桜井ユキがなぜ画期的な主人公なのか 『しあわせは食べて寝て待て』の真摯な病気の描き方

 身体的にも経済的にもハンディキャップがあるなら、結婚して誰かに養われ、ケアしてもらえばよい──ある意味で最善の解決策だろう。だが思い出したいのは、病気になる前のさとこは、マンション購入を夢にバリバリ働いていたことだ。書籍『ケアの倫理──フェミニズムの政治思想』によれば、長い歴史の中でケアとは多くの場合女性が担い手で、ケアする/される者たちの関係は「しばしば、能力の差が極めて大きい非対称的な関係」(※2)である。さとこが結婚によりその非対称性に取り込まれたり、庇護されることで自主性を奪われてしまう恐れも考えられる。

 さらに日本社会では、まだ結婚という制度は女性に不利が多い。自身が完治困難な病気を抱えたからといって、さとこがそんなアンフェアな立場になることをすぐに求めているとは想像できない。もちろん、さとこの今後の人生の選択に、変化があるかもしれない。だが、心身の不調や経済的困難を理由に女性が結婚を安易に提示されてしまうシチュエーションには、心身ともに健康で金銭に余裕がなければ多様に生きる権利すら手にできないという、現代の社会構造の欠陥が浮かび上がるのだ。

 キャリアウーマンを目指していたさとこが病気になったことに対して母が使った「つまずき」という表現を、さとこは電話口で復唱することで明らかな嫌悪感を示す。こうしたさとこの折れない性格は様々な場面で垣間見える。最もよく表れているのが、第3話で元同僚・小川(前田亜季)と久しぶりに会うシークエンスだ。かつての職場だった不動産会社で、さとこはある同僚から理不尽な嫌がらせを受けた。人間関係のストレスがさらに体調を悪化させ、退職を余儀なくされたのだった。

 小川によれば、嫌がらせの張本人は謝罪をしたいと泣きながら話しているそうだった。ところがさとこは「謝ってほしくない」とはねつける。謝罪されてしまえば、モヤモヤしながらも笑って許すしかなく、当の本人だけがスッキリしてしまうから、と。「身体がつらいと、自分をつらい目に遭わせた人にまで優しくできない」とは言うが、おそらくさとこは元来、表面的には我慢をする一方で、内面でははっきりとした意見を持っているタイプなのである。病気はさとこの体力と気力を確実に削ってはいるが、殊更に苦しみをあおったりはしない。病気の様子がクリシェでないように、さとこもこれまでフィクションで描かれがちだった典型的な病気のキャラクターとは、絶妙に異なるのだ。

 時折登場する心の声にはチクッとした皮肉が効いているし、知り合って間もない司に自分の病気をオープンに捲し立てるなど、本人も気づいているのだが少々感情で突っ走ってしまうところがある。でも、そこがいい。身体は弱ったとはいえ、心まで脆弱にならなくてよいのだ。弱々しくて、素朴な病人というキャラクター設定は、“守ってあげたい”と思えなければ手を差し伸べない、健康な側にいる者たちの身勝手な理想でしかない。クセが強く、自己主張もし、しかし確かに困っていることがあるさとこは、真の等身大の人間の姿なのだ。

 まるで滋味深い薬膳料理のように静かにスタートした『しあわせは食べて寝て待て』は、実は芯に屈しないしぶとさが隠されている。どんな人間でも、長い人生で一度や二度病気や怪我に見舞われ、誰かの助けを借りる瞬間が訪れる可能性があるのだ。ままならない身体と人生に向き合い、奮闘するさとこの存在は確実に多くの人をチアアップするのだ。

参考資料
※1:https://www.nanbyou.or.jp/entry/111
※2:岡野八代『ケアの倫理──フェミニズムの政治思想』(岩波書店)

■放送情報
ドラマ10『しあわせは食べて寝て待て』
NHK総合にて、毎週火曜22:00~放送
出演:桜井ユキ、宮沢氷魚、加賀まりこ、福士誠治、田畑智子、中山雄斗、奥山葵、北乃きい、西山潤、土居志央梨、中山ひなの、朝加真由美
原作:水凪トリ『しあわせは食べて寝て待て』
脚本:桑原亮子、ねじめ彩木
音楽:中島ノブユキ
演出:中野亮平、田中健二、内田貴史
制作統括:小松昌代(NHK エンタープライズ)、渡邊悟(NHK)
写真提供=NHK

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