『べらぼう』横浜流星の“変貌”した目が切ない “社会”の一部となった蔦重が失った遊び心

そんな視野の狭くなってしまった蔦重でも、政演の書いた『傾城買四十八手』の原稿には目を見張る。遊女と客の軽妙なやりとりの中に潜む駆け引きや感情の揺れを、ときに辛辣に、ときにユーモラスに描いたその筆致は、歌麿の「ありのままを描く絵」に触発されたものだった。
「ありのまま」を受け入れることは難しいものだ。特に、自分が良いと思っていた時代が終わりを迎え、つまらないと思う時代へと移り変わっていっているならなおさらだ。それでも、小さな営みの中に面白みはある。

世界は、決してひとつの価値観に統一されない。「善」と「悪」のぶつかり合いから成り立ち、その中にこそ傍から見れば笑ってしまうような滑稽さが生まれる。そう気づいた政演は、1人の男のなかに「善」と「悪」の魂が葛藤する『心学早染草』を、蔦重ではなく別の板元から出版するのだった。「善玉」「悪玉」という言葉が、令和の世にも残っていることを思えば、それがどれほどの傑作だったかがうかがえる。
定信が掲げる「倹約・正直・勤勉」の教えを見事にエンタメ化し、庶民に広めることに成功した政演。その才気に脱帽する一方で、蔦重にとっては悔しい展開だったことだろう。面白く描かれれば描かれるほど、定信の思想が浸透し、世の中はますます窮屈になってしまう、と。
だが、政演も黙ってはいない。「面白れぇことこそ、黄表紙にはいち大事なんじゃねぇですかね。ふんどしを担いでるとか担いでねぇとかよりも! 面白くなきゃ、どのみち黄表紙は先細りになっちまうよ。それこそ春町先生に嵐みてぇな屁をひられるってもんじゃねぇですか?」と。

そんな政演の言葉に黄表紙を投げつけて「何度言えばわかんだよ!」と怒号を飛ばす蔦重を見ながら既視感を覚えた。それは、かつて新しい時代の波に乗り、先進的な挑戦をしようとする蔦重を「べらぼうが!」と叩き止めた駿河屋(高橋克実)の姿だ。自分がやってきたやり方と新しい時代の流れがマッチしないとき、人は「べらぼうが!」とその動きを叩きつけたくなるものなのかもしれない。
蔦重が成し遂げたかったのは、みんなが笑える世の中にすることだったはず。その志は今も変わっていないのだけれど、その手段は取り巻く空気によって変えざるを得ない。正面から押し付けるばかりでは、人びとの心を掴むことはできないということを、むきになるほど見失う。それは、皮肉にも定信にも言えることだった。

人も、社会も、急には変われないもの。だが、人はすぐに自分の望む結果が出ることを望んでしまう。結果を急ぐあまり理解者が少しずつ離れていく2人に、時代の移ろいと人間の業を見る。その間で苦悩する蔦重と定信の姿は、様々な場面で価値観のアップデートを呼びかけられている現代の私たちにも、深い問いを投げかけているようだ。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK






















