『GTO』反町隆史演じる鬼塚の変わらない“ダサさ” 情報社会の学園ドラマのゆくえ
さて、この令和版において鬼塚は、生徒たちが教師に対してつける評価を気にして――1998年版で同僚の冬月先生だった妻の鬼塚あずさ(松嶋菜々子)に愛想を尽かされるのを危惧して――、生徒たちの悩みごとや困りごとを一手に引き受けるという方法で、誠進学園の空気に順応しようとしていく。そこに1998年版にあったような型破りで向こう見ずな力強さは見当たらないが、よくよく考えてみれば当時もやっと掴んだ教師という職業を失わないように必死になっている“ダサさ”が共存していた。つまり鬼塚英吉という人間のベースにあるものは何ら変わっていないといえよう。
要するに、何かしらのきっかけで我々視聴者がイメージする大胆不敵な“グレート・ティーチャー”が戻ってくるという期待は充分に残されているのである。現に、不登校だった片山健太(森本陸斗)を学校に呼び戻し、学校を辞めようとした伊藤結(稲垣来泉)を思い留まらせ、吉田歩夢(川口利空)の片想いに介入するなど、各エピソードでその片鱗が見え隠れする。ただその一方、ここまで(第3話まで)の展開を観ている限り、1998年版の頃から大きく変わってしまったものがあるように感じる。それは、生徒たちにとっての“学校”と“外の世界”のあり方だ。
1998年版の武蔵野聖林学苑2年4組の生徒たちは、家庭に問題を抱え外の街を遊びふらつくなど、そうした学校外の世界で積もりに積もった鬱憤を晴らす“逃げ場”として学校という場を使い、陰湿な教師いびりやいじめに興じていた。だからこそ、そこで手を差し伸べることができる教師という立場が意味を持つ。鬼塚は彼らに逃げずに立ち向かっていくことを説き、その起点となる“居場所”としての学校を与え、守ろうとした。だからこそ、夢を追うために苛烈な世界へあえて飛び出そうとする朋子(黒田美樹)を応援し、周囲の反対を押し切って退学させたのである。
だが令和版において、もはや会社と化した学校は“居場所”どころか“逃げ場”にもなっていない。つまり生徒たちは学校には来ているが、正も負もない“無”でしかない。だからこそ鬼塚は、まずそこになにかをひとつ作りあげる必要が生じてくる。第1話で健太を救うのも、第2話で結の退学を阻止するのも、闇雲に逃げ場を探して誤った選択をしてしまいそうになる――“無”のなかを彷徨いつづけることになる――彼らのために、鬼塚自身が逃げ場となろうとしているのであろう。象徴的に手を重ねるショットがインサートするのもそのためだ。
そうしたフィジカルなものと対になるように、生徒たちの闇雲な逃げ場となっているのはチャットなどのSNSであったり、なんとなく学校全体、社会全体に流れる空気感に他ならない。生徒一人一人の“個”が行き場をなくしていた1998年版に対し、この令和版はもっと大きな社会のなかでそもそも失われてしまった“個”それ自体を呼び起こすことが優先される。それができて初めて、“学園ドラマ”としてのスタイルを取り戻し、現代の教育現場に必要なものを見出すことができるのだろう。
■放送情報
『GTO』
カンテレ・フジテレビ系にて、7月20日(月)スタート 毎週月曜22:00~放送
出演:反町隆史、生見愛瑠、工藤阿須加、高橋メアリージュン、市川知宏、夙川アトム、近藤芳正、宇梶剛士、松嶋菜々子、稲垣来泉、及川桃利、大島美優、梶原叶渚、川口和空、北里琉、柴崎楓雅、難波碧空、西浦心乃助、堀口真帆、森本陸斗ほか
原作:藤沢とおる『GTO』(講談社『週刊少年マガジンKC』刊)
脚本:遊川和彦
監督:中島悟、松田健斗
音楽:福廣秀一朗
エグゼクティブプロデューサー:安藤和久
チーフプロデューサー:河西秀幸
プロデューサー:永富康太郎、伊藤茜
制作協力:メディアプルポ
制作著作:カンテレ
©︎カンテレ
公式X(旧Twitter):https://x.com/GTO2026summer
公式Instagram:https://www.instagram.com/gto2026summer/
公式TikTok:https://www.tiktok.com/@gto2026summer