大森元貴といずみたくの共通点とは? ミュージカル界の偉人を朝ドラで演じた意義を解説

大森元貴といずみたくの共通点とは?

 1963年に坂本九が歌って大ヒットし、今も多くの人の心に残る「見上げてごらん夜の星を」。じつはこの曲、レコード発売の3年前に和製ミュージカルのメインナンバーとして作曲されたものだった。

 NHK連続テレビ小説『あんぱん』第20週で、大活躍したのが作曲家のいずみたくをモデルにしたいせたくや(大森元貴)だ。いずみたくと聞いて、なんとなくその名を知っている人も多いと思うが、本稿ではいずみたくが日本のミュージカル史においてどのような足跡を残した人物なのか、彼を演じる大森元貴の演技とともに追ってみたい。

 『あんぱん』のいせは、自分たちが作ろうとしているミュージカルの舞台美術を制作してもらうため、旧知である嵩(北村匠海)に会うため柳井家を訪れる。このとき、いせに同行したのは六原永輔(藤堂日向)だが、六原のモデルは戦後日本のカルチャーに多大な影響を与えた放送作家の永六輔だろう。

 実際のいずみたくと永六輔も『あんぱん』の展開と同じく、1960年に和製オリジナルミュージカル『見上げてごらん夜の星を』を大阪で上演。この作品を皮切りに、いずみは歌謡曲ジャンルのヒットソングやCM音楽とともに、ミュージカル作品の楽曲を数多く手掛けるようになる。

 その作品群をあらためて見てみると、のちの『アンパンマン』ミュージカルシリーズや、『あんぱん』内でも戦時中の岩男(濱尾ノリタカ)と中国の少年・リンとの描写のモチーフとして扱われた『チリンの鈴』など約50作に及ぶ。さらにいずみは、劇団四季にも寺山修司が脚本を書いた『はだかの王様』をはじめ『ふたりのロッテ』、『王子とこじき』(現在の上演タイトルは『王子と少年』)、かつて四季に在籍していた鹿賀丈史や市村正親も出演した『ブレ―メンの音楽隊』など、ミュージカル作品約20本の音楽を提供している。

 これ以外にも、他の劇団や水中バレエ団、テレビ放映用のミュージカルなどに書き下ろした作品が50以上あり、再演作品なども含めると、いずみたくが作曲家として携わったミュージカル作品は約200ともいわれている。これは『キャッツ』や『オペラ座の怪人』の作曲で知られる稀代のミュージカルヒットメーカー、アンドリュー・ロイド=ウェバーや、ディズニー作品の音楽で知られるアラン・メンケンも真っ青の数字だ。

 いずみたくが永六輔らとともにミュージカルの世界に足を踏み入れた1960年頃、日本でのミュージカル公演は一般的でなく、あえて言うなら宝塚歌劇団や松竹歌劇団などがそれぞれの路線でレビュー公演などを実施していた状況。多くの人にとって、舞台で上演されるミュージカルはまだ遠い存在だったのである。

 そんな時代に「日本人のための日本のミュージカル」制作に踏み出したいずみたくと永六輔。おそらく彼らは、1950年代に公開された『王様と私』や『オクラホマ!』『南太平洋』といったアメリカ産のミュージカル映画に圧倒され、触発されたうえで、日本で生きる自分たちの生(なま)の声を観客に届けようと手探りで創作を始めたのだろう。

 特にコロナ禍に突入した2020年以降、日本のミュージカル界でも「国産のオリジナルミュージカルを制作する」機運が高まり、劇団四季や東宝、ホリプロ、梅田芸術劇場といった大手舞台主催企業や団体もさまざまなオリジナルミュージカルの公演を実施しているが、いずみたくは間違いなく、その礎を築いた人物のひとりである。ちなみに、日比谷の東京宝塚劇場で日本初のブロードウェイミュージカル『マイ・フェア・レディ』が江利チエミ、高島忠夫らの出演により上演されたのは1963年。いずみらの『見上げてごらん夜の星を』初演から3年後のことだ。

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