武内駿輔が演技を志したキッカケと“もの”への愛着 「“美学を持った悪党”にすごく惹かれる」

武内駿輔、“悪役”の演技へのこだわり

 TVアニメ『ガチアクタ』が7月より放送中。物語の主人公は、天界のスラムで「族民」として差別されながら、ごみ拾いをして生きていた孤児の少年・ルド。無実の罪で「奈落」へと落とされた彼は、過酷な現実に直面しながら、復讐と再起を誓う。特別な力を宿す“モノ”──「人器」を武器に、再び天界を目指すバトルアクションだ。

 武内駿輔が演じるのは、下界の盗賊団「荒らし屋」の頭領・ゾディル・テュフォン。突如現れ、ルドに「共に天界を落とさないか?」と提案を持ちかける謎多き存在だ。

 “悪”の中に宿る信念や狂気、そして美学。かつて『ダークナイト』のヒース・レジャーに憧れて役者を志したという武内は、ゾディルにどう向き合ったのか。また、作品の核となる「人器」という概念に絡めて、自身が大切にするアイテムについても語ってくれた。【インタビューの最後には、サイン入りチェキプレゼント企画あり】

“美学を持った悪党”に惹かれる

──ゾディルは、まさに“ザ・悪役”ともいえる存在ですが、武内さんは『ダークナイト』のヒース・レジャー演じるジョーカーに憧れて演技の道へ進まれたそうですね。

武内駿輔(以下、武内):僕は“美学を持った悪党”にすごく惹かれるんです。ジョーカーにはいろいろなバージョンがありますが、中でも『ダークナイト』のジョーカーには特別な思い入れがあります。彼は「おかしいのは世間のほうだ」という信念を持っていて、人間を“本来の姿に戻す”ために行動していた。そこに強い説得力を感じました。ゾディルにもそれに通じる部分があると感じていて。ただ破壊したいとか、世界を支配したいというんじゃなくて、「理として正しい世界を取り戻すべきだ」という確固たる信念がある。演じるうえでも、その美学がにじむように声に乗せていきました。

──ゾディルの持つ美学について、武内さんご自身が共感される部分はありましたか?

武内:ありますね。彼は常に一歩引いたところから世界を見ていて、ものすごく達観しているんです。誰よりも冷静に、正確に物事を捉えている。世の中に抗わず、あるがままを受け入れる姿勢。ゾディルはもがくこと自体を「おかしい」と感じている。世の中に抗わず、あるがままを受け入れている姿勢には共鳴できるするところです。性格的な部分ですと、自分はゾディルほど極端ではないと思いますが、彼の中にある“言語化しきれない衝動”には共感する部分があります。また、彼の考えていることが生きていくうえで必要かどうか、合理的かどうかと言われたら違うだろうなという考えも、僕の中では共感できる気持ちとして持っていて。いろいろと論理的に考えていったらゾディルのような思考になるのかなと思う瞬間はあります。ルドには悲しい生い立ちがあるのに、なんでそんなにエネルギーを持って行動できるのか、もちろんルドの考えもわかりますけど、今回は結構ゾディルの気持ちに寄り添って演じていたかもしれません。

──そんな武内さんから見てルドたちの行動はどう映りますか?

武内:最近になって、ようやく作中の“ルド的な価値観”が、自分の中にも少しずつ育ってきた気がしています。もちろんこれまでも、目の前のものを大切に思う気持ちはありましたが、それを「特別な存在」とまでは捉えていなかったんですよね。でも、ZIPPOに関しては少し違っていて。クロムハーツのZIPPOを持っているんですが、あるときふと「欲しいな」と思って、何気なく立ち寄ったお店でたまたま在庫があったんです。そのときのことは今でもよく覚えていて、それがひとつの“出会い”だったように思っています。たまに葉巻を吸うとき以外はあまり使っていなかったんですが、それでも「これがあると、なんとなく力をもらえる気がするな」と感じる瞬間があって。別の作品ですが、過去に僕が演じた『LUPIN ZERO』の次元もZIPPOでタバコに火をつけるんですね。そのとき、「ああ、こういう“手に収まるお守り”みたいな感覚、自分にはなかったな」と気づいたんです。指輪や服みたいに身につけるものとはまた違って、握るものって感触がすごくダイレクトで、初めて「しっくりくる」と思えたアイテムでした。手に持っているだけで落ち着くし、ちょっと背中を押してくれるような気がする。無くしたら見つかりにくいし、AirTagもつけられない。でも、だからこそ意識して持ち歩くようになったし、いまではある種の“願掛け”みたいな存在になっているのかもしれません。

──“願掛け”のような感覚は表現のお仕事をする中で活かされることはありますか?

武内:『ガチアクタ』に携わってから、“願掛け”はすごく大事だなと思うようになりました。いわば、その“もの”を愛好するのに理由はないわけですよね。ものはものでしかないですし、そのもの自体にどれぐらいの価値があるかは当人が決めていることであって。周りの人から見たら別に価値がないと思われるものでも、自分の中で価値があると思えばそこに価値が生まれる。そして「その価値はどういうところにあるの?」と問われたときには、別に言語化できなくてもいいと思うんです。「なんかあるだけで落ち着く」とかそういう気持ちですよね。僕がこの仕事に惹かれたのもはもっと感覚的というか……。ジョーカーもそうでしたが「なんか好き」「ただ、カッコいい」「存在そのものが魅力的」。そういう衝動的な感覚に惹かれたことがスタートだったと思います。「ただなんとなく好き」という、存在自体への想いを感じてもらうことが我々の仕事の核なのかなと思うと、いま自分が思っているZIPPOは力をもらえるというか、そこまで使う機会がなくても「なんか持ってるだけでいいんだよね」という感覚を思い出させてくれるので、そういう言葉にならない気持ちを生み出していきたいなと思えるという意味では、ものすごい願掛けになっています。

──私たちメディアの人間はある意味「言語化」の限界と仕事として向き合っているようなものなので、武内さんのお考えはすごく大切な感覚だと思います。

武内:もちろん言語化の能力も本当に大事なスキルだと思います。しかも最近はその重要性が高まっている気がしていて。AIがどんどん進化して、情報の正確さや処理のスピードでは人間を超えていく時代ですから。でも、僕らがやるお芝居はもともと正解がないものにアプローチするものなので、そこで何が大事かといえばやはり言語化できない領域の魅力にあると思います。それは僕自身も改めて大切にしていきたいなと思っているところです。

──感情や無意識の部分は簡単に分類できるものではないですよね。

武内:そうですね。キャラクターの性格を“正しく”理解することも大切ですが、言葉だけでは説明しきれない魅力もあります。僕にとってのジョーカーがそうであるように「理由はわからないけど惹かれる」「気づいたら目が離せなくなっていた」とかそういう感覚は、お芝居においてすごく大事です。

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