スタジオジブリの重要な転換点 『魔女の宅急便』がいまなお圧倒的に支持されている理由

 物語の根幹となるのは、やはりキキがスランプに陥って魔法の力が弱まってしまう部分にこそあるだろう。それでは、キキがある日を境に、黒猫のジジと言葉が通じなくなり、突如として飛べなくなることの意味とは何なのか。

 それまで彼女にとって空を飛ぶことは、魔女の子として生まれついたがゆえであり、疑う余地のない生き方だった。しかし、“ニシンのパイの一件”によって、依頼者の孫への愛情を、雨に濡れながら届けた努力や誠意が、必ずしも相手に好意的に受け入れられるわけではないという冷徹な事実に直面する。こうした現実のなかで、“世界に愛されている、庇護されている”という彼女のこれまでの無自覚な全能感、すなわち魔法を手にしているという特権的な感覚は遮断される。

 “魔女の子”という与えられた属性だけで、何も考えずに状況へと飛び込んでいくことができたキキ。しかし、思い通りにならない他者や環境という壁に突き当たったことで、彼女は逆に、自分自身がどうすれば世界に必要とされるのか、という課題に直面するのである。そこでは、自分の存在を根底から考え直し、行動に主体的な意味を見出すことが必要になってくる。

 この構図は、キキの復調の要因となるだろう、画学生のウルスラの存在が、分かりやすく示している。単に絵が好きで描き続けるだけでは、アーティストと呼ばれるような存在になることは難しい。共同体の常識から離れ、自分だけのテーマに向き合って個人として確立することが、プロの画家としての第一歩なのだ。それは画家に限らず、自分の行動の責任を自分で引き受ける“大人”になるという、近代以降の多くの人間にとっての実存的な課題でもある。

 クライマックスでは、友人の男の子トンボが飛行船から落下しそうになるのを必死で助けようとするキキの姿が描かれる。「魔女だから飛ぶ」という既成概念や受動的な流れからではなく、「目の前の人間を救いたい」という個人の切実な意志が、飛翔という行為を一つの手段として“主体的”にキキに選ばせるのだ。

 それは、画家が「画家だから絵を描く」のではなく、ある表現やテーマを伝えるために筆を握るからこそ、そこに価値が生まれていく構図と同様だ。力に溺れるのではなく、自分の力を何かのために使うという姿勢こそが、宮﨑監督自身がクリエイターとして強烈に追い求め、自らの作品作りに最も必要であると確信していたものに他ならないのだろう。

 宮﨑作品における“飛翔”の表現は、常に誇張された圧倒的なリアリティと力学に裏打ちされている。例えば、劇中でキキが雁の群れとともに上空を飛んでいるシーン。突如として見えない突風が発生し、雁たちが次々と弾かれるように吹き飛んで上昇していくなか、キキもまた抗う間もなく横殴りに流されてしまう。この緻密なアニメーションは、私たちが漠然と思い描く“空を飛ぶ”というファンタジーへの油断した想像を打ち消し、空と飛翔体との関係性を、表現そのものによって鮮烈に再定義している。

 空中とは決して自由で平滑な空間ではなく、目に見えない強大な気流という、自然の力が支配する過酷な場であること。そこを飛ぶためには、その巨大な力を利用し、ときにその力から逃れなければならないという、物理現象に対する真理や実感を、感覚的に突きつけてくるのだ。トンボとプロペラ付きの自転車で、猛スピードのまま斜面を駆け下り、ふわりと宙に浮く瞬間の感覚もまた同様である。

 こうした、狂気すら感じられる宮﨑作品のアニメーション表現へのこだわりは、ここでテーマと合致する。現実のなかで落ち込んだ少女が、もがきながら再び浮上し、自らの意志で世界と向き合おうとする物語が、こうした飛翔という物理的運動とつながり、アクションシーンに熱いエモーションを注ぎ込むのである。

 映画館の巨大なスクリーンでわれわれが目にするのは、誰もが人生のどこかで直面するだろうパーソナルなテーマと、卓越した映像表現が、幸福に手を結んだ奇跡的な瞬間である。本作『魔女の宅急便』が、公開から長い歳月を越えてなお圧倒的に支持されている理由は、まさにそこにあるのだ。

■公開情報
『魔女の宅急便』4KデジタルリマスターIMAX上映
全国のIMAX劇場にて期間限定公開中

『魔女の宅急便』4Kデジタルリマスター全国拡大上映・Dolby Cinema上映
7月3日(金)より2週間限定上映
シアターリスト:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=majo

原作:角野栄子(福音館書店刊)
プロデューサー・脚本・監督:宮﨑駿
音楽:久石譲
挿入歌:「やさしさに包まれたなら」歌:荒井由実(アルファレコード)/オリジナルサントラ盤(徳間ジャパン)
徳間書店・ヤマト運輸・日本テレビ放送網株式会社提携作品
制作:スタジオジブリ
配給:東宝
©1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N
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