横浜流星×井上祐貴の最高の“ラスト”シーン 『べらぼう』が教えてくれた歴史を知る喜び

史実だけではドラマにあらず、フィクションだけでも大河にあらず

第47回で度肝を抜かれたのは、治済の替え玉となる男が「能役者・斎藤十郎兵衛」であったこと。斎藤十郎兵衛とは、歴史の世界では写楽の正体と言われているその人だ。長らく、写楽は正体不明の絵師として様々な説が飛び交っていた。そのなかで『べらぼう』で描かれたように複数人説もあったため、「今回はその説が採用されたのか」と史実を踏まえた上でフィクションとして楽しむ覚悟をしていたところだった。そこに来ての斎藤十郎兵衛が登場したのだから、まさに「そう来たか!」だ。
「幻の絵師・写楽とは何者だ!?」と江戸中が話題沸騰の間に、治済がすり替わっていたなんて、それこそフィクションだとは思う。だが、現代だって多くの人が注目するようなニュースにまぎれて、しれっと重要な法案が通るなんていう「政治隠し」の陰謀説がまことしやかに囁かれていたりするものだ。これだけ様々な形でログが残る令和でさえそうなのだ。江戸時代の茶室という密室で起こったことが史実として残っているはずもない。そこに、誰にも明かされなかった真実だって、もしかしたらあるかもしれない。そう思えるところにこそ、歴史のロマンがある。

定信が白河藩に戻る前、耕書堂を聖地巡礼のように訪れて、蔦重に恋川春町(岡山天音)を「我が神」と語ったのもきっとフィクション。しかし、そこには黄表紙好きであったこと。後に、大田南畝(桐谷健太)、朋誠堂喜三二(尾美としのり)、山東京伝(古川雄大)らに、江戸で暮らすさまざまな職業の人々を描いた『近世職人尽絵詞』の執筆を依頼したというエピソードなどを踏まえると、"あり得た風景"として腹に落ちる。史実をそのまま描くだけではドラマにはならない。とはいえ、フィクションだけでは大河ドラマとしての見応えがなくなってしまう。『べらぼう』は、その絶妙な塩梅を夢のある笑い話をプロデュースしてきた蔦重を主人公にすることで、見事に実現したように思う。
これまで歴史の教科書では「寛政の改革」という文字から「真面目」で「堅物」といったイメージが強く、どこか近寄りがたい印象だった定信。そんな歴史上の偉人が「推し」がいる幸せを享受する現代社会において、親しみのあるキャラクターへと昇華されたのもドラマの力だ。また、実際の治済は贅沢な暮らしをしながら、76歳まで天寿を全うし、一方で家斉は晩年になっても家基の命日に熱心に供養していたと言われている。いつの日か、定信や治済や家斉を主人公にした大河ドラマが生まれたら、また違った視点での歴史を楽しむことができるかもしれない。

いよいよ次回は最終回。史実では、蔦重がその短い人生に幕を下ろすことになる。そのときの様子は資料にない。それこそロマンに満ちたラストが思い描けるというもの。果たして、蔦重はどんな言葉でその意志を私たちに遺してくれるのだろうか。そして、その志を受け取った私たちが、何を遺していけるのだろうか。夢と笑いに包まれながら、1人ひとりが自分の“分”と向き合う大切な瞬間となるはずだ。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK





















