我々は“テレビ”とどう向き合っていくべきなのか 『ショウタイムセブン』は現実の写し鏡に
現在、某放送局と某タレントが隠蔽を図ったとされる過去の事件が顕在化し、日本中が論議の渦中にある。一方で、真偽の判別できないような有象無象の情報がSNS上で拡散され、誤認や誤報であったとしても「謝れば済む」などと居直るような風潮に対しても、私たちは疑念を抱いている。「事実は小説よりも奇なり」という諺があるように、昨今の世情においては「映画の中の出来事よりも、現実の方が凄いことになっているのではないか?」と感じる人も少なくないだろう。奇しくも、現在公開中の映画『ショウタイムセブン』は、そういった混沌の中で、視聴者がテレビメディアとどう対峙すべきなのかということを問うているようにも見える作品なのである。
もうひとつ、『ショウタイムセブン』では「別の事件が新たに起きて、いつの間にか大衆は忘却する。そのことが本当は一番怖い」と描いている。加えて、大きな事件が隠れ蓑となることで、政府にとって都合の悪いことから大衆の注目を逸らす効果があるのだ、と静かに戒めてもいる。インターネット上で広まった「マスコミが芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が必ず裏で起きている。そういう時こそ新聞の隅から隅まで目を凝らし、小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい」との警告。これは、評論家の竹村健一が生前に語った言葉だとされる一方で、出典そのものが不明だという危うさもある。とはいえ「まさに、それは“今”なのかも知れない」と自戒させる、そんな時代に私たちは生きているのだといえるだろう。
映画には、マスメディアやジャーナリストをモチーフにした作品群がある。例えば、とくダネを独占することで一流新聞社への返り咲きを目論む記者の姿を描いた、ビリー・ワイルダー監督の『地獄の英雄』(1951年)。この映画に登場する「CHECK,DOUBLE CHECK」という台詞は、知り得た情報に対する再確認が重要であることを報道を担う側に自戒させるものだったが、1985年に御巣鷹山で起こった日航機事故をモデルにした、原田眞人監督の『クライマーズ・ハイ』(2008年)の劇中でも引用されていることで知られている。こういったマスメディアをモチーフにした作品が、時代を問わず絶え間なく製作されてきたのは、<映画>なるものが第三者の立場でマスメディアを検証し、時に批評・批判する役割を担ってきたからだという歴史がある点も重要だ。
『ショウタイムセブン』はマスメディアをモチーフにした作品。ラジオの生放送中に掛かってきた一本の電話をきっかけに、爆破テロ事件の容疑者と思われる人物とのやりとりを緊急生中継することになるのだが、映画がほぼリアルタイムで進行する作品となっているのも特徴だ。阿部寛が演じる人気ニュース番組の元キャスターは、訳あってラジオ番組に左遷されたという設定。落ち着いた口調に強い眼差し、テロにも動じない沈着冷静さを持った正義漢でありながら、利己的だという折本役は、阿部寛にしか演じることができないようなハマり役だといえる。