『ファーストキス 1ST KISS』がユニークな作品となった理由 “幸せ”についての人生の教訓
見ず知らずの赤ん坊のために命を捨てられるほど、正義感の強い駈。しかし、結婚生活の日々によって、愛していたはずの妻に興味を失い、傷つけることも厭わなくなった未来もあったというのは、どんな人間の心であっても、歳月のなかで冷えきってしまうことがあるという、一面の現実を表現しているといえるだろう。それは、硬いものでも噛み砕けるはずの人間の歯が、長い時間をかけて進行する虫歯には弱いという事実にも似ているかもしれない。
だからこそ、本作が「愛」として設定したのは、地味ながらも結婚の本質である“二人の生活に努力を傾ける”という行為だったといえる。どんなに、一緒にいることが日常化したカップルであっても、「ファーストキス」などの、それぞれの人生にとって意義深いイベントは存在するものだ。多くの恋愛映画は、その盛り上がりを描こうとするものだ。しかし本作は、大きな展開やドラマチックな瞬間を、その後の生活にも活かすことが必要だと考え、さらには二人の生活こそに愛の本質があると表現している。
それは例えば、朝食ではパン党であるカンナが、トーストを皿代わりのコーヒーカップにのせながら食べるという、一種のズボラさに駈が愛情を感じる描写に投影されている。この箇所はまさに、細部の方にむしろ本質があるとし、さりげない会話のなかに人生の玄妙さがあるとする、坂元裕二の一つの作家性そのものでもあるのだと考えられる。
カンナがパン党であるという描写は、長年の間「ヤマザキ春のパン祭り」のイメージキャラクターとしてもお馴染みの松たか子が演じていることで、一部笑えてきてしまうところもあるが、死を前にした駈がカンナのためだけにトースター専用機を購入するという展開は、地味だからこそ感動的な部分だ。カンナは専用機で焼いたトースターを頬張りながら、彼の遺影に向かって「そんなに変わらないよ?」と話しかける。確かに、トースター専用機のメーカーが宣伝するほどには、大きく味は変わらないのかもしれない。しかし、それが“少しの違い”であっても、美味しいトーストを食べてもらいたいと思った駈の気持ちこそが、本作における「愛」の本質なのである。
一連の流れにおいて、この作品がうったえかけるのは、“時間”を意識しながら生きることの重要性であり、結婚生活における関係性の維持と相手を思いやることの大切さ、そして、変えられない運命があるからこそ、その過程を楽しむ能動的な姿勢をとるべきだという、人生の教訓だといえよう。駈のように、人生の終わるカウントダウンを意識していないとしても、人間には寿命があるものであり、いつ突発的な事故や事件が起きて、人生が断絶されるかは分からないものだ。であれば、誰であっても現在を悔いのない生き方にすることが、幸せへの道だといえるなのではないか。
一連の流れにおいて、この作品がうったえかけるのは、“時間”を意識しながら生きることの重要性であり、結婚生活における関係性の維持と相手を思いやることの大切さ、そして、変えられない運命があるからこそ、その過程を楽しむ能動的な姿勢をとるべきだという、人生の教訓だといえよう。駈のように、人生の終わるカウントダウンを意識していないとしても、人間には寿命があるものであり、いつ突発的な事故や事件が起きて、人生が断絶されるかは分からないものだ。であれば、誰であっても現在を悔いのない生き方にすることが、幸せへの道だといえるなのではないか。
吉岡里帆演じる女性に指摘されたことで、駈が自分と結婚して研究者の道を断念したことを、カンナは負い目に感じる部分もあった。だが実際のところ、劇中で明かされるのは、リリー・フランキー演じる教授のパワハラに悩まされる日々であり、その影響力から逃れてカンナと生きる道を選んだのは、じつは自然な流れであり、駈の選択はとくに間違ったものではなかったことも明かされている。
一点、小骨のように喉に引っかかるのは、駈の決断のなかで、カンナを15年後に未亡人にしてしまうという未来について、とくにためらいがないという部分だろう。駈がカンナを愛していたのであれば、カンナがそう考えたように、自分から身を引くという選択肢に悩まされるはずなのではないか。その点で、この脚本ではやや駈が自分本位に思えてしまうのも事実だ。
とはいえ、その点については、自分が間違いなく愛されていたという実感をおぼえているカンナの表情がフォローしていると考えられる。人は、必ず死に至る。であれば、人生の最大の不幸とは、死ぬことや離別することそのものではなく、自分の人生の選択が誤りであったことや、人生の時間を無駄にしたことを実感することなのではないか。充実した時間を過ごすことが幸せだと考えるならば、カンナの人生も駈の人生も幸福に包まれているといえるだろう。
