『もののけ姫』4K版がもたらした“奥行き” ジブリはいまなお更新され続ける芸術に

 『もののけ姫』は、宮﨑駿が自然と文明の矛盾そのものに挑みかかった作品だ。それまで寓話や冒険として描かれてきた人と自然の関係が、ここでは暴力と祈りの形をとって噴出する。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』が紡いできた穏やかな日常から一転して、血が流れ、怒りが噴き出し、人と自然、文明と生命の対立がかつてないスケールで描かれる。スタジオジブリの黄金期を締めくくり、次の時代を呼び込んだのは、まぎれもなくこの作品だった。

 『もののけ姫』は、呪いを受けた青年アシタカが、滅びゆく森と人間の世界の狭間で生き方を模索する物語である。旅の果てに辿り着くタタラ場は、鉄を精錬して文明を築こうとする町。理知と野心を併せ持つ女領主・エボシ御前は、森を切り開き、神々を退けて人間の未来を築こうとしていた。一方、山犬に育てられた少女サンは、人間を“森を汚す者”として憎んでいる。アシタカは、森を守るサンと文明を押し進めるエボシの対立のあいだに立ち、2つの世界をつなぐ道を探していく……。

 1997年の夏、『もののけ姫』は日本映画界を震撼させた。観客動員数は1400万人、興行収入は190億円を超え、当時の日本映画史上最高記録を更新。そしてこの作品が放たれた年は、偶然にも『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』が公開された年でもあった。宮﨑駿と庵野秀明――2人の偉大なアニメーション作家が、ほぼ同時期に「世界との断絶」と「再生」というテーマを異なる角度から描く。前者は自然と人間の対立を通じて文明の罪を問い、後者は個と他者の関係の崩壊をあらわにした。

 バブルの余韻が消え、社会が閉塞感を帯び始めていた時代。1997年という年は、日本アニメーションが「心」と「自然」、「内面」と「世界」をそれぞれの極限で見つめた、ある種の臨界点だったのかもしれない。そして今年、およそ30年の時を経て、この伝説的作品が4Kデジタルリマスター(IMAX)という新たな上映フォーマットで蘇った。

 かつてスクリーンで観た者も、今回初めて劇場で体験する者も、その映像の密度に息を呑むだろう。森を駆け抜けるアシタカの赤鹿ヤックルの毛並みは、一本一本が陽光を反射し、湿った空気のなかで微かに揺らめく。山犬の群れが霧の奥から姿を現す瞬間、粒子の細かい白煙の動きがかつてない立体感で迫る。タタラ場では、火花がスクリーン全体を覆い、鉄が打ち鳴らされる音がIMAXの音響によって腹の底に響く。かつて2K映像では平面的に感じられた群衆の動きが、4Kスキャンによって奥行きを得ている。

 イノシシが怒りと呪いに飲み込まれて暴走する冒頭のシーンでは、腐敗した黒い触手がより粘度を増して蠢き、4Kの細密描写によって恐怖がマシマシに。そしてクライマックス、デイダラボッチの首が落ち、夜明けとともに森が再生する場面。霧が晴れゆく空気の透明度、光の粒子のひとつひとつが再調整され、スクリーン全体が呼吸を始める。音楽もまたリマスタリングによって深みを増し、久石譲の旋律が新しい空間的広がりをもって響く。

 特筆すべきは、夜の森の描写だ。コダマが木々の間を揺らす微光、苔の湿り、風の音。サラウンド化された環境音が観客を包み込み、まるで自分自身が森のなかに佇んでいるかのような錯覚を覚える。それは単に「美しくなった」のではない。手描きアニメーションという生の痕跡が、最新の上映環境によって再び生命を吹き込まれた瞬間なのだ。

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