ブライアン・デ・パルマによる“魔改造”リメイク作 『スカーフェイス』がいまも鮮烈な理由

 当初監督に予定されていた名匠シドニー・ルメットは、作中の暴力描写が多すぎると感じ、プロジェクトを降板している。その後を継いだデ・パルマは、ルメットが土台として用意した現代の移民問題と麻薬汚染、資本主義の加速という政治的な構図を、このような悪趣味なオペラとしての見世物へと反転させながら、それ自体を作品をパワフルにする“ブースト”にも利用している。

 脚本を担当したオリバー・ストーンが、当時自身も麻薬の依存に苦しんでいたというエピソードは、本作の持つトニーの依存症描写や焦燥感をリアルに裏付けるものとして興味深い。ストーンは、実在する南米の麻薬王をモデルにソーサというキャラクターを創造し、物語を単なる街のチンピラの成り上がりから、国家や政府のコネクションと繋がっている、グローバルな麻薬カルテルへと、スケールを拡張させている。

 リメイク元『暗黒街の顔役』のトニー・カモンテは、自らの凶暴性とエゴによって自滅していった。そこには、イタリア・ルネサンス期の貴族「ボルジア家」の権謀術数や内部抗争のムードを取り入れる文学性が含ませられていた。パチーノが演じるトニー・モンタナは、自身のコカイン中毒による誇大妄想と、ソーサに代表される組織の双方に挟まれ、破滅を迎えていく。

 その破滅への道程は、どちらかといえば『マクベス』的だと感じられる。そこにグロテスクな“現代性”をありったけつめ込んでいる異様さが、本作をカルト映画たらしめていると考えられる。トニーのパートナーとなるエルヴィラ役を演じたミシェル・ファイファーの、当時のクールで硬質的な美しさもまた、シェイクスピア劇『マクベス』のキャラクターを想起させる。

 こうした表面的に様式美を導入していくアプローチもまた特徴的だ。『めまい』(1958年)や『サイコ』(1960年)、あるいはエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1925年)といった過去の名作から、物語の深みや倫理よりも形式を引き剥がして強調してみせるのがデ・パルマ流なのである。

 その一方で、『キャリー』(1976年)や『ミッション:インポッシブル』(1996年)で見せる、観客を飽きさせない強烈なショットの連続には、デ・パルマの商業的な職人としての手腕が光っている。つまり彼の過剰さというのは、形式美への耽溺であることを超えて、それ以上に観客の目をスクリーンに釘付けにするためのスペクタクルの醸成を狙ったものだったといえよう。

 こういった文脈に『スカーフェイス』を引き戻すと、本作がいかに彼のキャリアにおいて重要であったかが、あらためて理解できる。ここでデ・パルマは、かつてのヒッチコック的サスペンスの演出手法をほぼ封印している。だがチェーンソーによる惨殺シーン、ヘリからの突き落としや、銃弾が飛び交うカオス、そしてトニーの最期の佇まいは、すべてが単純で強烈なショットでありながら、同時にトニー・モンタナという男の生き様そのものであり、それを通して極端に資本主義に傾く社会の狂気を見事に表現し得たのである。デ・パルマの過剰さやカルト性は、彼独自のタッチに純化されながら、本質的な意味で一般的な感覚と強く結びついたのだ。

 この強烈に過剰な映像と音楽の洪水を現在の観客が観るとき、想起せざるを得ないのがやはり、再び狂奔する新自由主義的な資本主義の暴走と、それによってバランスを失って崩れてゆく社会のなかに生きているという、共通した実感だろう。名声、金、トロフィーとしてのパートナー。そうした80年代的な歪な価値観は、それが実体を喪失してなお、幻想として生き続け、いまだにわれわれを狂わそうとする。そのことを、『スカーフェイス』は、いまこそまざまざと眼前に突きつけるのである。

■公開情報
『スカーフェイス 4K版』
シネマート新宿ほかにて公開中
出演:アル・パチーノ、スティーヴン・バウアー、ミシェル・ファイファー
監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:オリバー・ストーン
配給:シンカ
1983年/アメリカ/170分/R15+/原題:Scarface
©1983 UNIVERSAL CITY STUDIOS. All Rights Reserved.
公式サイト:https://synca.jp/film/980/
公式X(旧Twitter):@SYNCACreations

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