宮﨑駿、押井守、庵野秀明ら 相次ぐ名作アニメリバイバル&再評価の歴史とは?
「Anime(アニメ)」が熱い。1980年代から2000年代にかけて作られ、海外で「Japanimation(ジャパニメーション)」とも呼ばれた作品群が劇場で次々に4K化などを施されて再上映され、大勢の観客を集めている。押井守監督の『天使のたまご』(1985年)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年、以下『攻殻』)、宮﨑駿監督の『もののけ姫』(1997年)などで、技術が発達した今観ても古さを感じさせず、未だ最先端にあるクオリティで新しいアニメファンたちの心を掴んでいる。こうした「Anime」の傑作群がどうしてこの時期に多く生まれたのか?
「よくこんなものを作った。作れたなと思った。逆にやっておいて良かった。今やれと言われてもできないし、企画自体が許されない」
第38回東京国際映画祭で10月29日に『天使のたまご 4Kリマスター』が上映された際、舞台挨拶に登壇した押井守監督はこう作品を振り返った。
卵を抱えた少女が少年と退廃的な雰囲気の世界を旅する不思議なストーリーを持つ作品。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で脚光を浴びた押井監督ならではの饒舌で衒学的なセリフ回しはなく、ゲーム『ファイナルファンタジー』シリーズのキャラクターデザインなどで知られる天野喜孝の美しいキャラクターと、小林七郎が美術監督を務めた西洋的な街並みや自然といった背景が、芸術映画を観ているような感覚をもたらした。
エンターテインメントからほど遠い映画は興行では失敗し、押井監督はしばらく仕事が途絶えたという。そんな映画が、公開から40年を経てリマスター化されて11月14日から劇場上映される。視聴者は、動きやディテールがしっかりと描き込まれている映像に圧倒されるだろう。そして、押井監督が世界で存在を知られるきっかけとなった『攻殻』や続編の『イノセンス』(2004年)といった作品群に通じる哲学的なニュアンスを感じ取るだろう。
『天使のたまご』はその意味で、「Anime」のトップランナーとして支持される押井監督を作った作品とも言える。舞台挨拶での「作っておいて良かった」という言葉は、自分の才能を試す場所を得られたことへの感謝とも取れる。
同時に、当時ならではの圧倒的な作画力とオリジナリティにあふれた企画性を持った作品だからこそ、40年を経て改めて上映されても存分に観客を引き寄せられることを証明したとも言える。今、「Anime」が改めて評価を受けている背景には、こうした映像や物語が持つ力が高かったこともあるからだ。
1980年代Animeの評価
漫画をそのままTVアニメ化してファンに喜んでもらう動きとは別に、エッジの効いた企画をハイクオリティの映像で送り出す動きは、1980年代前半あたりから既に起こり始めていた。一例が、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえてますか』(1984年)だ。TVシリーズとは違う濃いディテールのキャラと、ハイスピードで繰り広げられる戦闘シーンに、アニメもここまで来たのかと公開時に思った人は少なくない。
同じ年の3月には、宮﨑駿監督の『風の谷のナウシカ』(1984年)も公開されて、作画の力と物語の力が融合した作品の持つ力を見せつけた。この両作に参加していた庵野秀明が、知人たちと立ち上げたガイナックスで手がけた『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)も、世界観の構築から社会の造形までリアリティを突き詰め、ハイクオリティの作画でアニメ映画の進化ぶりを世に問うた。
そうしたアニメ映画における映像面の進化と変革を、一気に推し進めたのが『AKIRA』(1988年)だ。大友克洋が自身の漫画をアニメ映画化したもので、緻密さの極地を行く漫画をそのまま写し、なおかつ動かしてみせたから誰もが驚いた。2023年に新潟市で開催された第1回新潟国際アニメーション映画祭で企画された「大友克洋レトロスペクティブ」の中で、トークイベント「『AKIRA』―その映像と作画の魅力」に登壇したアニメ・特撮研究家の氷川竜介は、『AKIRA』の特長を「緻密と正確」と指摘し、ここから「絵も動かし方も振り向きもごまかさずにやっていくようになった」と話した。
この『AKIRA』に参加したアニメーターたちが、そこで体験したことを後の参加作品で発揮していったことが、「Anime」の興隆に繋がった。森本晃司はSTUDIO 4℃の設立に参加し、オムニバス映画『MEMORIES』(1995年)の一編「彼女の想いで-MAGNETIC ROSE」を監督する。井上俊之や沖浦啓之は、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』(1993年)や『攻殻』に参加し、押井が求めたリアリティを持ったアニメ作りを支えた。
世界に誇るアニメスタジオ
この2作品を制作したのがプロダクション・アイジーで、沖浦監督による『人狼 JIN-ROH』(1999年)や北久保弘之監督の『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(2000年)を送りだして日本の「Anime」が持つ威力を世界に見せつける。
クエンティン・タランティーノ監督が『キル・ビル Vol.1』(2003年)に中澤一登監督のアニメパートを入れたのも、こうしたアイジー作品を観て刺激を受けたからだ。映画ではアニメパートが一部カットされていたが、『キル・ビル Vol.2』(2004年)と合わせた再編集版で、未公開部分のアニメパートを追加するという話が出ている。当時以上に日本の「Anime」が世界で受け入れられている現れとも言える。
『王立宇宙軍』から始まったガイナックスも、TVシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン』でアニメの世界に一時代を開き、監督した庵野の存在を強く世間に印象づけた。『エヴァ』自体がアニメとして面白かったこともあるが、氷川の著書『日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析』(角川新書)によれば、「世界観主義」で観客が話題にしやすい要素を打ち出しつつ、情報の取捨選択と巧妙な配置によってスタイリッシュな映像を生み出したことなどが、『エヴァ』を他とは違ったポジションに押し上げたという。
その『エヴァ』をハブにするように、『フリクリ』の鶴巻和哉監督や『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』の今石洋之監督が登場し、作品とともに世界へと出ていって熱い支持を得るまでに至った。『フリクリ』の音楽を手がけたバンドのthe pillowsが海外でライブを行うと、挿入歌の「LITTLE BUSTERS」で大合唱が起こるのは、それだけアニメが浸透しているからだ。