横浜流星×井上祐貴の最高の“ラスト”シーン 『べらぼう』が教えてくれた歴史を知る喜び

『べらぼう』蔦重×定信の最高“ラスト”

 NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』も大詰め。第47回「饅頭こわい」では、ついに治済(生田斗真)が成敗されることに。だが、自分は決して表に立たず、人々を傀儡のように動かしてきた治済のこと。そう簡単に騙されるわけはない。

 蔦重(横浜流星)はもちろん、松平定信(井上祐貴)に、田沼意次(渡辺謙)、高岳(冨永愛)、白眉毛こと松平武元(石坂浩二)、さらには先の将軍・徳川家治(眞島秀和)に、その息子の家基(奥智哉)、そして平賀源内(安田顕)……と、数え切れない人の運命を狂わせてきた。そこには治済側についていたはずの大崎(映美くらら)や松前藩主・松前道廣(えなりかずき)までも含まれる。

 これほどまでの恨みを抱えながらも暗躍を続けてきた治済と、清廉潔白に生きてきた定信とでは、くぐり抜けてきた修羅場の数が違うのだ。定信の考えなどお見通しで、彼をあしらうことなぞ、治済には赤子の手をひねるようなものだったのだろう。間者として潜り込んだ大崎も返り討ちに遭い、先手を討たれた治済によって定信の部下、そして蔦重の手代も毒饅頭を食わされるはめに。

 治済が人々を意のままに動かすことができるのは、その人の何が弱点なのかを見抜く力に秀でていたからに違いない。どんなに強い人でも弱みはある。それは、その人が最も大切にしているものだからだ。定信の場合は、自身が貫く“正しさ”、武士としての“誇り”そのものだった。

 定信自らが「質素倹約」「風紀粛清」を謳いながら、その直属の部下たちが祭りに繰り出して命を落としたというのは「笑いもの」「恥さらし」と老中たちに叱責させる。さらに「ワシはさほど大事とは思わぬが」などと言いながら、「聖人君子も我が身はかわいいものよのぅ」と扇子で顔を叩いてみせる。この屈辱に定信が耐えられるはずがない。「あやつが殿中を通りかかるのを狙い、斬りかかる!」と頭に血が上った定信に、待ったをかけ新たな策を提案したのが蔦重だった。

家斉を決意させた、血の繋がらない養父と乳母からの伝言

 一橋の血脈を広げる野望を抱いていた治済に対して、血筋ではない志で繋がった打倒・治済チーム。血か、志か――。その決着は、決してどちらかではなく、血をもって志を貫くという答えに行き着いた。

 蔦重が提案したのは、目には目を、毒饅頭には毒饅頭をというなんとも本屋らしいオチのある作戦。しかし、これまでさんざん自らが毒をもって邪魔な存在を消していった治済なら、なおのこと毒を警戒するもの。そんな治済に毒饅頭を食べさせることができる人が、この世にたったひとりだけいる。それが、将軍・家斉(城桧吏)だ。

 とはいえ、家斉にとって治済は実の父。しかし血の繋がった親子だからこそ、罪を重ねた身内を自らの手で止めなければならないという使命感が生まれるもの。そんな家斉の心を最後に奮い立たせたのは、養父の家治が今際の際に残した「悪いのはすべてそなたの父だ」「天は天の名を騙る、奢りを許さぬ」という言葉。当時は、実父の治済が言う「おいたわしや、夢と現(うつつ)もおわかりならぬように……」をそのまま受け止めていたのだろう。だが、そのとき生まれた違和感の正体を、乳母として育ててくれた大崎の手紙ですべて理解する。

 消えていく命が紡いだ言葉によって、受け継がれてきた意志。それが、ついに家斉まで届いた瞬間だった。将軍として、治済の子として、この血筋を持つ自分だからできることは何か。このときほど、自らの“分”について真剣に向き合ったこともなかったのではないか。

副題から感じた「笑えないことこそ笑いに」という蔦重の信条

 家斉をも味方につけ、ついにその時がやってきた。場所は、家治の異母兄・清水重好(落合モトキ)の茶室。治済としては、目の前に出された茶菓子こそ、“毒饅頭”に違いないと疑ったことだろう。それを「腹具合がよくない」と避けただけでなく、家斉に「どうぞ、上様が召し上がってくださいませ」と言い放ったのが悲しかった。それが本当に毒入りだったとしたら、実の子である家斉をも死なせてしまうということ。そこに一瞬の迷いもなかったからだ。その治済の動きに、むしろ家斉も迷わなくて済んだと思いたい。

 第47回の副題「饅頭こわい」とは、古典落語の代表的な演目のひとつ。長屋に集まった若者が「こわいもの」を言い合うなかで、「くだらないものを怖がるとは情けない」と苦言を呈し「こわいものなどない。」と豪語する男がいた。悔しがった若者たちは「本当にないのか」と問われると渋々「饅頭がこわい」とこぼす。その言葉を聞いて、若者たちは男が眠る寝室に大量の饅頭を置いて仕返しすることに。すると、起きた男が「こわいこわい」と言いながら美味しそうに饅頭を食べる。騙されたと怒った若者たちから「本当にこわいものは何だ?」と問い詰められて、「ここらで熱いお茶が1杯、こわい」と答えた、という笑い話だ。

 やった、やられたの争い事も、笑い話にしてみせるのが江戸の粋。蔦重が考えた“毒饅頭作戦”も、治済のように毒で殺めるのでは笑えない。誰に語るものでもないけれど、それでも自分が考えるものならば、思い出して笑えるような結末にしなければ。それが、「笑えないことを笑いにする」を信条に、どんなに苦しい状況に陥ってもふざけ続けてきた蔦重の考える仇討ちだった。

 治済に差し出された茶菓子に毒が入っていると思いきや、そこには入っていないというフリがあり、家斉と回し飲みをした濃茶にこそ入っていたというオチがつく。さらには、そこに含まれていたのは毒ではなくて、眠り薬。目覚めたころには、阿波の孤島というわけだ。「ワシは将軍の実の父ぞ!」と叫ぶ治済に、お付きの者がきっとこう言うのだろう。「おいたわしや、もはや夢と現もおわかりならぬように……」と。

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