【新連載】カンザキイオリ「正しい命の浸かり方」 小説デビュー作の参考となった『告白』

カンザキイオリ新連載「正しい命の浸かり方」

 「命に嫌われている。」「あの夏が飽和する。」などで知られるボカロP、シンガーソングライターのカンザキイオリ。2020年には小説『獣』を刊行、以降も音楽活動とともに執筆を続け、マルチなアーティストとして活躍している。多くの作品で自身の死生観と社会への疑念を掛け合わせるようなメッセージを説き、若者から大きな支持を得ているアーティストだ。

 「命に嫌われている。」の爆発的ヒットから独自の世界観を表現し続けてきたカンザキだが、アーティストとして世に知られる以前には、知られざる過去がある。「カンザキイオリ」が誕生するより以前、作曲活動の傍ら、カンザキがあらゆる創作物に触れていた時期。そこで出会った人々、物語、感情は、カンザキの創作活動に大きな存在感を残している。

 とりわけ大きな影響を与えていたのは、常に傍らにあったという映像作品。膨大な映像の残滓は、カンザキの作品群にわずかな息づかいとして漂っている。

 『あの夏が飽和する。』が生まれる時期、今でもカンザキの記憶に残っている作品の一つは湊かなえ原作の映画『告白』。あの頃のカンザキは何を考え、何を感じとっていたのか。追憶の軌跡を辿る——。

カンザキイオリ『正しい命の浸かり方』第1回——『告白』

 僕は今、夕陽を見ながらこれを書いています。飛び降りれば即死できる高さの自室から。

 2018年頃。『あの夏が飽和する。』という小説を書いていました。正確に言うと、『あの夏が飽和する。』の雛形になった『獣』という小説。

 複数の主人公の視点が織り混ざり、物語が進む小説です。人が死に、悲劇が起きます。創作をしている人間は皆そうだと思いますが、自分が望んでいること、自分が伝えたいことを、形にします。そうでない、完全なフィクションを生み出す創作者もいるけれど、私は完全に前者です。

 僕が書いた悲劇は、全て私が望んだものです。

 これからこの先、僕が僕なりに、何かを感じた映画やドラマを、紹介していくエッセイを始めることとなりました。これは一種の、僕という人間の押し付けです。人間同士ですから、合う合わないもあるでしょう。ですから、僕がお勧めする作品を、無理に観てほしいというわけでも、そしてあなたをきずつけるつもりもありません。

 ただ、知ってほしいのです。この世には、僕のような人間もいることを。

 僕が映画やドラマを観ることが習慣化したのは、もうかなり前。まだ何も知らなかった頃。お金のことも、創作のことも、人のことも、何も知らなかった頃。そして、少しずつ知ろうとしていた頃。

 夜勤のアルバイトをしていました。印刷会社です。学生時代、Adobeのソフトをいじっていたので、どうせならそれが活用できる場所がいいと思い、そこにしました。

 あの頃夜勤で一緒に働いていたおじさんは、元気にしているでしょうか。仕事の要領が悪いと言われていて、よく怒られるのを見ました。だけど、僕の仕事のミスを、庇って代わりに怒られたのに、気にもせず、笑って許してくれました。僕はその時まで、仕事ができる人間だけが、この世を回しているのだと思っていました。だけどそんなことない。仕事ができない人間も、その代わりにできることで、世界を回してる。仕事ができない人間が、決して悪とは限らない。

 僕がそうやって、この世が何で出来ているかを少しずつ知ってきた頃の話です。

 5畳。ワンルーム。西日暮里。夜勤。

 僕が前所属事務所であるTHINKRに所属する前の生活です。つまり、まだ音楽でお金を稼いでいなかった時代。毎日夜9時に「おはようございます」と言い、朝6時に「お疲れ様でした」と言い、朝の空いている山手線に揺られ、西日暮里の立ち食い蕎麦屋でほぼ毎日、出社する社会人と共に冷やしたぬき蕎麦を食べていた時です。

