『Tシャツが乾くまで』“ちょうどいい”は誰の基準? 視聴者の考察を誘う“余白”の巧みさ

『Tシャツが乾くまで』余白が生む面白さ

 金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』(TBS系)が、考察しがいのあるドラマとして注目を集めている。7月10日の第1話放送後には、キービジュアルで交差するキャラクターたちの視線や、劇中に登場した三島由紀夫の『愛の渇き』(新潮社)、さらに「1.5話」としてTVerで公開されているサイドストーリーなど、さまざまな角度から今後の展開を予想する声が飛び交った。

 ヒューマンドラマとも、ラブストーリーとも、サスペンスとも、簡単にはカテゴライズできない。その曖昧さのなかに、私たちが思考する余白がある。金曜日の夜、このドラマを観て、それぞれがどう感じ、何を話すのか。そこまで含めて、この作品の魅力と言えそうだ。

「ちょうどいい」は誰の基準なのか

 バス事故で夫・充(松山ケンイチ)が行方不明となった咲子(蒼井優)と、同じ事故で妻・あずさ(夏帆)を亡くした樹生(中島歩)。第2話では、似た境遇から奇妙な連帯を築くふたりが、あずさと充の関係を疑う樹生の言葉をきっかけに、事故の日までの足取りを追いはじめる。そのなかで印象的に響いたのは、「ちょうどいい」という言葉だった。

 行動をともにする咲子と樹生を見て、直人(高橋文哉)や宮内(リリー・フランキー)は、ふたりには互いが「ちょうどいい」相手だと言い放つ。もちろん、その言葉に強烈な違和感を抱くふたり。何がそんなに「ちょうどいい」のか。まったく自分たちの心境にそぐわない言葉に腹を立てる。

 しかし、もともと樹生は、何かと「ちょうどいい」という言葉を好んできたことも明かされる。Tシャツはジャストサイズを選び、第2子を迎えるなら4歳違いが「ちょうどいい」と、あずさを説得していた過去の場面も流れた。

 「ちょうどいい」という言葉には、過不足なく、ぴったりと一致するという感覚がある。たとえば、服の大きさや、相手と遭遇するタイミングの良さについて、「ちょうどいい」と感じる。その言葉は、外から測った正確さというより、自分にしかわからない感覚の納まりを表している。

 だが、他者が誰かの状態を見て「ちょうどいい」と言うときは、同じ言葉でも性質が異なるのではないか。本人の感覚には、本来、本人にしか触れられない部分がある。それにもかかわらず、外側から「ぴったり合っている」と言い切ることで、本人が感じている不足や余りが見えなくなってしまうように思うのだ。

「ちょっとずれちゃったり、余っちゃったり、そういうのもあーだこーだ言いながら楽しみたいんですけどね。樹生はそうじゃないものが好きだから」

 生前、あずさは宮内にそうこぼしていた。本人にしか決められないはずの基準を、他者が代わりに決めてしまう。そのことに、強い違和感を覚える。

 もしかしたら、あずさは異なる感覚を持つ夫婦ふたりにとって「ちょうどいい」とは何なのか、樹生と話し合いたかったのではないだろうか。でも、樹生は夫婦なのだから同じことを考えていると信じていたようだ。彼の「ね?」には、あずさが何かを返す前に、会話にフタをする言葉にも聞こえたのではないか。相手の状況や、相手とともに決めなければならないことについて「ちょうどいい」と言うときには、もう少し慎重に言葉を選ばなければならないのかもしれない。

その関係に、名前をつけるのは誰か

 とはいえ、樹生が言葉を雑に扱うタイプでもないように思えた。それは、咲子が子どもを「持つ」と表現した際に、その言い方を指摘したことからもうかがえる。ただ、それは咲子があくまでも他者だったからかもしれない。一方、あずさに対しては、「夫婦なのだから同じことを良しとしているはずだ」という、甘えや驕りにも近い期待があったのではないだろうか。

 だが、「死んだってプライバシーは守られるべきだ」「夫婦だからって全て知る権利はないですよね」という言葉に触れるうちに、樹生のなかにも、夫婦であってももともと他人同士としてあったはずの境界線が、少しずつ見えてきたのかもしれない。

 そして、「ちょうどいい」という言葉で相手の状況を判断する危うさに、気づきはじめたのではないか。そう思えたのが、直人から咲子との関係を疑われ、「ちょうどいいじゃないですか」という言葉を向けられたときだった。

 ただ、その言い合いのあとに流れた過去の場面が、「ちょうどいい」という言葉をよく用いてきた樹生の人物像を明確にするものだったのか、あずさに対する反省まで含まれていたのかは明示されない。そこにも、見る側が考える余白が残されていたように感じた。

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