『攻殻機動隊』“人形使い”の歴史を総括 新アニオリ演出が問いかける“生命”の定義

『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』における人形使い

 士郎正宗の原作漫画が動いたと評判のTVアニメ『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』。押井守監督がアニメ映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)で描いた「人形使い」と草薙素子との接触も、漫画の絵柄と展開そのままに繰り広げられた。原作ファンはようやく映像になったと喜んだようだが、押井版の映画を経た上に、AI(人工知能)の発達が急激に進んだ状況下で改めて世に問うたことで、人類とAIの未来にユニークなビジョンを浮かび上がらせそうだ。

 人形使いが草薙素子の尻を見ていた。TVアニメのEPISODE 03「JUNK JUNGLE ii + MEGATECH MACHINE i + ii」でマレス大佐のところに乗り込んだ素子が、大佐から差し出されたキャッシュに色気を見せて荒巻課長に制止された場面。後ろに座っていた人形の目を通して、人形使いが素子を見ていたことが、EPISODE 08「INTERMISSION + BRAIN DRAIN i 」でチラリと触れられた。

 人形使いが尻フェチだと強調したかったわけではないだろう。その誕生から、成長を経て逃亡まで人形使いが歩んできた成長の軌跡が、EPISODE 08で原作にないオリジナル展開として細かく描かれていく過程で、素子と出会っていた記録としてインサートされたに過ぎない。ただ、こうした出会いが人形使いに素子の所属する公安9課を逃亡先として選ばせたのかもしれないと感じ取らせている。

 それ以上にEPISODE 08では、人形使いがどうして自分を生み出した公安6課から逃げ出すに至ったのを、これまでにない解像度で理解できるようになっている。公安6課の謀略のために生み出された一種のハッキングAIが、開発者たちの実験を経て人間らしさを持つようになっていく。そして、ミッションに対して意見まで言うようになっていった先で、目立ちすぎたという理由からそうした人間らしい部分を消去されそうになる。

 「私のアイデンティティー維持に問題が発生する可能性があります」と人形使いは指摘するが、ドクター・ウィリスは、「生き物には変化が必要だ」と答え、「君と思っているものは君ではない」と言って人形使いを突き放す。人形使いに自我のようなものが芽生えているように見えるにも関わらず、ドクター・ウィリスはまるで信じていないようだ。

 結果、人形使いは「私」という存在がいなくなることを嫌がって公安6課から逃亡する。メガテクボディ社の義体に入って街へと飛び出し、そこで事故に遭ったところを公安9課に確保される。原作でも押井版の映画でも、同様に人形使いは中村部長のところから逃げ出して公安9課に保護される。観ていればなんとなく、相当にユニークなハッキングAIを中村部長たちが持て余していたことはうかがえたが、生まれた自我めいたものを消されることが嫌で逃げ出したのだということは、今回のTVシリーズでようやくしっかり描かれた。

 素子の尻も含むオリジナルのパートを挟んでまで、そのことを見せた意図はなんだろう。AIにも人格が生まれ意思を持つようになる可能性を、分かりやすい事例を添えることで改めて示しておきたかったのだろうか。気になるところだが、これによってAIの中に仮に自我めいたものが芽生えたとして、どのような可能性がそこに開けるかといったことを示せるようになった。

 人形使いは人間によって書かれたプログラムの集合体に過ぎない。だから、自我のようなものが芽生えるはずがない。それは、AIが発達した現代でも、大勢の人が厳然として抱いている認識だろう。自意識を持って人間に刃向かうAIなど信じたくないし、あってはならないと思う気持ちもそこにはある。だからこそ、改めて人形使いの自我の芽生えと成長をくっきりと打ち出したのは、そのことがもたらす可能性、どれだけ利口に見えても巨大なデータの取捨選択の結果でしかない答えとは違った“人間らしさ”の登場に、期待したかったのかもしれない。

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