さて、本作の時間の移動は、現在や過去、未来がミルフィーユ状に層をなしているという考え方をベースとしている。これは、哲学者アンリ・ベルクソンによる多層的な時間の考え方に影響を受けたといわれる、マルセル・プルーストの文学作品『失われた時を求めて』の描写に関連していると考えられる。この小説では、人間の精神が現在という時間の中で過去や未来を意識するといった“記憶の重ね合わせ”は、時間が常に過去、現在、未来というように行儀良く順番に並んでいるといった感覚に疑問を投げかけている。世界がイマージュ(イメージ、想像)によって構成されているとするベルクソンの「イマージュ論」からすれば、実時間もまた折り畳まれ、重ね合わされているという考えすら生まれる。このように時間というものを考えれば、人間の死は取り返しのつかないものではないという、楽観的な見方を生むこととなる。
この話を始めると非常に長いものになってしまうので、深くまで語るのは遠慮しておく(詳しくは『失われた時を求めて』や、ベルクソンの著書を読んでほしい)が、時間と記憶というものが、このような多層的な時間の観念の上で密接的なものとなるということは、ここで指摘しておかなければならない。その意味において、本作のカンナのタイムリープとは、夫を振り返る記憶の旅だったという考え方も成り立つからだ。
つまり、一応はSF作品として提出されている本作が、単に記憶の中で夫を思い出し、「ああだったかもしれない」、「こうしていればよかったのかもしれない」と想像を巡らせ続けている、妻の心のなかを映像化したものだと解釈できるのかもしれないということである。あるいは、トンネルの崩落事故に巻き込まれて人生が終わる瞬間の、カンナの一瞬の後悔が、彼女の観念をある時間の一点に飛ばしたのだと考えることもできなくはない。
いずれにせよ、過去の夫の記憶をたどることで、夫が自分を深く愛していたことを実感できれば、現在の自分の認識が変化し、さらには未来の生き方も変わってくる。そういう意識に立って見るならば、“時間とは、常に一方通行なものではない”という、ベルクソン的な哲学的な思考を、われわれも生活のなかで感じる瞬間があるかもしれない。人は多層的な時間のなかで死や離別といった障害を乗り越え、幸せに生き、何度も「ファーストキス」を繰り返すことができるのかもしれないのだ。
そして本作にとって、このような時間の認識が最も重要なのは、時間とは“個人的なもの”でありお互いにとって“相対的なもの”であるという点だ。カンナが何度も何度も過去に戻り未来を変えようとしたことは、彼女の夫への愛情を何よりも強く示している。それを知った駈は、その愛情を返すかのように、カンナとの結婚生活を充実させていく。その愛情の始まりが、一種の「タイムパラドックス」であるかのように、実際はどこから現れたものなのかというのは気になるところだが、それよりも哲学的な“時間の主観性”と“夫婦間の愛情表現”に、意外と似通った部分があるというのが、非常に興味深いのである。
このように、本作『ファーストキス 1ST KISS』が、一見すると軽快なコメディタッチのラブロマンスでありながら、坂元裕二脚本の特徴であるユニークさと繊細さ、そしてカルト的名作として知られる『ある日どこかで』を想起させるような特異的なアプローチによって、さまざまに哲学的な想像を喚起させる余地を残したバランスで、しかしあくまで恋愛作品として仕上がったというのは、注目に値する点だといえそうだ。
■公開情報
『ファーストキス 1ST KISS』
全国公開中
出演:松たか子、松村北斗、リリー・フランキー、吉岡里帆、森七菜、YOU、竹原ピストル、松田大輔、和田雅成、鈴木慶一、神野三鈴
脚本:坂元裕二
監督:塚原あゆ子
企画・プロデュース:山田兼司
制作プロダクション:AOI.pro
配給:東宝
©2025「1ST KISS」製作委員会
公式サイト:https://1stkiss-movie.toho.co.jp/
公式X(旧Twitter):https://x.com/1STKISSmovie
公式Instagram:https://www.instagram.com/1stkissmovie/
硯カンナの備忘録Instagram:https://www.instagram.com/kaki_to_peanut/