『べらぼう』の時代・天明はまるで現代の合わせ鏡? 蔦重が生み出し続ける“希望”

『べらぼう』蔦重が生み出し続ける“希望”

 NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第29回「江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち)」は、こともあろうか江戸城内で斬りつけられ、志半ばにしてこの世を去ることになった田沼意知(宮沢氷魚)の「仇」を、自分なりのやり方で討とうとする蔦屋重三郎(横浜流星)が、周囲の人々の協力のもと、めぐりめぐって北尾政演/山東京伝(古川雄大)をたきつけ、黄表紙『江戸生艶気蒲焼(えどうまれうわきのかばやき)』を完成させ、それが天明5年(1785年)、「空前のヒット」を記録するに至るまでを描いた回だった。気がつけば激動の「天明(てんめい)」も折り返し地点を回っている。

 それにしても。安永10年(1781年)、光格天皇の即位に伴い元号が「天明」に改められた。結果的にそこから8年にも満たなかった歳月の中で、これほどまで世の中を激しく揺り動かす出来事が次々と起こったことに、改めて驚かされる(そしてそれは、どこか現代の日本社会を彷彿とさせるところがある)。

 近世最大の飢饉とされている「天明の大飢饉」に始まり、浅間山の大噴火、米の価格の高騰と幕政に対する庶民の不満の高まり、『忠臣蔵』を彷彿とさせるような江戸城内での刃傷事件――さらには、集中豪雨による利根川の氾濫(「天明の洪水」)、第10代将軍・家治(眞島秀和)のもと幕政を主導した老中・田沼意次(渡辺謙)の失脚、第11代将軍・家斉(城桧吏)の就任、江戸と大阪の米屋が襲撃された「天明の打ちこわし」事件の発生、松平定信(井上祐貴)の老中就任と彼が主導した一連の幕政改革(寛政の改革)の始まり、そして「天明の京都大火」による皇居炎上、朝廷と幕府の紛議事件である「尊号一件」の発生に至るまで。ことほどさように、あまりにも凶事が続いたため、天明9年(1789年)、ついに「寛政」と元号が改められることになるのだが、「天明」とは、天災から人災に至るまで、まさしく激動の時代だったのだ。

 本作『べらぼう』がここまで描き出してきたように「天明」は、蔦屋重三郎というひとりの人物にとっても、まさしく激動の時代だった。安永最後の年である安永10年(1781年)に出版した青本『見徳一炊夢』の高評価と黄表紙の隆盛、さらには折りからの狂歌ブームに目をつけた狂歌の指南書『浜のきさご』のヒットによって、一躍「江戸一の目利き」として周囲の人々から一目置かれるようになった蔦重が、いよいよ吉原を飛び出し、地本問屋の中心地である日本橋通油町に進出したのは、天明3年(1783年)のことだった。

 その後、本作においては、てい(橋本愛)と祝言をあげ、当初反目していた江戸地本問屋のリーダー鶴屋喜右衛門(風間俊介)とも和解するなど、「日本橋・耕書堂」の主人として、彼はこの時期に、華やかなスタートを切るのだった。そして天明5年(1785年)、その後大ヒットを記録することになる黄表紙『江戸生艶気蒲焼』を、晴れて世に送り出すーーというのが、ここまでの流れだ。

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