アカデミー賞3冠『ブルータリスト』は驚くべき一作 映画製作の常識を覆す作品づくりに迫る
クライマックスへと繋がる、エルジェーベトのハリソンへの告発は、だからこそ、ナチズムを含んだ大きな意味での“暴力”を弾劾する意味を持つ。この青天の霹靂によりハリソンは大きく動揺するが、彼が動揺した理由は暴力性を指摘されたことではなく、他の有力者の前で自身の性的指向を明らかにされたことが主だったのだと考えられる。もちろん、本来その点については恥入る必要はなく、加害をおこなったことこそを反省するべきなのだが、マジョリティとして地位を誇示し、プライドのなかに生きてきたハリソンにとって、この告発は耐えられなかったのだろう。
ハリソンが「ザ・インスティチュート」に逃げ込んでしまうという展開は象徴的で、物語の帰結として美しいといえる。名士としての仮面が剥がされてしまった彼は、自身の功績である文化センターにしがみつくしかなかったのである。しかし興味深いのは、この後だ。1980年代のイスラエルでジョーフィアがスピーチをするエピローグによって、新事実が明らかとなる。「ザ・インスティチュート」の建築が、じつはラースローやエルジェーベトの個人的な体験を基に、ある意図が反映した、暴力からの自由をうったえる設計だったことが知らされるのだ。つまりハリソンは皮肉にも、自分の持つ暴力性をも批判する施設に私財を投じ、心の拠り所にしていたのである。
かつてドイツ占領下のフランスで撮られた、サシャ・ギトリ監督の映画『あなたの目になりたい』(1943年)の冒頭では、「我々は戦争では負けたが、芸術、そして精神性の面ではむしろ勝利したのだ」という、感動的なセリフがある。この、芸術が暴力に勝ち得るという宣言は、多くのフランス人の観客の心を慰め、鼓舞したことだろうと想像する。本作もまた、ナチスの暴力やアメリカの資本主義による力に対し、芸術の勝利を謳いあげるものになっているといえよう。
また、一つの構造物が愛を表現するという部分では、ジョン・フォード監督のサイレント大作『アイアン・ホース』(1924年)を想起させる部分がある。大陸横断鉄道の敷設を題材とした物語において、線路がアメリカの東西を繋ぎ、中央で出会うという大規模な事業が、別れわかれになっていた男女が再会するという個人的な感情とクロスオーバーするといった趣向は、映画だからこそ表現できるダイナミズムを発生させる。本作で「傷つけられたのは肉体だけ」というセリフから類推させるように、丘の上の建築によって、二人の魂は真の再会を果たし、安住の場所へとたどり着くことになるのである。
ハリソンの逃亡と悲劇、傲慢さと孤独は、名作映画『市民ケーン』(1942年)や、『Mank/マンク』(2020年)を想起させる。本作は、さらにその枠組みを切り裂いて、芸術と魂の勝利が描かれるラストへと展開する、この予想を超えたカタルシスへとたどり着く。こういった、少し乱暴とも感じられる飛躍こそ、ブラディ・コーベット監督が、アナクロニズムを利用しつつ、その枠外へとはみ出していくという意味において、ポール・トーマス・アンダーソン監督やヨルゴス・ランティモス監督などの映画作家の、ある種クレイジーな性質に連なっていると考えられる点である。
だが、この暴力批判のメッセージへと到達する本作には、一つ大きな誤算があったようだ。それは、イスラエルをユダヤ人の希望の地であり自由の場所であると表現した部分にある。周知のとおり、イスラエルは現在パレスチナのガザ地区に大規模な攻撃をおこなっていて、子供たちを含めた多くの一般のパレスチナ市民が、対テロの美名のもとにイスラエル軍によって大きな被害を受けている状況にある。イスラエル政府は、そのことを正当化し、あまつさえアメリカの資本や軍事力の支援を受けて攻撃を続けている。
このイスラエルの状況は、劇中で「目的地こそが重要」と述べた「シオニズム」をも思わせてしまうジョーフィアのスピーチとあわせて考えたときに、宗教的な対立からパレスチナの土地を奪う行為までも想起させる部分がある。今回の虐殺としか思えない軍事行動によって、これまで以上にナチズムに接近したと思えるイスラエルの問題を、長年の製作期間を経た本作が予想して回避するべきだったと指摘するのは少し酷かもしれない。とはいえ、イスラエル政府と軍が暴力を行使しているいま、イスラエルをユダヤ人の希望の場所だと描かれる部分に、複雑な思いをわれわれ観客が抱くのは必然的ではある。
それでも、例えばジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』(2023年)は、同じくナチスのホロコーストなどの残酷さを描きながら、暴力や支配の光景が現在に紛れ込む演出をおこなったことで、誰もが暴力の誘惑に導かれてしまう可能性を暗示していたように思える。そもそもイスラエルによるパレスチナの歴史的な土地の簒奪は、グローバルな視点から好意的に受け取ることができないことは、本作のつくり手も、すでに分かっていたのではないか。爽快なラストに着地した本作『ブルータリスト』は、その分でイスラエルをポジティブに単純化し過ぎたところがあったように思えるのである。素晴らしいメッセージを、力強く、そして意欲的に描いた本作のなかで、この点のみはネガティブに評価せざるを得ないところだ。
参照
※ https://variety.com/2024/artisans/news/judy-becker-shooting-hungary-for-us-in-the-brutalist-1236249731/
■公開情報
『ブルータリスト』
全国公開中
出演:エイドリアン・ブロディ、フェリシティ・ジョーンズ、ガイ・ピアース、ジョー・アルウィン、ラフィー・キャシディ
監督・共同脚本・製作:ブラディ・コーベット
共同脚本:モナ・ファストヴォールド
配給:パルコ、ユニバーサル映画
2024年/アメリカ、イギリス、ハンガリー/ビスタサイズ/215分/カラー/英語、ハンガリー語、イタリア語、ヘブライ語、イディッシュ語/5.1ch/日本語字幕翻訳:松浦美奈/原題:The Brutalist
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