でコミュニケーションしていたときは、全身を見せ合っていました。ガラケーは小さくて目のような小さい対象を見せ合いました。スマホはカメラもモニタも性能が上がったのでインスタで行われたようなシーン盛りの文化が生まれました。さらに最近は機械学習によってスマホのカメラで動画をきれいに撮影できるようになり、5Gによって動画も容易に送受信できるようなりつつあります。これまでの「動画を見るのも撮るのも上げるのも時間がかかるから面倒」というイメージは変わります。そのようなツールの進化に相いまって、TikTokのようなソフトが出てきたことで、女の子たちの動画への壁が取り払われたような気がします。

――受け手側も、作り手側も変化したと。

久保:いくら技術的に可能になっても、面倒くさいことは流行らないですからね。YouTubeによって、まずは動画を見ることに慣れ、TikTokで動画を作ることも身近になる、と段階を踏んだことも大きいかもしれません。

 私は、「間口が広くて奥が深い」ものが女の子に広まりやすいと思っていて。例えばプリ機でも、ただ撮るだけはすごく簡単ですよね。ただ、使いこなそうとすると、あの短い時間で盛れる表情やポーズを作り、評価されるらくがきをするのはけっこう大変です。TikTokも、突き詰めれば難しいけど、ただ撮影するだけでもある程度の品質の動画ができる動画処理になっていて、簡単に誰かの真似をすることもできるネットワークの仕組みになっていることが流行の理由だと思います。

――全く知らない一般の人の動画に偶然出会えるし、どんどん次の動画を見せてくれることで“見つかりやすい”というのも、やりたいと思うきっかけになるのかもしれません。

久保:プラットフォームとしても非常に良い設計だと思います。最近は歌って踊ってだけでなく、スタディコンテンツやグルメ情報なども発信されていますし。

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