『田鎖ブラザーズ』兄弟と晴子に訪れた衝撃の真実 “復讐の連鎖”は何を残したのか?

「もう、ここまでだ」
真(岡田将生)が稔(染谷将太)に呟いたその言葉は、何を意味していたのだろう。
両親を殺害した犯人を見つけ出す、31年もの旅の終わり。時効を迎え、法律では裁くことのできない犯人に私的な制裁を加えた。その罪を認め、警察へと出頭する直前の心境だったのかもしれない。あるいは、犯人を恨み続けることに「ここまでだ」と区切りをつけ、新たな人生を歩もうとする決意だったのか……。

できれば、そんなふうに前を向くための言葉であってほしいと思う。
金曜ドラマ『田鎖ブラザーズ』(TBS系)の最終話では、ついに最後の証人ともいえる晴子(井川遥)の口から真実が語られた。田鎖兄弟の両親が殺されたあの日、晴子もまた切りつけられた被害者のひとりだった。それから彼女は、姉のように兄弟に寄り添ってきた。
“もっちゃん”こと茂木(山中崇)が作ったチャーハンにローソクを立てて、稔のためにささやかな誕生日パーティーを開いたこともあった。事件の真相を追い求めるために警察官となった真へ、就職祝いの腕時計を贈ったことも。晴子は、両親を失った兄弟にとって、もっちゃんと同じように間違いなく“味方”だった。

けれど、そこにたしかな愛情があったからこそ、事件の裏にあった真実の残酷さは増していく。もっちゃんは、警察官の笹岡(柳憂怜)と辛島金属工場の工場長・貞夫(長江英和)に、なかば脅されるかたちで田鎖夫妻を襲ったが、そのときすでに田鎖夫妻は動いていなかったという。
たしかに、あのもっちゃんが、少々やんちゃな性格の田鎖朔太郎(和田正人)と、チャキチャキと活発な由香(上田遙)に抵抗されないまま犯行をやり遂げたとは考えにくい部分があった。では、事前に何かしらの薬物で眠らされていたのだろうか。例えば、両親が焼きそばにたっぷりとかけていた、お酢のボトルに仕込まれていたのだとしたら。
しかし、それができるのであれば、わざわざ凶器を持って忍び込むリスクを取る必要はない。眠らせる薬ではなく、命を奪う毒物を仕込めばよかったはずだ。つまり、そこにはもうひとつの殺人が重なっていたということ。

もっちゃんが手を下す前に、両親はすでに殺されていたのかもしれない。それは新たな謎でありながら、もっちゃんを恨みきれない稔にとっては、ひとつの希望にもなっていく。まるでもっちゃんの罪を晴らそうとするかのように、稔は毒物の検出に奔走。その結果、あのお酢が入っていた瓶から、ジギタリスという毒物が見つかる。その事実は、あのお酢が両親の好物だと知る、より親しい人間による犯行であることを告げるものでもあった。
同時に判明したのが、密造した拳銃の取引が行われなかったことによって殺害された漁師・足利公司が、晴子の父だったという事実だ。それを知った真は、思わず叫ばずにはいられない。しかし、その声は走り去るトラックの音にかき消された。その風景はまるで、これまで「なかったこと」にされてきた声が、たしかにそこにあったのだと示しているようだった。
届かなかったのは、「私のお父さんも殺された」という晴子の思いだった。大好きだった父は、酔っ払って海で溺れたことにされた。あの日、朔太郎が密輸拳銃に気づき、取引が成立しなかったせいで命を奪われたにもかかわらず。なかったことにされた真実を知った晴子に、「気分転換に読んでみたら?」と毒物の本を渡したのは、あの秦野(渡辺真起子)だった。だから秦野は、真と会ったときに気づいたのだろう。自分が教唆した“晴子の殺人事件”として。
晴子の復讐は成功した。「どんな気分だ?」と、今まさに晴子に復讐しようとする真が、そう問いかける。殺したいと願った相手を殺すことで、いったい何が得られるのか。少なくとも、晴子の気持ちは晴れていないように見えた。どこへ逃げても、罪の意識は消えない。人生を壊された被害者としての悲しみに輪をかけて、復讐を遂げたあとには、自分の手で自分の人生を壊してしまった苦しみを背負うことになる。
そして晴子は言う。「私はきっと真と稔に裁かれたかったんだと思う」――それは、この事件に関わりながらも兄弟を支えてきた大人たちの総意だったようにも感じられた。事件の真相を知りながら見て見ぬふりをしてきた小池(岸谷五朗)も、「みんなの幸せのため」だと言い聞かせて罪をなかったことにしようとした辛島夫妻も、やむを得ない事情があったとはいえ、実行犯として動いてしまったもっちゃんも……。
誰かを裁くことも、自分を罰することも、もしかしたら単なるきっかけでしかないのかもしれない。終わることのない愛情と憎しみの連鎖に、「ここまで」と区切りをつけるための。でも、その区切りをつけるまでに、私たちはたくさんの情報と時間を必要とする。どれだけのものが必要なのかは、人によって違う。だからこそ、難しい。この事件の本当の犯人は、そのひとりひとりが抱える痛みや、苦悩してきた時間を、まるでなかったことにしてしまう社会の様々な仕組みだったのではないだろうか。





















