蒼井優は映画青年たちの憧れそのものだった 『百万円と苦虫女』が肯定してくれた“逃避”

リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。2008年の蒼井優カレンダーが未だに実家の部屋に飾ってある石井が『百万円と苦虫女』をプッシュします。
『百万円と苦虫女』

『下妻物語』や『リンダ リンダ リンダ』など、2000年代中盤の邦画が、次々とリバイバル上映されています。スクリーンで再会できるのは本当に嬉しいことですが、ふと公開年を見て愕然とすることがあります。「え、もう約20年経ってるの?」と。
バイト代を握りしめて映画館に通っていた学生時代の記憶が、昨日のことのような、でも確実に遠い昔のこととして蘇り、なんとも言えない哀愁を感じてしまいます。
私にとって映画館に最も通っていた頃の愛すべき1本である映画が、またもやリバイバル上映されました。2008年に公開されたタナダユキ監督作『百万円と苦虫女』です。
私の青春のバイブルであり、当時の蒼井優という存在に本気で恋い焦がれていました。『フラガール』で見せた圧倒的な輝きも最高でしたが、ベスト蒼井優は何かと問われれば、『花とアリス』、そしてこの『百万円と苦虫女』だと断言できます。きっと、そんな映画人は男女を問わず、当時とても多かったように思います。
この映画の蒼井優は、徹底して「地味」です。殺風景なアパートで呆然としたり、不機嫌そうに黙り込んだり。タイトル通り「苦虫を噛み潰したような顔」をするんですが、その愛想笑いのひとつもない表情が、逆に痛いほどリアルで、最高に愛おしい。
「何者かにならなきゃいけない」というプレッシャーに押しつぶされそうだった当時の自分にとって、スクリーンの中で頑なに「何者にもならない」まま生きる等身大の主人公・鈴子は、どんなヒロインよりも眩しく見えました。
物語のきっかけは、どこにでもありそうな、でも鈴子にとっては致命的なつまづきから始まります。就職に失敗しバイト生活をしていた彼女は、あるトラブルから「前科持ち」になってしまう。実家にも居づらく、近所の目も痛い。そこで彼女は、家族に「百万円貯まったら、この家を出て行きます」と宣言します。
そうして彼女は、誰も自分を知らない街へ行って、バイトをして百万円貯まったら、また次の街へ……という生活を始めます。形式としてはロードムービーですが、この映画のすごいところは、よくある「自分探しの旅」ではないという点です。鈴子は新しい世界を見たいわけでも、自分を成長させたいわけでもない。ただ、他人のレッテルや干渉から逃れて、自分の平穏な日常を守るために移動し続けているんです。
今でこそ生き方も多様になってきていますが、2008年の公開当時はまだまだ「逃げるな、立ち向かえ」という声が大きかったように思います。そんな時代背景の中でも、鈴子は「生き延びるためなら逃げてもいい」と教えてくれました。

彼女の旅は冒険ではなく、自分という領域を守るための戦略的撤退。けれど、逃げた先々で彼女を待ち受けているのが、皮肉にも彼女が拒絶したはずの役割の押し付け。海辺の町に行けば、かき氷を作る才能を見出されるものの、同時に若い女性というだけで男性からの無遠慮な好意に晒される。山間の村に行けば、村おこしのために「桃娘」になれと強要され、断ると「なんでみんなのためにやらないの?」と詰め寄られる。
そして最後にたどり着いた地方都市。ここで鈴子は、自分と同じように社会から浮いている大学生・中島(森山未來)と出会い惹かれ合いますが、ここでも“お金”と“言葉足らずな優しさ”が関係を歪めていく。
どこへ行っても、社会は彼女を「都合のいい誰か」にしようとする。その息苦しさから逃れるために、彼女はまた荷物をまとめて、百万円を貯める。その繰り返しが、切なくも羨ましくもありました。
また、この映画を語る上で外せないのが、実家に残された鈴子の弟・拓也の存在です。 彼は学校で深刻ないじめを受けていますが、親にも言えずに耐えている。最初は姉を軽蔑していますが、旅先から届く鈴子の手紙を読むうちに、「姉ちゃんは逃げることで世界と戦ってるんだ」と気づいていく。

逃げることで自分を守る姉と、踏みとどまって戦う弟。離れ離れの二人が、手紙を通じて精神的な戦友になっていく。拓也が最後に鈴子へ送る手紙のメッセージには涙腺が緩みました。逃げる者と留まる者、どちらが偉いわけでもない。どっちも必死に生きてるんだと肯定してくれる優しさに、今の時代こそ救われる人は多いと思います。
決して大きな展開が起こる物語ではありませんが、それでも確実に心に確かな温もりを与えてくれる一作です。公開時に観た方も、初めて本作を知った方も劇場での鑑賞をオススメします。
■公開情報
『百万円と苦虫女』
渋谷 ホワイトシネクイントにて公開中
出演:蒼井優、森山未來、ピエール瀧 他
監督・脚本:タナダユキ
配給:日活
2008年製作/121分/日本
©2008「百万円と苦虫女」製作委員会
公式サイト:https://www.cinequinto.com/white/




















