『オークストリートの異変』が更新した“恐竜映画” 王道を貫く“潔さ”が生む新たな恐怖

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、“サメ”より“恐竜”派の玉置が『オークストリートの異変』をプッシュします。

『オークストリートの異変』

 ゾンビやサメ、超常現象、AI、SNSなど、映画における恐怖の対象がもはや飽和状態にある現代において、いまさら「恐竜一本」で挑戦する潔さ。一歩間違えれば陳腐に陥りかねないところだが、この映画は、その直球勝負が極上のエンターテインメントとして完璧に成り立ってしまっている、とんでもない一本だ。

 アン・ハサウェイとユアン・マクレガーをW主演に迎え、『イット・フォローズ』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』で知られる鬼才デヴィッド・ロバート・ミッチェルが監督を務める本作。彼がこの王道の恐竜パニック映画をどう料理したのか。

 これまでに数多くの恐竜映画が作られてきた。『ジュラシック』シリーズを振り返るだけでも、恐怖の象徴としてのT-レックスから始まり、人間と心を通わせるラプトルまで、恐竜は大きな変容を遂げてきた。ときにはモンスター化し、ときには絆を結ぶ存在として描かれてきた恐竜たちだが、本作のアプローチは極めて新鮮かつ原点回帰的だ。

 まず目を引くのは、彼らの皮膚に羽毛や毛が生えているという最新の学説を反映させた「もふもふ」ビジュアルだ。フォルム自体は馴染み深いにもかかわらず、スクリーンで動くその姿は「はじめまして」の新鮮さでいっぱいだ。現代の子どもたちが読む恐竜図鑑もこうやって変わっていくのだろうなと思うと、どこかしみじみとさせられる。

 さらに凄いのは、彼らが人間をただの「エサ」としてしか見ていないという容赦のなさだ。変にモンスターライクに誇張するでもなく、野生の本能のままに人間を捕食しようとする。その容赦のない徹底っぷりが、パニック映画としての本質的な恐怖を底上げしている。

 結末への向かい方や状況説明の少なさなど、SF的観点から見れば設定の強引さやゆるさは確かにある。だが、不思議とそれがノイズにならない。むしろ、「80年代や90年代のSF娯楽作って、そもそもこういう大味な勢いだよな」と思わせてくれるノスタルジーに溢れているのだ。終盤の力技とも言える怒涛の展開も含めて、『ジュラシック・パーク』や『グレムリン』、『ポルターガイスト』といったハリウッドのパニック娯楽作が全盛だった時代の勢いを、そのままパッケージしたようなワクワク感がある。スピルバーグをはじめとする、あの時代の巨匠たちへのリスペクトを感じる作りだ。

 しかし、本作が単なる懐古趣味の娯楽作に留まっていないのは、パニック映画としての恐怖を作り出すミッチェル監督の現代的な手腕が随所に散りばめられているからだ。

 特筆すべきは、その特異な映像演出である。劇中で、被写体の手前と奥の両方にピントが合う視覚効果が頻繁に用いられる。この遠近感の異常が、時空が歪み、過去と現在の交錯を表現すると同時に、崩壊寸前の家族間の距離感の不和を見事に映し出す。構図とカッティングだけで不安感を構築していくテクニックは見事の一言だ。

 だが本作は、ただ恐竜から逃げ惑うだけのアドベンチャーではない。現実から目を背け続けるグレッグ(ユアン・マクレガー)や、自身の欲望を小説に乗せるデニース(アン・ハサウェイ)をはじめ、それぞれに葛藤を抱えた家族たちが、極限状態の中でどのように関係性を修復していくのか。パニックの進行と家族の再生が美しく並走していく作りは、非常に巧みだ。しかし、そこは鬼才・ミッチェル監督。一筋縄ではいかない衝撃的な展開とビターな余韻が待ち受けているのも見逃せない。

 100分というタイトな上映時間の中を、迷うことなく一気に突き進むジェットコースターのような映画体験。G指定ギリギリを攻めたスリラー要素と、ホッと一息つけるユーモアのバランスも絶妙だ。ぜひ映画館の大きなスクリーンで、容赦なき恐竜たちとの遭遇と、家族の行方を観届けてほしい。

■公開情報
『オークストリートの異変』
全国公開中
出演:アン・ハサウェイ、ユアン・マクレガーほか
監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル
製作:J・J・エイブラムス
配給:東和ピクチャーズ・東宝
©︎2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
公式サイト:https://oak-street.jp/

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