 毎週、土曜日の朝退勤すると、そのまま寝ないで遊び尽くします。東京でできた音楽仲間と一緒に曲を作ったり、一緒に上京してきた同学年の友達と東京を歩いたり。

 西日暮里には谷中銀座という商店街があり、いくつか並ぶお惣菜屋さんの一つに、鶏肉とニンニクを刺したニンニク串というのがあり、誰にも会わない、と決めた日には、それを20本ほど買って、食べながら音楽を作る、というのが、僕の大体の休日です。

 そういうささやかな贅沢をしながら、だんだんと貯金が貯まり、ある日大きな買い物をしました。PlayStation 4です。徒歩5分の範囲にあるTSUTAYA。そのショーウィンドウにある新品のPlayStation 4。その時ほど「自分は大きな買い物をした」と感じたことはありません。

 子供の頃からゲームが好きでした。学校が終わればゲーム。ピアノが終わったらゲーム。塾が終わったらゲーム。ゲーム。ゲーム。とにかくゲーム。だけど東京での一人暮らしは生活を切り詰めなければならず、長いこと碌にゲームができていませんでした。ようやくお金が貯まって、初めてそのPlayStation 4を買った時、ようやく自分の人生に真の「娯楽」というものが訪れたと感じました。

 ゲームの話はまだまだできます。だけど、今日は、映画の話。当時付き合っていた優しい方(映画と同じようにその関係は終わりを迎えました)が、Amazon Prime Videoを教えてくれました。当時、映像のサブスクリプションサービスを何一つ知らない僕は、その驚愕のサービスにビビり散らかしました。月額400円くらいで? 大量の映画が? ドラマが? 見放題? なんて?

 Amazon Prime Videoで最初に観たのは確か、付き合っていた方が教えてくれた映画『セックス・アンド・ザ・シティ2』だったような気がします。冒頭数分で濃厚なベッドシーンがあるので、RADWIMPSの「いいんですか?」がずっと脳内で流れていたのを覚えています。

 ドラマから派生した映画ということで、じゃあドラマも観ようと思い、その日から、『セックス・アンド・ザ・シティ』をシーズン1からシーズン7まで観る日々が始まりました(決して更なる濃厚なベッドシーンを求めたからではありません。悪しからず)。嬉しいことに、アカウントをそのまま使って観て良いと言ってくれたので、自分の貯金が安定するまで、その人のアカウントで観続けました。

 楽曲制作をしながら、テレビで『セックス・アンド・ザ・シティ』が流れる。当然僕はヘッドフォンをしているので、ワンルームには、リサイクルショップで買ったテレビから、時たま流れるセックスと、男女のもつれ、そして成長が永遠に響いているわけです。

 ホラー映画や、コメディ映画もよく観ていました。僕は暇な時、YouTubeに投稿されているホラー映画の予告編を流し観しながら過ごす奇妙な子供でした。あの頃観たいと思っていた映画が、軒並みPrime Videoにあり、感動のあまり何度も観ていました。特に清水祟監督の『呪怨』シリーズは、今観るととても安心する、子守唄のような恐怖感があり、作業に行き詰まった時や、さらに集中したい時、呪怨を流しながら観ています。

 そんな生活が身に染みてしまうと、気づけば映画やドラマを観ながら何かをする生活が、すっかり身に染みてしまいました。楽曲制作中はもちろん、料理を作っている時、食事をしている時、お風呂に入っている時。

 隙あらばゲームをしていたように、今は同じくらい、隙あらば映画やドラマを観ています。というか、ゲームをしながら映画を観ている時もあります。

 何かをしながら映画を観る、というのは、個人的にはどうなのだろう。と感じています。映像制作者に対して、ある種、マナーがなっていないのではないかと感じる時があります。

 もちろん、楽しみにしていた映画や、話題になっていて気になっている映画は、グッと椅子に座って、真剣に観ることもあります。しかしその何倍も、何かをしながら映画を観ている時間が多いです。

 それでも僕が映画を語っていいのなら。ぜひ今日はあなたに一つ、紹介したい映画があります。

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