『Tシャツが乾くまで』終盤の展開を徹底考察 否定的意見が主張する“失速”はあったのか?
TBS金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』が最終話を迎えた。本シリーズは、謎に包まれた交通事故によって運命を大きく変えられることになった二組の夫婦を、18年ぶりの地上波連ドラ主演となる蒼井優をはじめ、夏帆、松山ケンイチ、中島歩らが演じるオリジナル作品だ。脚本を生方美久、チーフ演出を土井裕泰が手がけ、放送開始から、その引き込まれる展開が大きな注目を集めてきた。
第1話で描かれた衝撃的な事故をきっかけに、夫婦の秘密や人間関係の謎が次々と浮かび上がり、各話の終盤に用意された予測不能な展開によって、多くの視聴者をハラハラドキドキさせてきた本シリーズ。これまでの謎が明かされていく第7話までを観た段階で、本シリーズについての大枠の試みを考察する記事を以前アップした。
『Tシャツが乾くまで』が視聴者を惹きつける理由 “ドラマ”の問い直しと向田邦子的な世界観
今期ドラマの台風の目となっている『Tシャツが乾くまで』。その正体とはいったい何なのか、なぜ視聴者を惹きつけるのかを、作品自体への…しかし、物語が終盤へ差しかかるにつれ、多くの視聴者から絶賛されていた本シリーズが、次第に賛否渦巻くものに変化していったのも事実。ここでは第8話以降、最終話までの展開を踏まえ、あらためて『Tシャツが乾くまで』という作品が何を描こうとしていたのか、そして、否定的意見が主張するような“失速”があったのかについて、終盤の内容に焦点をあてて考えてみたい。
物語は、出版社で働く瀬尾咲子(蒼井優)と、カフェを営む夫・瀬尾充(松山ケンイチ)、そして近隣に暮らす園田あずさ(夏帆)と、その夫・園田樹生(中島歩)という二組の夫婦を中心に展開する。ある夏の日、充とあずさが同じ高速バスに乗り、そのバスが事故を起こしたことで、二組の夫婦の日常は一変する。あずさは亡くなり、充は行方不明に。さらに、二人が以前から「第3金曜日」に会っていたことが判明し、充とあずさの間に何があったのかという疑念が生まれる。
咲子と樹生は、それぞれ愛する相手を失った者として、二人の足跡を追いながらその関係の真相を探っていく。しかし調べれば調べるほど、夫婦という関係の内側にあった、それぞれの秘密や言葉にできない感情が浮かび上がってくる。そして第7話では、ついに充が姿を現し、自らとあずさの「第3金曜日」の真実を語り始めるのだった。
さて第8話からは、咲子の方が衝動的に家を出るといった展開に突入する。これは、家出・放浪癖、もしくは「リセット症候群」を持つ充のお株を奪う行動であるかのように思えた。行き先も分からず連絡も取れないことで充が焦り、右往左往してしまう姿は、これまで家を空けていたことについて、それほど悪びれた態度も見せず飄々としていた充が、最も辛かったときの咲子の気持ちを味わっているという意味で、溜飲が下がった思いがした視聴者も少なくなかったことだろう。
しかも、咲子が一時身を寄せていたのは、彼女の元夫である“あっくん”(井ノ原快彦)が暮らす港町だった。ここで初めて、咲子にも離婚歴があることが明らかになる。さらに家に戻った咲子は、これまで何度も結婚と離婚を繰り返してきた過去を充に打ち明ける。そして充は、自分が咲子にとって5人目の夫だったことを、そこで初めて知るのだ。
もちろん、そんな重大な過去をこれまで一切伝えていなかった咲子の態度も、決してフェアとは言えない。ここまで来ると、充がこれまで犯してきた倫理的な問題と、咲子が抱えていた秘密のどちらがより重大なのか、単純には判断できなくなってくる。つまり、物語の構図そのものが変化していくのである。充も咲子も、一つの関係に安住することができず、違和感をおぼえてそこから離れてしまう。そこで二人は、ある意味で似たもの夫婦だったのだというニュアンスを帯びてくる。
ここでは、本シリーズを考える上で重要な要素のひとつである、“身近な存在だからこそ、かえって知らないことがある”という視点が改めて提示されている。それと同時に、従来の男女関係を描くドラマにありがちだった、“奔放に振る舞う男と、それを待ち続ける女”という構図をひっくり返し、男と女の双方に同じだけの奔放さや身勝手さを与えている点も興味深い。
ここで咲子は充に振り回される女性ではなく、自分自身の意思で関係を離れ、過去を抱え、そして別の人生を選ぶことのできる人物として描かれている。これまで日本社会のなかで繰り返されてきた、男性ばかりが許されてきたような自由を女性にも与え、男女を対等な存在として配置している。この反転には、本シリーズならではの思想的な先進性が表れているといえるだろう。
そして運命の瞬間が訪れる。第9話のラスト、咲子は洗濯機のフィルターが破れていることに気づくのだ。以前、咲子が樹生に充との惚気話をするときに口にしていた、「好きな人フィルター」という言葉。愛する相手の欠点さえも好意的に見せてしまう、そのフィルターを象徴するアイテムが、ここで物理的に破れてしまうのである。
フィルターが破れたとき、これまで愛情によって見え方を変えていた充の姿が、もう同じようには見えなくなる。その感情の変化を、洗濯機の小さな部品ひとつに託してしまうところに、本シリーズの作劇の巧みさがある。まさにこれは、前回の評論で述べた、向田邦子的な日常に潜む冷徹さそのものであり、真骨頂だといえるだろう。