ギレルモ・デル・トロは何を描こうとした? 『フランケンシュタイン』に込めたメッセージ

 デル・トロ監督はインタビューのなかで、意外なことに「資本主義」について言及している。本作における資本主義とは、研究のための資金を提供したハーランダーとヴィクターとの関係や、どんな犠牲や被害を生んだとしても結果をつかむために邁進するヴィクターの狂気を指しているように思われる。戦争にも共通する、この功利主義が生み出す悲劇への批判の視点があることで、本作は現在の社会問題と接続されるのだ。

 便利な生活や文化の発達、一部の者に富をもたらした代償として、環境問題や労働問題など、歴史のなかで資本主義が生み出した犠牲は少なくない。それを象徴するのが、冒頭から登場する冒険家(ラース・ミケルセン)の乱暴な姿勢だといえる。自然を征服するため、船員たちを使い捨てようとする姿勢は、極端な資本主義の小さなモデルケースであるといえよう。

 物語の結末で、ヴィクターと「怪物」は和解のときを迎える。身勝手な振る舞いを続けてきたヴィクターだったが、ついに「怪物」を我が子だと認め、せめてもの謝罪をするのである。そして「怪物」は、「これでやっと二人とも人間になれるのかもしれない」とつぶやくのだ。また、ヴィクターの精神的な変化のなかには、高圧な父親から受けた心の傷や、脚を失って義足を利用するようになったという背景もあるように思える。

 この後の展開が興味深い。「怪物」は氷に閉じ込められていた船を怪力で押し出し、船員を救う行動をとる。それを見た冒険家も、船員たち労働者の願いのとおり、故郷へと帰還する選択をすることになるのだ。この赦しや善意の伝播こそが、悲劇や倒錯的な事態が数多く描かれた本作の終盤で表現されるのである。

 本作は、「怪物」がその過酷な境遇や環境によって、ヴィクターに怒りを抱いたり、暴れたりする様子を描いた。それは、現実の犯罪者が、親に復讐をするために攻撃をしたり犯罪をおかすケースに似ている。姿が醜いということから人々から受け入れられず、絶えず怯えながら隠れて生きる姿は、容姿の美しさや社会的地位、富を得ていることなどが賞賛される社会において、それらを誇示する人々と対照的なものだといえるのではないか。

 ヴィクターは、その倫理的逸脱から怪物となり、「怪物」は社会的価値観のなかで、否応なく怪物とみなされる。現実の社会で「インセル」だったり、日本で「弱者男性」を自称する人々もまた、「不本意の禁欲主義者」として、SNSで不遇や絶望を語る場合がある。一部では女性への憎悪を抱き、事件を起こしたり嫌がらせをするような行動が社会問題化していることが知られている。「“伴侶”を作ってくれ」とヴィクターに願い出る「怪物」には、まだそういった身勝手さが見てとれる部分があった。

 ギレルモ・デル・トロ監督は、人生経験において、疎外や異端視、孤独といったテーマを抱えてきた。彼いわく、自分は7歳の頃には家にばかりいて70歳のようだったという。そして子ども時代に目にしたクリーチャーにも共感を持っている。彼はいわば、本作のヴィクターのようでも、「怪物」のようでもあったのだ。(※)

 そんな二人の「怪物」が、本作のクライマックスにおいて他者を思いやることに目覚め、自分以外の者のために何かをしようとする。とくに「怪物」は、自分が被害者であることからくる憎悪や怒りから、ついに自分を解放していく。そして、見た目や社会的地位ではなく、その行動によって「人間」になるのである。そんな人間の真の“新生”を、北極の太陽が静かに祝福するラストカットは感動的だ。

 次に映し出されるのは、「心は砕け散りながらも、砕けたまま生き続ける」といった、バイロンの詩の、悲しくも美しい一節。バイロンといえば、メアリー・シェリーと親交のあった著名な詩人であり、『フランケンシュタイン』の着想に一役買った人物でもある。

 一度砕けた心は確かに、割れたガラスのように、もう元には戻ることはないだろう。しかし、もう戻ることのない状態に目を向けるのでなく、割れたままの心で生きていこうとする彼にこそ、本物の精神の強さが宿っているといえるのではないか。「怪物」は、いつしか主体性を持った「人間」となり、自分の心のままに決断をできるようになったのである。この“強さ”と思いやりこそが、『フランケンシュタイン』の本質的テーマだということに、デル・トロ監督はたどり着いたのだ。

参考
※ https://www.philstar.com/entertainment/2025/09/28/2475821/guillermo-del-toro-how-his-childhood-and-very-catholic-upbringing-shaped-his-frankenstein/amp

■配信情報
Netflix映画『フランケンシュタイン』
Netflixにて配信中
Ken Woroner/Netflix © 2025.

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