ブラッド・ピットの栄光よ永遠に ハリウッドを背負う悲壮な覚悟
「映画製作者」としてのブラッド・ピット
建築ファン、美術ファンであると同時にシネフィルでもあるブラッド・ピットが2002年に自身の映画制作会社プランBを起ちあげたのは、当然の帰結であった。プランBに先んじること9年前の1993年、トム・クルーズも自身の制作会社であるクルーズ/ワグナー・プロダクションズを起ちあげたが、映画の製作者にもなった2人の歩みは大きく異なっていく。クルーズ/ワグナー・プロダクションズ設立第1作『ミッション:インポッシブル』(1996年/ブライアン・デ・パルマ監督)以降、トム・クルーズのキャリアはアクションスターに大きく舵を切ることとなった。
これとは対照的にブラッド・ピットは、デヴィッド・フィンチャーとの出会い(『セブン』『ファイト・クラブ』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』)、クエンティン・タランティーノとの出会い(『トゥルー・ロマンス』『イングロリアス・バスターズ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』)などを通して、「作家の映画」との親和性を強め、エンターテインメント性と作家性の2面で自己形成を果たしていく。そのバランス感覚は例外的なまでに的確で、ビジネス上の成功と批評的な成功を変わるがわる獲得しえた稀有な存在である。ブラッド・ピットはアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督『バベル』(2006年)への出演によって批評的評価を高め、出演の決断は「自分のキャリアで最高の選択のひとつだ」と語った。
プランBでは意義ある企画に取り組み、自身では必ずしもキャストとして関わらないケースが少なくないのが、彼のプロデューサーとしての特徴である。ピットがメインキャストではないプランB作品『ディパーテッド』(2006年/マーティン・スコセッシ監督)、『それでも夜は明ける』(2013年/スティーヴ・マックイーン監督)、『グローリー/明日への行進』(2014年/エイヴァ・デュヴァーネイ監督)、『ムーンライト』(2016年/バリー・ジェンキンス監督)、『ミナリ』(2020年/リー・アイザック・チョン監督)などがことごとくアカデミー賞やゴールデングローブ賞で主要部門賞を受賞もしくはノミネートされており、俳優としてばかりなく、映画製作者としてもハリウッド随一の才覚者として、その名を刻まれるべき存在となった。
そんなブラッド・ピットとプランBエンターテインメントが今や、恥も外聞もなくトム・クルーズの『トップガン マーヴェリック』の成功を追い、「柳の下の二匹目のどじょう」を狙うのには、やはりアメリカ映画の地盤沈下に対する、これまでにないほどの危機感が根底にあるものと思われる。少しでもF1というモータースポーツの世界を知っている観客なら、映画『F1/エフワン』が現実にあり得ない嘘っぱちの物語を臆面もなく語り、そんな荒唐無稽の中で、やさぐれた不良中年ブラッド・ピットが躍動する。ずだ袋をぶら下げて、デニム姿でサーキットに歩いて入ってくる彼のショットはもはや、ノスタルジーの薫りすら漂わせている。
ブラッド・ピットの映画人生を予感させるものがあったルイ
レスタとの血液交換によって吸血鬼になる過程にあるルイが、18世紀末のニューオーリンズ郊外の木々のあいだを歩きながら「まだ人間だったその朝、僕は最後の日の出を見た」。そして美少女クローディア(キルステン・ダンスト)を噛んだことの甘美な罪悪感にさいなまれつつ「夜のあまりの美しさに僕は涙した」と独白する『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』におけるルイ役は、その後のブラッド・ピットの映画人生を予感させるものがある。そのルイが美しいままに孤独を生き、映画と出会うことによって「機械の奇跡が僕に再び朝日を見せた」。映写機から発せられた光がスクリーンに映写される朝日ならば、吸血鬼はなんの恐怖もなく受け止められる。100年前に「夜のあまりの美しさに」涙したブラッド・ピット扮する吸血鬼が、上映中の暗闇で映写される朝日を受け止め、おそらく朝の美しさにもたびたび涙したにちがいない。
その証拠に1988年の春にニューオーリンズに帰郷したルイが市内の映画館から出てきたとき、劇場の看板には『テキーラ・サンライズ』(1988年/ロバート・タウン監督)と書かれている。ここにも「サンライズ」の文字が見えているのだ。ロバート・タウン(1934年〜-2024年)。ロジャー・コーマン(2024年5月に死去)のもとで修行し、『ゴッドファーザー』『チャイナタウン』の脚本執筆に参加して名声を博したものの、監督としては大成できなかった人。トム・クルーズ主演作『デイズ・オブ・サンダー』『ザ・ファーム 法律事務所』『ミッション:インポッシブル』『M:I-2』『M:i:III』の脚本も書いている。
そう、ロバート・タウンという渋い名前が不意に浮上した。そのほか、ブラッド・ピットとトム・クルーズのあいだには何人かの共通する映画作家たちが通り過ぎていった。『リバー・ランズ・スルー・イット』『大いなる陰謀』のロバート・レッドフォード/『トップガン』『デイズ・オブ・サンダー』『トゥルー・ロマンス』『スパイ・ゲーム』のトニー・スコット/『ハスラー2』『ディパーテッド』のマーティン・スコセッシ/そして『トップガン マーヴェリック』『F1/エフワン』のジョセフ・コシンスキーが……。
吸血鬼ルイは語る。
「1988年の春、ニューオーリンズに戻った。空気の匂いに故郷を感じた。豊かで甘やかな薫り。屋敷のジャスミンとバラを思い出す。その薫りを嗅ぎながら街を歩いた。プリタニア通りの墓地の数ブロック先で、死臭を嗅ぎつけた。墓地からではない。歩くほどに匂いは強くなった。人間は気づかない程度だ」
1980年代、ジャスミンとバラの薫りを思い出しながら、映画の夜の興行がはねたあとのニューオーリンズ市内を散策し、人間では気づけない死臭を嗅ぎつける。そんなまがまがしい表現にことよせて、彼の映画人生がすでに素描されている。永遠に死ねない吸血鬼ルイはまだ、世界のどこかを、ジャスミンとバラの薫りを思い出しながら散策しているにちがいない。私たち映画を愛する人間は、ブラッド・ピットの栄光が永遠に続くことを願う。それがハリウッドの栄光を背負う悲壮な覚悟とともに続けられる、「ジャスミンとバラの薫りを思い出し」ながら進むけもの道であるはずだから。
■公開情報
『F1/エフワン』
全国公開中
出演:ブラッド・ピット、ダムソン・イドリス、ケリー・コンドン、ハビエル・バルデム
監督:ジョセフ・コシンスキー
プロデューサー:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:アーレン・クルーガー
配給:ワーナー・ブラザース映画
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