『べらぼう』岡山天音の恋川春町は最高だった 令和のSNS文化を思わせる“正しさ”の暴走

『べらぼう』岡山天音の恋川春町は最高だった

 誰にも見られず、誰にも聞かれまいと、布団に顔を押し付けながら咆哮した松平定信(井上祐貴)。改革者としての威厳を捨て去り、ひとりの人間としての弱さをさらけ出すものだった。彼の胸中には、どのような感情が渦巻いていたのだろうか。

 定信が信念をもって進めたのが、歴史に名を残す「寛政の改革」である。田沼時代の奢侈と享楽に満ちた空気を一掃し、倹約と規律による新しい時代を築こうとした。自らも率先して質素倹約に努め、賂(まいない)文化を是正し、幕臣や町人、そして将軍に至るまで「心得」を説いた。誰もが分をわきまえ、文武両道に励み、まっすぐに勤めるべきだと示すことで、この国を健全に立て直そうとしたのである。

 その根底には、決して自己顕示や権力欲ではなく、「この日の本をより良くしたい」という純粋な願いがあったに違いない。だが、その理想が導いた先にあったのは大きな悲劇だった。定信を崇拝し、彼自身も神と呼ぶほどに敬愛していた戯作者・恋川春町(岡山天音)が、自ら命を絶つという悲劇を招いてしまったのだった。

 NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第35回「鸚鵡のけりは鴨」は、長らく軽妙洒脱な笑いを届けてきた恋川春町が物語から去る、重苦しい一幕となった。視聴者からも愛されてきたキャラクターが静かに切腹を決意する展開は衝撃的であり、同時に定信の改革が孕んでいた矛盾を鮮烈に浮かび上がらせた。

 人の世は面白くも残酷なもので、いつの時代もひとつの「正しさ」にちょうどよくは収まらない。清廉を求めるほど、人は次第に愚かさや遊び心を許せなくなり、やがて笑うことすら罪悪視する息苦しい世界へと傾いていく。

 もちろん定信も、そんな息苦しい世界を望んではいなかった。蔦重(横浜流星)が朋誠堂喜三二(尾美としのり)と共に定信の政策を皮肉った『文武二道万石通』についても、当初は「黄表紙ならば面白くせねばなるまい」と受け止める度量を見せていたのだから。

 だが、あまりにも高い理想となかなか追いつかない現実との乖離に、定信自身も焦りを募らせていたのだろう。その心の隙を突くように、治済(生田斗真)が容赦なく挑発する。豪奢な暮らしを見直すようにと言う定信に、むしろ賂を贈ろうと揶揄する始末。

 また、明るみになった松前道廣(えなりかずき)の暴政を踏まえて、蝦夷地を上知しようと提案をすると、「それは田沼の発明であろう?」と嫌味を浴びせられる。その治済の手には、恋川春町作の『悦贔屓蝦夷押領』が。“田沼の功績を横取りする定信”という風刺をきかせた作品を、治済は利用したのだ。

 これまでも、驚くほど『べらぼう』の世界と現代は響き合ってきたように思う。今回の定信を取り巻く状況もまた、令和のSNS文化を思わせる。側近・水野為長(園田祥太)を通じて城内や市中の噂を集める姿は、現代の政治家や芸能人がエゴサーチするかのようだ。

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