ガキ使、めちゃイケ、エンタの神様……YouTubeで伝説的番組の“裏話”続々 テレビの面白さを補完する芸人チャンネル

 お笑い芸人YouTuberのトレンドや話題の動画を深堀する本企画。この1週間前後では、人気番組の裏話が披露されたコラボ動画に注目した。

光浦靖子が振り返る『とぶくすり』時代の思い出

 極楽とんぼ・山本圭壱は11月6日、自身の公式YouTubeチャンネルに、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の同僚だったオアシズの光浦靖子をゲストに招いた動画を公開した。

【光浦登場!】28年分の懐かしい話とか言っちゃいけない話とかしたよ【岡村の話も】

 「【光浦登場!】28年分の懐かしい話とか言っちゃいけない話とかしたよ【岡村の話も】」と題して公開された動画で、久々の再会にもかかわらず、光浦は「山さんに会うのがすごい直感で嫌だった。『YouTube出てよ、YouTube出てよ』って」とバッサリ。『めちゃイケ』で山本が約10年ぶりに復帰した時を振り返り「あの時は、山さんに会えてすごい嬉しくて。『山さんのためなら何かできることはないか』と本気で思ってたの。だけど、それが1年経ち、2年経ち……人間って慣れる生き物じゃん。『山さん?知らねーわ!』って(笑)」と憎まれ口をたたくと、山本は「慣れるの早いわ!(笑)」と突っ込んだ。

 2人が本格的に共演したのは、1993年放送のフジテレビ系バラエティ『とぶくすり』だった。当時は、同局がまだ新宿区河田町にあった時代。山本は「『そんなところに局があったんですか?』って今の人は言うでしょ」と言い、光浦は「あの時は大学生でお金ないし、地下鉄で曙橋で降りるとさ。出待ちのファンが『あ、光浦だ!』ってワーッと来て、『これ、ナイナイに渡してください!』って。ナイナイのファンの人の手紙とかプレゼントを持っていく係だった」と懐かしんだ。

 そして、「それを毎週やってたの。そしたら岡村(隆史)さんが『そんなことせんでええで』って言ってくれたのが20代の時だね」と明かし、「やっぱり岡村さんが好き!」と唐突に告白した。

 文句を言い合いながらも、好相性なトークを繰り広げた山本と光浦。2人の掛け合いに懐かしさを覚えた視聴者は多いようで、コメント欄には「この2人が共演してくれるだけで往年のファンからすると凄い嬉しい」「めちゃイケ世代としては、これは見る前から激熱」「めちゃイケ世代としては、最高です」など称賛の声が相次いでいた。

児嶋一哉&飯塚悟志が語る『エンタの神様』

 アンジャッシュの児嶋一哉は11月3日、自身の公式チャンネルに、東京03の飯塚悟志をゲストに招いて『エンタの神様』(日本テレビ系)の思い出を振り返った。

【裏話】エンタの神様を作ったのは児嶋説を唱える児嶋【神回】

 『エンタの神様』常連の常連だったアンジャッシュは、同番組用に95本ネタを制作したという。「【裏話】エンタの神様を作ったのは児嶋説を唱える児嶋【神回】」と題して公開された動画で、児嶋は「90何本もゴールデン番組で5~7分のネタをやった人って日本の芸能史でいないんじゃないですか?」と自画自賛。

 「この時で芸歴10年くらい。一応ストックが何本があったので、なんとかやりくりしていたんですけど、あっという間に新ネタをつくらなきゃいけなくなった」と述べ、「ここから『エンタの神様』で初卸のネタを作るようになるんですよね。今考えると、新ネタをゴールデン番組でやるなんてありえないけどね」と回顧した。

 また、当時は斬新だった『エンタ』特有の「ネタのテロップ」について、児嶋は「最初耐えられなかった。ダサいし嫌だという思いがあった」と本音を吐露。しかしその演出には、同番組のプロデューサーを務めた日本テレビの五味一男氏による「途中から番組を観た人でもどんなネタかわかるようにしたい」という意図があり、児嶋は「今思えば五味さんのおっしゃる通り」と納得しているようだった。

 一方の飯塚は「(東京03は)2003年に結成したので、『エンタ』とかには出られないなと思っていたんですよ。お笑いブームには乗れないと思っていたんですよ。そしたら思いのほか『エンタ』が長く続いてくれたので、いっちょかみできたという感じです」と述懐。『エンタ』に出たおかげで営業の仕事が舞い込むようになり、「ギャラをもらってバイトせずに食べられるようになったきっかけは『エンタの神様』」と感謝を口にした。

関連記事