「手のひらを太陽に」が“国民の歌”になるまで 『あんぱん』が描くやなせたかしの哲学

「手のひらを太陽に」が国民の歌になるまで

 NHK連続テレビ小説『あんぱん』の物語は、やなせたかしが作詞した名曲「手のひらを太陽に」が生まれた時代に差しかかっている。明るく元気な童謡として広く親しまれるこの歌だが、その誕生の背景には、やなせ自身が抱えていた深い苦悩と人生に対する絶望があった。最も困難な時期に、なぜ彼は生命力に満ちた楽曲を紡ぐことができたのか。その問いを辿ることは、やがて国民的ヒーローとして現在も愛されている『アンパンマン』へと結実していく普遍的な人生哲学を読み解く作業でもある。

 1961年、42歳のやなせはNETテレビ(現・テレビ朝日)の番組構成を担うなど表向きは仕事に恵まれていたが、漫画界の劇画ブームに取り残される不安に苛まれていた。後年「お金もない、仕事もない、居場所もない」と語るほど、精神的に追い詰められた時期であった。しかし、ある夜、煮詰まった頭を冷やそうと暖房を消した部屋で、冷たい手を電気スタンドにかざした瞬間、指の間から赤い血が透けて見えた。子どもの頃の懐中電灯遊びの記憶と重なり、どれほど絶望の中にあっても体内には真っ赤な血潮が流れていることを実感したという。このささやかな発見が、自らを支える応援歌となり、「手のひらを太陽に」の出発点となったと言われている。

 作曲は盟友・いずみたく。両者の意図は、子ども向けの童謡ではなく、人生の重さを抱えた大人に向けた「ホームソング」であった。そこに、この歌が持つ奥行きの理由がある。

 〈生きているから歌うんだ〉〈生きているからかなしいんだ〉。冒頭の一節には、やなせの人生観が鮮明に現れている。喜びと同じく、悲しみもまた「生の証」であるという視点だ。生の両面を受け入れる姿勢が、歌詞の核心にあるだけではなく、後年の修正で「アメンボ」となったが、当初は「ナメクジ」だったという事実も象徴的だ。日の当たらない場所にひっそりと生き、時に忌避される存在。そこには孤立無援の自分自身を投影していたのだろう。商業的な理由で歌詞は変わったが、やなせが見ていたのは「どんなに小さく、顧みられない命であっても同じように生きている」という事実なのだろう。ナメクジという存在を友だちと呼ぶ姿勢には、すべての命の平等を肯定する強い哲学がにじんでいる。

 その背景に戦争体験があることは、これまでの『あんぱん』でも丁寧に描かれてきた。飢餓に苦しみ、信じていた「正義」が敗戦で一夜にして崩れ落ちる現実に直面したやなせは、「不変の正義とは何か」を模索した。その答えが「目の前の飢えた人にパンを与えること」であり、のちのアンパンマンの原点である。弱者や少数派に寄り添う視線は、「手のひらを太陽に」にすでに刻まれていた。

 楽曲は1962年に宮城まり子の歌唱で『みんなのうた』に登場したが、当初は大きな反響を呼ばなかった。転機は1965年。ボニージャックスが歌ったバージョンが『紅白歌合戦』で披露されたことで、一気に国民的認知を得る。1969年には小学校の音楽教科書に掲載され、2006年には「日本の歌百選」にも選ばれた。こうした歩みは、やなせ自身の人生と重なる。すぐに評価されなくとも、時を経て真価が認められる。特に学校教育で繰り返し歌われたことは大きい。子どもたちの記憶に刷り込まれ、やがて大人になった世代が自らの子どもと一緒に歌うことで、世代を超えた普及が自然に果たされた。震災の被災地で再び合唱されたことや、手話歌として現代に広がったことは、この歌がただの懐メロではなく生きる歌として機能している証拠だろう。

 「手のひらを太陽に」で確立された哲学は、やがて『アンパンマン』で具現化することになる。顔をちぎって与える自己犠牲の行為に、「献身と愛こそが正義」という信念が託された。やなせはアンパンマンを「世界一弱いヒーロー」と呼んだが、それは無敵さではなく、自らが傷つく覚悟を持つことに本当の強さを人生を通して見出したからだろう。

 やなせたかしの歩みは、絶望と希望が常に隣り合わせだった。戦争の記憶、創作の不遇、居場所の喪失。そのたびに彼は血潮を見つめ直し、生きていること自体の価値を確かめた。「手のひらを太陽に」は、その思索を形にした歌であり、アンパンマンの哲学へと続く起点である。だからこそ、この歌が半世紀を超えて歌い継がれている理由は明快だ。生きることそのものが尊いという普遍的な真理を、やなせは言葉とメロディに託し続けたからである。絶望の淵にある人々に寄り添い、その隣に必ず希望があることを、この歌は今も静かに伝え続けている。

■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、高橋文哉、眞栄田郷敦、大森元貴、戸田菜穂、戸田恵子、浅田美代子、吉田鋼太郎、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子ほか
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK

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